LILAC - element //nostalgia この棺は、ゆっくりと燃えているのだろう。ユキを閉じ込めたまま、じわじわと、その酸素を奪って四肢を焼いて。 夢ノ咲学院はユキにとって、死んでしまった『白峰ユキ』というアイドルを納める、一つの方舟のはずだった。生きていたいと足掻いて、絶望して。そしてプロデューサーとして生き返るための、息を繋ぐための、未来を望む汽車であった。 そんな場所で出会った友人達は──今、『五奇人』などと名付けられて迫害を受ける身となった彼らは、ユキに呼吸を注いでくれたのだ。1人のプロデューサーとして生き返った『白峰ユキ』を支えてくれた仲間であり、ユキが自分の音楽を貫くことを見守ってくれた同朋として。 ああ、燃える。燃えて、焼かれて、灰になる。 奏汰が、ユキと共に作った歌を口遊みながら、その首を切り落とされて討伐される姿を見た。宗が、ユキが幾ら案を提示しようとも譲ろうとしなかった芸術を、貶められて身を穿たれるのを見た。 プロデューサーとして舞台の袖で彼らを見つめるだけの、アイドルではないユキには決して手の届かない照明の元で、彼らは砕かれた。野次馬と暴徒が埋め尽くした観客席から、怨嗟の焔に焼かれて、殺された。 見ていることしかできなかった。それは、罪だろうか。 fineの台頭により、零を始めとする五奇人はまともに学院を歩くことも出来なくなってしまった。それは当然、五奇人に『与して』他の生徒達の権利を奪ったユキもだ。 ──与する? ふざけないで欲しい。ユキは惹かれただけだ。彼らの歌に、演技に、舞台に、生き様に。そして彼らが認めてくれただけだ。ユキの音を、想いを。だから手を取り合った。笑い合った日々があった。 ただ曲を欲しがるだけでロクな練習もせず、ユキの音楽を使い捨てるような人々より、彼らを愛してしまっただけ。それだけの話なのだ。 その何が理不尽だ。努力が正当な報酬となり、怠惰は確実な負債となっただけだろう。現にユキは五奇人でなくても、レッスンに真面目に取り組む生徒のプロデュースを行なっている。 そう。堕落していく者に引き摺られたままに、誰にも届かず消費されて捨てられる音など、ユキは作らない。そう決めたのだ。 舌打ちと共に、五線譜に新たな音を書き連ねる。夕方の校舎、片隅の忘れられたような空き教室が、ユキの避難場所の一つであった。 そんな場所の扉が、3回、ノックされる。15ma altaのF。零ではない。あの男の奏でる音は、もっと力強く響く。 返事を待たずに扉が開いた。空き教室なのだ、咎める理由はない。──そこに立っていたのが、たとえユキ達を追い詰めている張本人であったとしても。 「随分探したよ、白峰君。こんな所に居たんだね」 「忙しいだろうと思ってたけど、案外暇なのか。天祥院」 美しい金髪、澄んだ水の瞳。天使のような美しい顔の青年は、やはり美しく笑って室内へと足を踏み入れる。丁寧に扉を閉めて、彼は振り返った。 「残念だけど、暇は無いかな。今こうしてここに来たのも、君と『交渉』するためだから」 握っていた鉛筆を机の上に置く。短く息を吐いて、ユキは視線のみで天祥院へ着席を促す。……宗ほど、彼の全てに敵愾心を示すつもりはない。とはいえ、零のように全てを受け入れてやる心算もないが。 彼はゆったりと余裕を持った動きで斜め前の座席の向きを変え、そこに腰掛けた。偉そうに足でも組むかと思ったが、案外そんなこともなく礼儀正しい姿勢だ。 「プロデューサーである君の元にも連絡がいくとは思うけれど、今週末、日々樹君とライブ対決をすることになったんだ」 「……やっと終幕か。良い役者を選んだな」 「そうだね。彼はきっと、僕達の意図を汲んで完璧な幕引きを演じてくれる」 黄昏時。窓の外の空はまるで炎に染められているようだ。遠く、下校途中の生徒の声が聞こえてくる。腹から発せられていない、アイドルには有るまじき笑い声だと思った。 青年の髪が赤い光に照らされる。彼自身も燃えているのだろう。自らが放った火に撒かれて身を焦がす、憐れな姿だ。 ユキも彼に向き直ると、微笑みを湛えたその唇が、動いた。 「だからと言って、そこで美しく幕を下ろすことは難しいだろう。痛快な物語に、人は『続編』を求める。それが蛇足だと想像もできずにね」 「回りくどいな。この学院にはそんな馬鹿しか居ないって言ったらどうだ?」 