レディ・ギヤマンの断頭台

06 休眠 


 西ラバン洞穴。薄暗いその内部では、サソリを始めとする甲殻を有した業魔が多く生息していた。
 元来サソリは夜行性の生き物で、日光を避けるようにして石の下や靴の中などの暗い場所を好む傾向にある。それ故、大型の身体を隠す影を求めて、このような洞窟に住処を構えるようになったのだろうか。
 けれど、そのように陽の光の無い土地だというのに、地面に生い茂るほどの草が生育しているのも中々に興味深いものだ。植物はいくら耐陰性の強い種別であったとしても、全く光の無い土地では生きられないはずだ。それがここまで成長しているのだから、なんとも不思議である。

 草を踏み分けながら前進していると、戦闘音が聞こえてきた。進行方向は間違っていなかったらしい。歩行速度を少し早めて向かった先には、業魔との戦闘を終えたばかりの例の副長の姿がある。

「海賊を信じる気になったか」

 この場所に現れた私達の意図を確認するように男が問いかけた。ベルベットはそれを「まさか」と冷たく切り捨て、

「けど、要塞を抜けた後、王都まで船と船員を貸してくれるなら協力してもいい」

と、交渉を持ち掛ける。
 こちらに対しての旨味があまりにも薄すぎる提案に乗ってやる必要はない。船員達の心配そうな様子から察して、男が協力の一切を要しないわけではない事が見えている以上、せめて対等と言える条件を付し合うのが賢明だろう。

 男は数瞬間思考を巡らせる様子を見せた後、無愛想に腕を組んで一つ頷いた。

「……いいだろう。が、こっちもひとつ言っておくことがある」

 ここに来て、更に新しい条件でも付けるつもりだろうか。そう訝しんだ私達を他所に、男は徐に黒の上着のポケットから何かを取り出した。続いてピン、と何か金属が物にぶつかる高い音が聞こえてくる。

「俺は、周囲に不幸をもたらす“死神の呪い”にかかっている。千回振っても“裏”しか出ないほどの悪運だ」

 金属音と共に中を待ったのは金色の何か光る物。あれは、金貨だろうか。舞って、最高点に到達したそれが重力加速度を伴って落下してくる。
 元の位置へ戻ってきたコインを慣れた様子を見せながら掴み取った男は、開いた掌に視線を落とすと薄く不敵な笑みを浮かべた。どこか自嘲めいているとも取れるその目の先の金貨はきっと、言葉通りの裏なのだろう。

「要塞を抜けようとした時も、5人犠牲が出た。同行すれば、何が起こるか分からんぞ」
「何故そんな不利な情報を教えるの」
「業魔も理不尽に死にたくはないだろう」

 握られていたコインを不運の象徴と知らしめるようにベルベットへと投げ渡して、男が言い放つ。

「知った上で来るなら、自己責任ということだ」

 突き放す言葉に、彼女はどう答えるのだろうか。数秒の沈黙の間、視線が彼女へと集まる。まるでそんな注目すら鬱陶しそうに首を振ったベルベットは一言、「どうでもいいわ」という言葉と共にコインを男へと投げ返した。

「“裏”なら、自力で“表”にひっくり返すだけよ」

 返ってきた金貨を握る手を見た男が微かに目を見開く。……その手の中で、金貨は幸と不幸のどちらの面を示していたというのだろう。

「……ふふ、ベルりんらしい」
「だから変な呼び方やめて」
「あら、ごめんなさいベルるん」

 なんだか堪らず楽しくなって小さな声で呟いていると、流石の聴覚で聞きつけて怒られてしまった。今後彼女の聴力も如何程のものか試していきたいところだ。
 このやり取りを見ていたからというわけでも無いのだろうが、男がたった今からの同行者となった私達へと名を問い掛けた。ベルベットが名乗り隣の少年を二号と称したのに続いて、私も“私の”名前を告げる。最後によろしく、と締めたロクロウを見回して、男は言った。

「アイゼンだ」

 アイゼン……ならまぁ、アッくん辺りが妥当だろうか。





 アイフリード海賊団は、世間では最凶の海賊と称されているらしい。船長のアイフリードは鬼のように強く、その仲間達も命知らずの暴れん坊で、その強さといえば王国海軍を返り討ちにするほどである……というのは、別行動になる直前のダイルの談だ。
 そんな暴れん坊達がどのようにして要塞を攻略する事にしたのか。策を聞いた感想は、まさに怖いもの知らずだな、というものだった。

