レディ・ギヤマンの断頭台

02 因果 


 村を通り抜けた先にある洞窟に、例のトカゲの業魔はいるのだという。
 洞窟へ向けて歩いている最中、ふと私は自分にとっての重要事項をすっかり忘れていたことに気が付いた。というより、気付かざるを得なかった。

「……寒い」

 珍しい業魔に出会えた喜びに気を取られて、村に着いたら防寒具を買おうと思っていた事をすっかり忘れていた。先程は興奮で体温が上昇していたのだろう、落ち着いてきた今になって凍てつく寒さが私の皮膚を刺す。

「こればっかりは、どうしてもどうしようもどうにもこうにもできないわね……寒い……」
「ぴーぴーうるさいわよ」

 少し振り返って溜息混じりに私を睨むベルベットといえば、あんなに薄着だというのに。体感温度が気にならない業魔って、本当に素晴らしい。

「俺らにはわからんが、よっぽど寒いんだなぁ」
「そうね……もう少ししっかり着込むべきだったと反省しているわ……」

 というより、反省すべきは目の前の業魔に気を取られて自分の管理をすっかり忘れていた事なのだけれど。

「最初に動きやすさ重視でと思ったのが、そもそもの間違いだったのよ……」
「動きやすさって、あんた戦わないんでしょ」
「逃げるための、ね」

 武装を一切していない私の全身を舐めるように見たベルベットの言葉に、笑ってみせる。手に馴染んだ杖で、雪の積もった地面を突きながら歩みを進めている私は、背後からもう1人の視線を感じて振り返った。

「何かしら、ロー?」

 顎に手を当てて私を見分しているロクロウは、もしかすると私の嘘に気が付いているのかもしれない。けれど彼は「いや」と言葉を一瞬切って、

「なんなら、村に一度戻って外套でも借りてくるか?」

と話を変えた。

「大丈夫よ。迷惑はかけないって約束だし、それに──」

 私はようやく見えた洞窟へと杖の先を向けた。あの中に入ってしまえば、少なくとも風雪に晒されることはなくなるだろう。
 ベルベットが硬質な声で「さっさと行くわよ」と足を早めた。

 洞窟の中に入ると予想通り、風がないために随分と体感温度が上がったように感じた。とは言っても、周囲は岩であり熱源もどこにもないため、気温自体は低いままだ。頑張れ私、とかじかんだ手を摩擦熱で温めることを試みる。

 私がそんなことをしている間に、残りの2人は洞窟に住み着いている業魔との戦闘に突入していた。
 ロクロウは小振りの剣……ではなく刀を両手に構え、目の前の敵へ斬り込んでいる。その恐れを知らない様子はさすが業魔といった様子で、見ていて惚れ惚れしてしまうほどだった。ちなみに剣の型は彼の身につける衣類と同じように珍しいものではあったが、さほど興味を惹かれるものでもなかった。
 一方のベルベットは、右の手に付けた小手から刃を武器に業魔へと向かっていた。同時に斬撃だけでない蹴り技を繰り出していて、その技の多彩さは見ていて面白い。

 私は手にはぁと息を吹きかけながら、雑魚を蹴散らしてどんどんと進んで行く2人の後を追いかけた。

 と、戦闘の最中でベルベットの業魔化した左腕がその形を変えた。地面に付くほどに巨大化した、赤黒い腕。それが業魔に振り下ろされると、その業魔は瞬く間に彼女の腕に飲み込まれていった。
 今までに見たことのない光景だった。まるで、あの業魔が食べられたかのような──……

 ──食べる?

 何かが思考の端で引っかかったような気がして首を傾げている間に、いつの間にやら業魔の襲撃は一区切りついたようだった。それぞれの武器を仕舞って、洞窟の奥へ向けて歩き始める。

「剣捌きはさすがね」
「いや、まだまだだ。この程度じゃ──」

 ベルベットの言葉に首を振ったロクロウが、どこか遠い空を睨むように黙り込んだ。その様子に、ベルベットは少し怪訝な表情を浮かべる。

「あんたって、どういう業魔なの?」

 あ、その話詳しく聞きたいと思ってた。私が不躾に質問を重ねるのも、また警戒を招くだけだろうと自重していたため、自分達から話し始めてくれてとてもありがたい。
 頭の中のメモ帳を開きながら、私は2人の会話に静かに耳を傾ける。