「もっと分かりやすい『終わり』が必要だ。喩えるならば、五輪の表彰式と金メダル。甲子園では優勝旗の返還と授与。目に見える、そんな『成果』が」 なるほど、そのための交渉か。問答無用でないだけ、これまでと較べるとまだ良心的かもしれないが。 首を振って応える。 「思考は理解できる。その意図も。けど、俺は『嫌』だ」 「君の音楽を浪費させはしない」 ユキの言葉を、天祥院は遮った。少し前のめった彼が座る椅子が、ガタ、と音を立てる。 「白峰君。僕は、君に憧れたんだ。何があっても音を紡ぎ続けるその歌声に。傷を負ったとしても諦めようとしない姿が、あまりにも苦しくて眩しくて、僕に勇気をくれた」 白いシーツ、白い天井、全身に巻き付けられた白い包帯、漂う薬と消毒の匂い。抗生剤を繋いだ点滴の管も気にせずに、五線譜に想いを認め続けた。前へ進もうと、リノリウムの反射が示す現実から目を背けて歩こうとした。 その瞬間の記憶が、胃の腑から沸いて食道を焼く。思わず顔を顰めたユキに、青年が小さく「ごめん」と呟く。 「……だから、だからね。僕は君の夢も背負いたい。この学院を、君の音楽を多くのアイドルが奏でる場所に変えたいと思っているよ」 「俺の夢は、俺のものだ」 「腐敗した学院が変われば、君の曲に真摯に向き合う生徒が増える。君達も理解している通り、『これ』はそのための革命だ」 言いたいことだけ言って立ち上がった天祥院は、真面目に椅子を元の向きに戻す。 「これは『交渉』──そして『決定事項』だよ。白峰ユキ。僕達が勝利したら、その栄冠としてプロデューサーを貰う」 天使のような姿をした青年は、それでいて支配者の瞳を持っていた。実際、人間を多く殺したのは悪魔ではなくて天使なのだから、この人相にも納得だ。 ふう、と息を一つ吐く。先に彼へ着席を促した時と、同じものだった。1割の怨嗟と9割の諦観を捏ねた溜息は、埃っぽい教室の空気に混ざって消える。 「……白雪姫もいばら姫も、物語の最後にはお妃様になる。俺の行く先だって、きっとそんなものなんだろうな。 安心してくれ。俺達は、納得してる」 ユキの回答に満足したように微笑んで、天祥院は席を辞す。音を立てて引き戸を開いた後ろ姿に、ユキは最後に言葉をかけた。 「けれど俺は、『その時』までは彼らと居るよ」 「……それは、君が彼らのプロデューサーだから?」 「どうかな。あんたもいつか、分かるようになるさ」 振り返ることも応えることもなく、青年は教室を去っていった。 外が暗くなっても、ユキはここから立ち去ろうとは思わなかった。けれど、曲を作る気はなんだか無くなっていて、ぼんやりと硝子の向こうにある何も見えない夜の闇を眺めていた。 校内に人はもうほとんど居ないだろう。静寂が耳に沁みる。無音の世界は、まるで死を感じさせて痛い。 「──かくして、勇者は剣を振り翳して行進を続けるのです」 扉も窓も、開く音はしなかった。足音すらも聞こえなかったはずだけれど、突然聞こえてきた『声』に今更驚きはしない。 舞台に映える伸びやかな声が、狭い室内いっぱいに響き渡って沈黙を打ち消した。 「城を守る荒振神を鎮め、屍を操る人形使いを倒し、玉座に踏ん反り返る魔王も封じて、怒涛の快進撃! その勇姿を誰もが祝福します」 視界の端で銀の長髪が閃く。くるりと舞っては光を散らして辺りを照らす。机に頬杖をついたままのユキの周りで、彼は大仰に演じていた。 「そして勇者は、悪の魔術師を倒して姫君の洗脳を解くのです。それが、物語のハッピーエンド」 「けれどそれはあくまで一視点のお話。ハッピーエンドが『本当』の幸せなのかは、物語に示されはしない」 振り返った青年が笑う。紫の視線と視線が交わって、まるで自分も舞台上に立っているようだと錯覚する。もしくは、この場所が一つの完成された世界であるかのように──ユキの台詞の続きを、彼は待つ。 「姫は本当に、囚われていただけなのかしら。その心に、魔王の城で過ごした記憶は残らなかったのかしら」 大衆が望むのは勇者の物語。勧善懲悪、正義が悪を完膚なきままに倒す娯楽。悪党は、あくまでも装置だ。そこに感情を移しては、楽しくその血飛沫に拍手を送れない。喝采をあげられない。 魔王の城にも、美しいものがあったのだ。庭に咲き誇る薔薇の花。城内を照らす煌びやかなシャンデリア。囲む晩餐ではステーキの肉が堪らなく芳ばしい香りを放って、暖炉の優しい焔が火花を散らして凍えた身体を暖める。 