A BOUQUET OF FAIRYTALES FOR YOU

ALLIUM COWANII - main story!! 1 


「『P機関』……ねぇ」

 次世代のアイドルを育て、支え、羽ばたかせるための一大拠点となる、アイドル達の理想郷『アンサンブルスクエア』。通称ES。
 ビルの内部には4つの芸能事務所を擁し、それぞれが牽制し、相互扶助に勤しみ、相対的にアイドルひいては娯楽という名の芸能活動の意義と価値を押し上げていくような仕組みを設ける。

 ESの仕組みの柱ともなる、各事務所の調停役として設立されるのが『P機関』。その名の通りプロデューサーが所属し、アイドルを管理・運営する絶対的立場としての地位や権力を保持する存在。
 ただし在り方故に汚職等の温床となり得ることから、構成員は特に厳選することとする。

 構成員候補者一覧。
 業界より第一人者兼意見番として、氷鷹誠矢氏。
 夢ノ咲学院教師、佐賀美陣氏。同所属、椚章臣氏。
 夢ノ咲学院プロデュース科、三田あんず氏。

 機関長候補。
 夢ノ咲学院プロデュース科、白峰ユキ氏。

 つら、と並んだ文字列に目を落とし、視線と指先を滑らせて。ふぅん、と呟く。
 手渡された27枚両面印刷の資料の内容は、粗方把握した。が、それは決して、資料を眉を下げながら渡してきた『皇帝』の思惑に従うためではない。むしろあの下がった眉尻は、この展開を見越したからこその表情だったのだろう。
 傍らに置いた杖を手に、ゆっくりと立ち上がる。トン、トンと地面に突きながら、紙の束を片手に向かうのはつい最近購入したばかりの、割と大きめの破砕機だ。

 うん、まぁ、そうね。

「──要らないわね」

 片面刷りだったなら、作詞のための走り書きメモ程度には利用できたろうが、致し方がない。
 呑み込まれた資料が回る刃によって粉々に砕かれる。その様子を見届けることもなく、ユキは回れ右をして元いたソファの方へと戻っていくのだ。










 指定されたのは、学院を卒業してからの数ヶ月間で既に通い慣れるほどには訪れた『建物』から、幾分離れた場所にある古びた喫茶店だった。
 古き良き純喫茶──と言えば聞こえはいいだろうが、年季の入りすぎた木目とそこに染み付いた煙草の匂いは、如何せん寄り付き難いものを感じさせるだろう。輝かしい世界に身を置く人間の価値観においては、特にだ。

 夏の盛り。茹だるような熱に覆われる外と比べて、店の中は逆に冷房で冷えきっている。経年劣化で異音を発する空調には、細やかな室温の調整など不可能なようで、持ち歩いていたストールを肩にかけて凍えそうな寒さを凌ぐことにした。
 そんなよく冷えた狭い店内には、未だユキと無愛想な店主の姿しかない。呼び出した張本人は遅刻のようだ。
 それが本当にルーズさから来るものなのか──それとも『白峰ユキ』の平静を少しでも剥いで自分のペースに巻き込みたいが故の行動なのか。『彼』を知っているユキにとっては、分かりきった問いであった。

 というわけで、律儀に到着を待つ必要はないだろう。どれほど遅れてくる気かは知らないが、先に何か注文して寛いでおくのが良い。
 こんな店だからどうせコーヒーか紅茶ぐらいしか置いていないのだろうと侮って眺めたメニューには、思いがけず柚子茶の記載があった。少し興味が膨らんで、他に何があるのかもロクに見ずに、店主へと注文を入れる。

 数分の時間をおいて、洒落たティーカップがニコリともしない淡白さと共に運ばれてきた。ユキはさほど人付き合いが好きではないため、逆に親しげに話し掛けられるより心地が良いと感じる。口に含んだその味も中々のものだから、ここを行きつけにするのも案外良いかもしれないと独りごちた。
 溶かしたジャムは自家製だろうか。なんなら、これを使った他のメニューもあったりして──ともう一度メニューを取ろうとした時だ。

 カラン、と。鳴るのは扉に取り付けられたチャイムの音。ミと、ソと高いレ。心の中で呟いて、和音を浴びながら現れた男にあえて視線を向けることはせずにメニューを開く。

「おっと、お早い到着で」
「ええ。スケジュールの管理は得意分野の一つだもの」
「キャハハ! さっすがプロデューサー様!」

 社会人として当然のことをしているだけだ、とは言わなかった。無遠慮に目の前の席に掛けた男を一瞥だけして、改めてメニューに視線を落とす。
 『バニラアイス(柚子)』というのは、バニラアイスに柚子ジャムを乗せているという解釈でいいのだろうか。興味はそそられるが、この寒さの中でアイスクリームなど食べる気もしないため、次回来た時に注文することにしようと思う。