「“夜叉”だよ。戦いの鬼神だ」

 戦いの鬼神か。それならば、先程の躊躇いの欠片もない戦い方も道理だ。……ベルベットに剣の腕を褒められた時の不自然な沈黙から察するに、それが彼の業魔化のきっかけとなる感情だったのかもしれない。
 この辺りは、また追い追い探りを入れてみようと思う。

「ベルベットこそ、なんなんだ? 随分変わった業魔みたいだが」

 その話も詳しく聞きたいと思ってた。先程の腕の件といい、味覚の件といい、気になることが多くある。
 ロクロウの言葉に少し考えた様子を見せたベルベットが、口を開く。

「“喰魔”よ」

 洞窟の中に少し残響を残した彼女の発した単語に、私は本当にわからない程度の数瞬だけ、自分の歩みが止まった事を自覚した。
 遠い過去に投げ捨てたパズルのピースが、今更部屋の片隅から見つかってしまったような、そんな心地だ。

「喰魔? 聞いたことないが……、ソニアは知ってるか?」
「いいえ。珍しいから、私も詳しくは」

 話を振ってもらったため、我が意を得たりと「どんな業魔なの?」と問いを投げてみる。

「敵を喰って力に変える化け物。それ以外は知らない」

 問い掛けたものの、ベルベットから返ってきた答えは非常に簡潔なものでしかなかった。今までの会話から察するに、彼女は業魔となってからどこかに隔離されていて、最近になってようやく外に出たようだ。自らの性質について、知らなくてもおかしくはない。

「ふうむ……女で、敵を喰らうというと……──“オニババ”の一種かな?」
「はあ?」
「今の顔……ちょっとそれっぽかったぞ……」

 そりゃあ、うら若き乙女に“オニ”も“ババ”も禁句だろうに。2人のやりとりに、くすりと笑みが浮かんだ。
 それにしても、

「喰魔……ねぇ」

 つい先程までは、今日の巡り合わせを運が良いと喜んでいたのだが。実は必然の因果だったのではないかと疑わしく思ってしまう。
 しかし、それとこれとはまた別の話で、個人的には喰魔だなんて珍しい存在を見たという事実自体が大きな収穫だ。難しい事を考える必要などない、ただ、単純にそれを喜んでおこう。……少し、いつも以上に慎重に、詳しく調べる必要はありそうだけれど。

 次の目的地を頭の中で見定めている間に、いつの間にやら洞窟の最奥に到着したようだった。
 周囲に生き物の気配は感じられない。しかし、タールで満ちた沼の真ん中に対魔士の死体が浮いているのが見えた。

「うっかり落ちたのか?」
「対魔士もドジを踏むのね?」

 隣のロクロウと首を傾げていると、背後から鋭い殺気を感じて同時に振り返った。剣と盾を持ったトカゲの業魔が凄まじい勢いで肉薄し、何故か私の方を目掛けて、掲げた剣を振り下ろしてくる。
 今日はやっぱり、運が良いようで中々厄介ごとを引き当てる日でもあるのかもしれない。咄嗟に横に跳び退いて、頭蓋目掛けた攻撃を避けた。

「こいつに落とされたか!」

 ベルベットが殺気剥き出しのトカゲの業魔に対するために、刺突刃を出して臨戦態勢に移った。とりあえず私はそそくさと、武器を構える2人の後ろに退避することにする。

 元々2対1であったが故に戦力の差は圧倒的で、トカゲの業魔は間も無く洞窟の硬い地面に膝をつくこととなった。

「まだ死ねねぇ……ヤツらに復讐するまでは……!」

 業魔に──トカゲの業魔に変わってしまったダイルという名の船乗りの言葉に、剣を突きつけていたベルベットは「復讐?」とその眉を寄せた。

「俺を殺そうとしやがった組合のクソどもにだ! 密輸の責任を俺に押し付けやがって!」
「密輸は組合がやってたってこと?」

 詳しい話はあらかじめ聞いていなかったためにわからないが、察するにダイルは組織ぐるみの密輸に加担して、その隠蔽のために槍玉にあげられたというわけらしい。
 まさに、尻尾切り──トカゲの業魔になったのは、“トカゲの尻尾切り”のように扱われたという意識が影響しているのだろうか。