 海上要塞ヴォーティガンの守備は鉄壁で、海から攻めたとしても陸から攻めたとしても落とす事は不可能。それならば陸海同時に攻めてしまおうと、そういう結論に至ったらしい。
 海側にいるアイゼンの仲間の海賊達が、海賊船──バンエルティア号で攻撃を仕掛けて警備艦隊を海峡から遠ざけ、その隙に別働隊が陸伝いに要塞へ侵入、海門を開く。そして、艦隊を振り切ったバンエルティア号がすぐさま海峡へ突入して、別働隊を拾って海門を駆け抜ける。

「ひとつ間違えれば全滅だな」

 ロクロウすらも呆れて肩を竦めるような、無謀すぎる計画だ。

「けど、間違えなければ勝ち目はある」

 ベルベットは、無謀に乗るつもり満々のようだけれど。

 そんな計画の別働隊となった私達は、この洞穴を抜けた先にある要塞の入り口へ向かうため、前へと進み続けた。

「……少年、随分大人しいな。具合でも悪いんじゃないのか?」
「元々こうよ。二号は」
「やめろよ。二号なんて可哀想だろ」

 ずんずんと突き進むベルベットへ、潜めるようにロクロウが話し掛けている声だけが聞こえてくる。少年の事で何か心配事があるそうだ、が、それよりもこの一帯は他の場所よりも植物の繁茂具合が激しく感じられるのが私としては気になってしまう。
 しゃがんで、地面を触ってみた。感触での判別しかできないが、水気を多く含んでいるようだ。他の場所よりも水分が多いからこそ育っているのだろうか。それとも、何かしら地面の養分値が他と違っているのか──周囲の壁の岩の構成要素だって何か差異を生み出しているかもしれない。となると、少し引き返して様々な場所でもサンプリングを行う必要がある。

 よし、と立ち上がって回れ右をしようとした私の視界に、金の髪が映った。

「……あら?」

 私と聖隷の少年の目が合う。キョロキョロと辺りを見回していた様子の少年も、思いがけず交わった視線に大きな目をパチンと一つ閉じて、不思議そうな顔をした。
 しかしその視線はずっと合っているわけでなく、彼の目は私のすぐ背後へと向けられる。何かあったのだろうか。振り返るとそこには、鮮明な赤色を持つ花が咲いていた。

「そうね。洞窟でここまで見事な花を咲かせるなんて、確かに凄いわよね」

 少年が興味深そうにするのも納得だ。1人頷いた私は花へと近付くと、その目の前にしゃがみ込んだ。

「この花はね、種子に滋養強壮の作用があるのよ。まさかこんな場所にまで咲いているなんて、効能に違わない丈夫さを持っているのね」

 各地を転々と旅して回っているとはいえ、ここまで奥地の洞窟を訪れる事など滅多に無い。それ故にまだ持っていなかった知識だ。
 文献では知る事のできないイレギュラーとしての情報を得るには、やはり実地調査が必要不可欠だと身を以て思い知らされる瞬間であり、新しい発見に心を躍らせる瞬間でもある。

「ちなみに私達がよく食べるアップルグミの赤には、この花弁の色素が使われたりもしているの。けれど花弁自体には疲労を回復させるような効能なんて欠片もない上に、アップルグミに種子の成分が使われている訳でもないから、不思議な話よね。昔の人は何を思ってそんな意味の無い事を──」

 言葉を切る。少年の反応が無いからという訳では決してない。ガサ、と聞こえた、不自然な音に思わずといったところで。
 嫌な予感に振り返ると、そこには目を見開きながら両手で口を抑える少年と、彼に肉薄してその大きな鋏型の肢を振り上げているサソリの業魔の姿があった。

「っ……!?」

 不覚だ、気が付かないなんて。花に夢中になりすぎただとか、少年があまりにも静かだったからだとか、そんなもの言い訳にもならない。
 咄嗟にステッキに手を掛けてみるもここからでは業魔まで攻撃が届くことはないし、私が距離を詰めるよりも先に、あの鋏が少年を貫くだろう。けれどせめて投げつけることで注意を逸らせないか試みるしかない──そう、鞘を固定する留め具を外した時だ。