見向きもされない物語の裏で、そんな血の通った生命が笑い合ったことなど、誰も興味を持ちはしない。 本当に御伽話の姫君達は、救いを求めていたのだろうか。美しく彩られた薔薇の城で、優しく看取られた棺の中で、彼女達は本当に目覚めを祈ったのだろうか。 「──その謎はきっと、善き魔法使いの子供が解き明かしてくれることでしょう」 仮面を被った役者は跪く。道化と怪人と悪党の面をして、ユキの手を取り、その甲にキスを落とす。 「さぁ、我らが唯一の姫君よ。夢から覚める時間です」 「ええ。『おやすみなさい』、私達の魔術師」 それが最期の大役を身勝手にも引き受けたユキと渉の、確かな約束だった。 その日の客席は満員御礼だった。演目への期待の囁き声、待ちきれないと叫ぶ声。それが自身らに向けられたものならば、どれほどの光栄だろう。 否、結局のところ彼らの言霊はユキ達に放たれたものに他ならない。物語の終焉を望む声。待ちに待った最終回に躍る心は、虫の翅を引き千切る残酷な子供のようにこちらへと手を伸ばしている。 堕天使のような黒い羽根を纏って、渉が満足げに笑う。まるでお誂向けの衣装に、ユキは呆れて溜息を吐いた。ここまでしろとは誰も言っていないが、彼はどこまでも完璧に役を全うするのだ。 「貴女の『衣装』だって、似たようなものでしょう?」 いつもの通り舞台袖で彼らを見守ることを決めたユキも、今日ばかりは私服だった。夢ノ咲の男子生徒の制服も、髪を雑に引っ詰めるヘアゴムも、顔を誤魔化すための伊達眼鏡も必要ない。 ふわりとスカートのレースを風にそよがせて、ユキは眉を下げる。事実、彼の言う通りだ。 「師匠、ユキねえさん」 見送りが、また1人。尤も、そのつもりなど無い良い子が1人。愛おしい五奇人の末っ子は、硬い表情のままだった。 渉が道化じみて戯けようと、彼はあやされてはくれない。少年は赤児ではなくて、ユキ達の確かな仲間で友人なのだから、当然だ。 「……やっぱり零にいさんの言ったとおリ、師匠は負けるつもりなノ?」 到底納得できないと、夏目が訴えているのは知っていた。たった1人、天才らと同格に祀り上げられた少年。元より才覚のあった彼は、こうして共に過ごす中で更に聡く、美しく成長した。その事実に、並々ならぬ恩義と、尊敬と、親愛を抱いてくれた。 そんな子供に、師と仰がれた魔術師は微笑む。弟子など取った覚えは無いと。彼は自分達とは違う、ただの『良い子』だ──どこまでも無邪気に、慕ってくれていただけの。 「だから。あなたが持参したその封筒は、どこかに仕舞っちゃってください」 夏目の手には、1cmに満たない厚さの封筒があった。「目敏いネ」と苦虫を噛んだ彼が作った、幸せの物語。事後処理にページを割いただろうが、この場を凌ぐのはきっとあまりにも容易い。 見開き5ページ程度なら、渉ならば一度も目を通さなくたって演じ切ることができる。 「ボク、頑張って考えたんだヨ。嫌なやつにモ、これまで馬鹿にしてきた相手にも頭を下げてサァ……駆けずり回っテ、何度も徹夜して死に物狂いデ」 ハッピーエンドは、本当なら手を伸ばせば届くはず星だった。 「ボクたちにも、『五奇人』にモ……幸せになる権利はあるでしょウ?」 ユキは少しだけ熱く揺らいだ視界を瞼で遮った。再び目を開くと、鮮明になった夏目の姿に手を伸ばす。ユキよりもほんの少しだけ身長の高い、可愛い後輩。そのブレザーを撫でて、そっと抱きしめる。 染み付いた薬品の匂いが、冷え始めた空気に流れて消えた。 「ありがとう、夏目。ごめんね」 「……ねェ。ねえさん、どうしてなノ?」 「正しい物語なんて、どこにも無いの。けれどどうか、私達の決断だけは間違いだなんて言わないで」 いつも艶やかな赤髪は、手入れを怠られて指通りが悪い。それを梳きながら、少しでも彼に最後の温もりを分けられますようにと、祈った。 辛い思いをさせると知りながらそんなもの、荒唐無稽かもしれないけれど。 「『悪役』にも幸福はありますよ。あなたはまだ若いから、分からないだけ……」 夏目の引いたシナリオならば、五奇人は救われるのだろう。救われ、天上に掬われて、そして誰も居なくなった大地には荒れ果てた戦の痕だけが残る。流した血潮も、心の傷跡も、『それだけ』が遺る。 それは終末の日より悲惨な、神話の終わりだ。 