A BOUQUET OF FAIRYTALES FOR YOU

CIRSIUM - valentine day 2024 


 ニキのスマートフォンに、『折り入って相談があるんですが……』とメッセージが入ったのは一昨日のことだった。送り主は篠崎さくらという女優さん……別にこれはそういう詐欺メールではなく、ちゃんと本人からの連絡だ。
 曰く『バレンタインデー用のお菓子の作り方を教えてもらえませんか』と。加えて『お礼と言ってはあれですが、昨日現場でいただいたフィナンシェを持っていきます』と。添付されていた写真に、最近SNSで話題の店のロゴが入った1日限定50箱の焼菓子が写っていたなら、断る理由など皆無だった。

 ……一瞬だけ「あれ?」と何かが引っ掛かった気はしたが、細かいことは気にしないことにした。



 そして今日、件の人物はカフェシナモンの営業時間が終わった頃を見計らって、エプロンの入ったトートバッグを抱きしめながらそわそわと現れたのである。

「すみません、無理を言ってしまって……こちら、例の物です」

 ススス、と差し出された菓子箱にテンションが上がる。それにしても、限定50箱を丸々差し入れてもらえる現場なんてすごい。
 そしてその箱をそのまま渡してくるさくらもすごい。ちゃんとお渡し用の紙袋まで添えてくれているけれど、これも併せて貰ったのだろうか。まるでわざわざ手土産用に買ったみたいだ。

「材料も全て持って来たので、えっと……ニキさんは是非ご指導をお願いします!」

 赤色のエプロンを張り切って身に纏い、さくらは調理場に荷物を取り出していく。フォンダンショコラを作りたいとリクエストをしたのは彼女自身だが、並んでいく材料はまるで教えを請う必要などないくらいに、しっかり過不足なく揃えられている。
 そして、早速指導が始まったわけだが──

「とりあえずオーブンの予熱をしておきますね」

「すみません、湯煎用のボウルをお借りしても良いですか?」

「メレンゲを作るの、あまり得意じゃないんですよね……」

 ニキが何を言うまでもなく、さくらはテキパキと調理を進めていく。なんなら普通に手際がかなり良い。テンパリングまで的確にこなされたなら、流石のニキも『何かがおかしい』ということに気がついてしまう。そしてその意図についても、察しがついた。

「…………あっ! ニキさん、生クリームの量ってこれくらいで大丈夫ですか?」

 たまーに思い出したように聞いてくるのが、全て理解した立場からするとちょっと面白かった。



 かくして菓子は無事に焼き上がり、彼女は冷えたそれを丁寧に型から外して一つ一つラッピングしていく。ずらりと並んだその列は、何とも圧巻だ。月並みな表現だが、売り物だと言われても疑わないくらいに上出来である。

「七海ちゃんや、現場の皆さんに渡そうと思ってるんですよね。えーっと、1、2、3……」

 わざとらしく数を唱えて、最初は原材料が入っていたトートバッグに成形物を入れていった彼女は、わざとらしく「あっ」と声をあげる。その視線の先には6つも残ったフォンダンショコラがあった。

「予定よりも多く作ってしまいました……。そうだ、ニキさん。良かったらこれCrazy:Bの皆さんで食べてください」

 わざわざ持参していたらしい紙袋に余った菓子を入れてニキの前に置くと、さくらは有無を言わさぬまま片付けを手早く済ませて帰っていった。
 去り際には懇切丁寧に三つ指をつくようなお辞儀で礼を言われたが、そのノリはまぁ中々に──どこかの誰かさんの姿を思い出してしまうくらい強引だ。



 戸締りを済ませたニキは、有名店のロゴが入った紙袋と可愛らしいハート柄の紙袋の二つを手にぶら下げて、星奏館に帰ってきた。玄関を抜けて共有スペースへ……足を踏み入れた瞬間に聞こえたのは「よォ、ニキきゅん」という暴君の笑い声だ。

「遅かったじゃねェか! 俺っち腹減ったから、なんか作れ……って、ん?」

 いつも通りウザ絡みをしてくる燐音が、ニキの肩に腕を回す。と同時に、持っていた荷物に気づいたようだった。彼の視線が向けられたのは、箱に入ったフィナンシェではなく、中身のハッキリ見えるフォンダンショコラの方。
 うーん、なんとも丁度良い。

「何これ、美味そ。なーなー、俺っちの分は? 当然あんだろォ?」

 自分の分を問いながらも問答無用で紙袋を奪い取ろうとしてくる燐音に先駆けて、ニキはさっさとそれを彼の前に突き出した。どーぞ、とかけた言葉に浅葱色の瞳が虚をつかれたように瞬く。
 伸ばしかけたまま宙で止まった手に、『コズプロの毒針』には到底似合わないピンクの紙袋を引っ掛ける。もう一度、二度、燐音の目が瞬きをした。

「なんてゆーか……燐音くんとさくらちゃんって似てるっすよね」
「はぁ? ンだよ、急に……」
「それ作ったの、さくらちゃんなんで。燐音くんに渡すために色々頑張ってたから、後で感想言ってあげてくださいね」

 食べる前に30秒くらいレンチンね、と補足しながら横を通り抜けた時、燐音の耳は真っ赤だった。髪に紛れてしまうくらいに赤くて、ニキは一瞬だけ彼の耳が取れてなくなったのではないかと思った。

 燐音が素直でないのは、日頃の弟への言動に始まって重々知っていたが。まさかさくらまでが、何かと無理矢理な理由をこじ付けて本懐を成そうとするタイプだとは思わなかった。
 けれど、とはいえ、誤魔化して『渡せたらそれで良い』と思っていたとしたって──誰かを想って作ったのならば、その人から「美味しい」と言ってもらえた方が嬉しいに決まっている。

 自室に戻ったニキは、早速フィナンシェの箱を開いてその一つを口に運んだ。なんだかしっかりと良いように使われたわけだが、フィナンシェは美味しいし……燐音も喜んでいたから、細かいことは気にしないことにした。


Cirsium - 素直になれない恋



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