「ふ……っ!」

 アイゼンが放った風の術が業魔の頭部へと直撃し、その風圧で身体ごと吹き飛ばして消滅させる。

「大丈夫か、少年!」

 それに次いで、慌てた様子で駆け寄ってきたのはベルベットとロクロウだ。
 彼らがかなりの速度で走っている事やアイゼンの立ち位置を総合的に見たところ、私と少年はこの場所に取り残されていて、あわやはぐれかけていたらしい。迷惑はかけないと言っていたのに迂闊だった。が、彼らの気は私よりも少年に向いているようだからお咎めはさしてないだろう。
 呑気にそんな事を考えながら、私もステッキの留め具を止め直して彼らの元へと近付く。

「なんで声を上げないの! 気付くのが遅れてたら、死んでたわよ!」
「…………命令だから」

 声を荒げたベルベットへ、少年は少しの沈黙の後、口を開いた。

「『口をきくな』って……」

 彼の言葉に、ベルベットの顔色が急激に変わる。怒りからの紅潮から、血の気が引いた蒼白に。そして、再び激昂の赤へと目元を染めて、彼女は叫んだ。「あれは違う」と、少年の細い両肩に掴みかかりながら。

「あんたは……なんでそんな!」
「落ち着け、ベルベット」

 隣に立っていたロクロウがベルベットの肩を、彼女とは正反対な優しい手つきで掴む。引き剥がされるようなベルベットの手から解放されて、よろけた少年の背中を私は支えた。
 しゃがんで、少し乱れた白の装束を整えてやる。

「お前、対魔士に使役されていたのか?」

 その様子と、なおも変わらない少年の虚ろな目を見ていたアイゼンが尋ねた。私達が応えるより先に、少年が頷く。

「やはりそうか……。こいつは“意思”を封じられているんだ。本来、聖隷は人間と同じ心を持つ存在だ。だが──」

 そうね、と私は頷いた。少年の頭を撫でてから立ち上がり、アイゼンの言葉に不可解と言わんばかりに眉を寄せたままのベルベットとロクロウを振り返る。

「対魔士が強制的に聖隷の意思を封じているのよ。……理知に従って動く道具とするのに、感情は不必要だという理由でね」

 私の顔に、嫌悪は滲んでいなかっただろうか。今更そのようなボロが出るほど演技は下手でないと自負しているものの、こうやって思わず口を出してしまうほどの不快感に苛まれているのも事実で。動揺はどうしても人の平常を奪うから、口を開いてから自身のしくじりに後悔が生まれてしまったのだが。
 しかし、ベルベットはそんな私の様子に特に何も疑念は抱かなかったようだった。

「ずっとこのままなの?」

 そう、どこか悲痛さを押し殺した声で尋ねてくる。アイゼンは静かに首を振って「わからん」と答えた。

「対魔士の配下から脱した聖隷は初めて見た。──お前は何か知っているか?」
「さぁ。私の専門は業魔だから、聖隷の事は詳しくなくて」
「ふん……?」

 残念な事に、アイゼンは私にどこか不信感を抱いてしまったようだけど。
 腕を組み直しながら私を見ている男の視線にあからさまな気付かないふりを決め込みながら、私は自分のすぐ真横に立ち尽くしたままの少年の頭をもう一度撫でた。

「そのうち何とかなると良いけれどね。ほら、これがあの花の種よ」

 先程の検分の際に採取したものを掌に乗せて、目の前に出してやる。ともすれば見失ってしまいそうな小さな種だけれど、彼の視線は確かにそれを捉えるため、私の手の上に落ちてきた。
 ……きっと気休めではないだろう。何とかなるという言葉は、きっと。勝手に頷いて納得しながら、私は少年の手を取ってその白くて柔らかい手に、一粒の種を置いて握らせる。

 大地に埋めれば根付き開き色付く赤い花の影を、まだ見えない彼の瞳の奥の輝きに重ねながら。

「…………というかそもそも、何であんたまではぐれてるのよ。学者先生」
「……ああ、やっぱりお咎め無しにはいかないみたいね」

休眠



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