「自分たちの幸福のために、無数の他者を踏みにじってしまえば……私たちは本当に怪物になってしまいますよ」 淡々と優しく呟いた渉は、新たに舞台袖にやって来た『見送り』の姿に気付いていた。「そうでしょう、零?」とその名を親しく呼んで、彼は笑う。 海外にある姉妹校は、未だに落ち着いてはいないのだろう。落ち着くはずもないだろう──けれど、彼はこの最期を看取るために駆けつけた。その事実が、ユキ達の全てなのだ。 「俺としちゃ、夏目に一票くれてやりたいくらいなんだけどな」 ふぅ、と吐かれた息に、ユキも笑った。 「お前ら、もうちょい後輩の気持ちを汲んでやれよ。洒落者のこいつが目ぇ腫らしてまで頑張ったんだぞ」 「はい。その事実だけで、私はあらゆる艱難辛苦を甘んじて受けられます」 身体を抱いていた腕を解いて、赤い目元をそっとなぞる。夏目のその優しい眼差しを、ユキは忘れはしない。忘れるつもりなどない。 ああ、開演の時刻が迫っている。プロデューサー業を始めてたった半年ですっかり身に付いた時間感覚が、10分後の幕開けを知らせている。 これが最後だ。その跡に何が焼け残るのかなど知る由もないが、きっと灰となった棺は、骨は、肉体は、魂は、撒かれ満開の花を咲かせるだろう。そんな御伽噺を願うとしよう。 「ありがとう、夏目くん。ありがとう、零、ユキ。貴方達のことが、大好きでした」 門出の時。振り返ると少しだけ名残惜しい。 それでも、いっそ清々しいほど楽しそうに渉の瞳が煌めく。 「貴方達と過ごした日々は、青春は……キラキラと輝いていて、まるで……。ああ、自分の言葉で喋るのは苦手です」 「大丈夫。わかってるよ、渉。俺たちは、全部わかってるから」 孤高の天才達は──渉は、零は、きっと奏汰も宗も、夏目も、数年前までは音楽のことばかり考えてきたユキだって。もっと共に、放課後の屋上で歌ったり踊ったり、つまらない話で人並みに笑ってみたかった、と。ほんの少し、思ったのだ。 一ベルが鳴る。演者は初めの立ち位置へ。下手奥の袖へ立つ。 見送って、零は夏目の背を叩く。 「いつまでも居座ってたら邪魔だから、観客席に移動しようぜ」 残りの2人も彼は呼んだという。気が向いたら、応援に来てくれるだろう──きっと気が向いて、彼らは来ているのだろう。 「久方ぶりの全員集合だ。俺たち『五奇人』の終焉を、特等席から見守ろうぜ」 カラリと笑った零に、ユキは目を細める。緋色の眼差しが、佇むユキを捕らえている。 「ユキ」 短く呼んで、一歩。近づいた彼にユキも一歩、引き摺った足で応えた。もう二歩足を進めた零が、少し屈んだ。 優しく触れる、初めての口付けをした。 「じゃあな」 「ええ。さよなら、零」 くるりと振り返った青年は、立ち尽くしたままの夏目を軽々と肩に担いだ。うひゃあ、と思わず声をあげて「子供扱いしないデ」と抗議する『子供』が暴れても、動じずに彼は去っていく。 ユキも振り返る。ステージが始まる直前、その演者に声を掛けるのは、ユキの『いつも通り』だ。 「こんな終末においても、いつものように騒がしいですね」 「……そうね」 夏目の声と、零の豪快な笑い声は、すでにある程度の距離が開こうがよく通る。 開演を待つ観客達の歓声よりも、ずっと、ずっと。 薄い手袋に覆われた渉の手を取る。布ごしのそれは確かに温かかった。 「おっ、『いつもの』ですね? 是非是非、よろしくお願いします! 私、結構その『おまじない』気に入ってるんですよ」 「知ってるわ。……渉」 「はい」 「貴方の舞台が──良い夢の世界でありますように」 本ベルが鳴り響く。次第に客席のシーリングライトが落ちて、天国を模したような荘厳なステージが浮き彫りになる。 「友よ、麗しき青春の日々よ……また会う日まで、さようなら」 ますます大きくなるfineへの声援。五奇人への罵声。渉の声は、その言葉を最後にユキにも聞こえなくなる。 ユキには手の届かないステージへ駆け出していった姿を、舞台の袖からプロデューサーとして、ただ見つめる。見ていることしかできなかった。それは、罪なのだろうか。もしくはこの現実こそが、罰なのだろうか。 何一つとして分からなくても確かなのは、ユキが五奇人と呼ばれた彼らと共に居たこと。共に笑って、悩んで、苦しんだこと。全てが幸せだったと思えたこと。 ──それだけで、きっと十分なのだ。 Lilac - 友情/青春の思い出 |