「確かに倉庫の抜け穴なんて、個人で作れるものじゃないよな」
「あの便利な抜け道、密輸のためのものだったの?」

 ロクロウの言葉に私は目を瞬いた。聖寮の検問に晒されることなく街を出入りできるあの抜け穴は、ヘラヴィーサ滞在中の私も非常にお世話になった。ベルベットに「あんたは普通に門から出入りすればいいでしょ」と突っ込まれたので、愛想笑いをしておく。

「調子に乗って規模をでかくしすぎたんだ。聖寮にバレるのも時間の問題だった」
「『死人に口なし』。お前を殺して罪を最小にするつもりが、計算が狂ったというわけか」

 ダイルは忌々しそうに舌打ちをした。暗緑色の鱗に覆われた大きな口が、歪む。

「どうやって復讐するつもりだったの?」
「ヘラヴィーサに殴り込みをかけて、船員どもをぶっ殺す」

 ベルベットに答えたダイルの言葉は、あまりにも作戦とは言い難いものだ。ベルベットも「自殺行為ね」と一つ溜息をついた。
 確かに、門から街中から港に至るまで、聖寮の対魔士達が見張りと巡回を行っているのだ。ベルベットの言う通り、そんな無謀な特攻が功を奏すとは到底思えない。

「どうせ逃げても狩られる! 奴らに一泡吹かせられればそれでいい!」

 金の目をギラつかせたダイルは、それでも自分の“復讐”が実現不可能なものだと分かっているのだろう。荒げた声が一転して沈んだものと変わり、項垂れてしまった。

「……と、思ってたが……それも叶わねぇか」

 ……折を見て、鱗に覆われた皮膚を触らせてもらうための交渉をしようと思っていたのだが、この様子だとそんな話は切り出したところで相手にされない事が見え切っている。

 どうしたものかしら、と考えていると、唐突に目の前に立っていたベルベットが刺突刃を出した。何をするつもりかと見ているうちに、ダイルへ向かって斬りかかり、その尻尾が切り落とされた。
 ダイルは体の一部が切り落とされた痛みに、地面に転がりのたうち回っている。地面に落ちた尻尾を拾うベルベットの前に、私は仁王立ちをした。

「いい、ベルたん? トカゲの尻尾には自切面というものがあって、外敵に襲われた際に自身の意思で切るからこそ、その自切面で痛みもなく切り落とした尻尾を囮に生き延びる事ができるの。つまり外部からの要因で切断された尻尾は元来の自切のようにはならなくて」
「何が言いたいのよ」
「尻尾、少しだけ触らせてちょうだい?」

 自分で切っていようがいまいが、結局のところは初めて見る業魔の尻尾だ。御託など必要なく、観察がしたい。
 溜息をついてベルベットは私にダイルの尻尾を手渡してきた。とてもありがたい。

「尻尾を届けて、あんたは死んだと報告する。そうすれば対魔士達も警戒を解くはず」

 緑の鱗に覆われていたが、断面は綺麗な肉の桃色をしている。骨まで綺麗に切られていて、ベルベットの刃の鋭さに感心した。

「どうしてだ……?」
「こっちの都合よ。一つは、船を修理するため。で、あたしが出発した後、騒動を起こして追っ手を足止めしてくれれば好都合」

 触るとひんやりとしたそれは硬く、トカゲというよりはワニの鱗板であるような印象を受けた。体が巨大化するにあたって、柔い無防備な尻尾が進化したのだろうか。

「……そういうことなら、ご期待に応えるぜ」

 けれどなんだかんだで彼の顔の鱗も硬そうではある。後で触らせて貰おう。とりあえず今は尻尾の鱗を採取して、ついでに断面部分を少し切り分けて貰うことにしよう。
 ──と、ベルベットが私の手からダイルの尻尾を取り上げていった。

「あっ、私の尻尾」
「あんたのじゃないでしょ」

 まだ何もできていないのに、酷い。けれど前に突き進む事しか見えていないベルベットを引き止めるのも、申し訳がないし私の望むところではない。仕方がないので鱗は胴あたりから直接貰って、断面部分も頼み込んで切れた部分を再度切らせてもらえたらいいなと思う。

「ソニアは帰らないのか?」

 出口に進むベルベットとは逆の、ダイルの方へ歩き出した私にロクロウが尋ねてくる。笑って頷いて、私は応えた。

「縁があったら、また会いましょう」

 これが私に未だにまとわりつく過去の亡霊によるものだとしたら、この因縁は、そう簡単には切れないだろう。そう、思う。


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