「俺っちビールで! えっ、ない? じゃあホットコーヒーでよろしくぅ」

 居酒屋じゃないんだから、という突っ込みも面倒くさいのでやはりしない。メニューがユキの手元にあるにも関わらず、男がオーダーを通した様子を見届けて、ユキはメニューを机の上に置いて手放した。
 まるで意地の悪いことをしてる気分になる──が、そういうつもりではない。彼に渡す必要があるものを取り出すため、手を自由にしただけの話だ。

 男の注文したものが席に届くのも待たず、ユキは寝かされたメニューにまるで重ねるように、鞄から取り出した機械を置いた。
 男は少しだけ目を見開いて、へぇと呟く。無骨な銀の機械……ICプレーヤーを見つめて「仕事が早いじゃん」と、驚きながらもどことなく嬉しそうに。

「あんな雑なオーダーでここまでの曲を作れるなんて、私くらいだと思うわ」
「別に俺っちは、今日詳しく打ち合わせてから取り掛かってもらうで良かったんだけどなァ」
「馬鹿言わないで。ライブの予定が5日後なのに、そんな悠長にできるわけがないでしょう。今日デモを聴いてもらって、細かいところを手直しするのよ」

 そもそも作曲の依頼をライブ1週間前に行ってくること自体がおかしな話だ。それも事情が事情なら致し方ないと納得はするけれど、それはあくまでも相手方への理解でしかない。
 つまり、ろくな時間がないからといって『白峰ユキ』の名で駄作をこの世に残すなど真っ平御免なのである。それならば乏しい情報の噛み砕きにも労力を割き、睡眠時間を存分に削った方が良いに決まっていた。

 早速イヤホンを繋ぎ曲を聴き始めた男の前に、ようやく注文していたコーヒーが届いた。けれど彼はそれに口を付けることもなく、流れてくる音源に耳を傾ける。先までとは打って変わった、真面目な表情だ。
 この室温の中ではすぐに冷めてしまいそうだと思ったけれど、野暮だからわざわざ伝えはしない。ただ自分の飲み物が冷めて不味くなるのは困るから、一人静かにティータイムを楽しむことにした。
 渡されたイメージを基にした、5つほどのデモ。Aメロ、Bメロ、サビのみを連ねたワンコーラスの音源だとしても、5曲もあれば多少の時間を使う。

 たっぷりと10分は無言の時間が続いて、ようやくイヤホンを外した男はゆっくりと口を開いた。

「……2番目と5番目かねぇ。他も捨てがたいが、2曲も持ち歌がありゃあ新人としては上出来っしょ」
「そうね。じゃあそれで」

 指定された譜面、まずは2曲目のものをファイルケースから取り出して開く。イヤホンを片耳だけに着け直した男が、プレーヤーを再生しては鼻歌を口遊み、止めては巻き戻して聴き返し、を繰り返す様子を窺いながら赤鉛筆を走らせる。
 ここをもう少し盛り上げてほしいだとか、ここにタメが欲しいだとか、抽象的な注文も書き込んでいくうちに白い紙に踊っていた五線譜と符号たちは赤に埋まる。ここをリピート。ここに裏拍子を刻ませて休符。
 抽象を具体へと昇華させて、ユキだけが読める楽譜が完成する。これで、いわゆる第一稿だ。

「──じゃあ、これを基に通しの案を作るわ」
「さっすがユキちゃん。デキる女」
「いいから次。どんどん注文つけてきなさいよ」

 5曲目の楽譜を取り出して机に広げる。先の繰り返しで、形を作る。ユキが残した底だまりの柚子茶も、男が手を付けないまま置いているコーヒーも、どんどんと冷えていく。
 ただ、遣り取りの果てにようやくイヤホンを外した男と筆記具を置いたユキの視線が交わった時、そこにわざわざ文句をぶつけることはどちらもしなかった。強いて言うなら、カウンターで暇そうに新聞を広げている店主だけが、せっかくの飲み物が放置されている事実に不満を覚えてはいるのかもしれないが。

 ICプレーヤーをユキに返したそのままの指が、ようやくティーカップの取っ手にかかる。冷たいホットコーヒーに口をつけて、男は皮肉げに口の端を吊り上げた。
 「まァ、」と。どこか投げやりな響きを持った声だと思った。ファイルを鞄に直しながら、言葉の続きを聞くだけは聞く。

「こんだけやってもらったって『どう』なることやら、だけどな」

 ──依頼を受けた時に、彼『ら』の事情については大方聞いた。
 いわば捨て駒。切り捨てられ、消されるのをまるで待つような。それでも立ち続けなければならない崖の上で、文字通りの背水の陣で殺される瞬間まで足掻くなんて。
 そんな、大勢から見た取るに足らない存在がどんな武器を手にしたところで、それが意味を成すのかなど分かりはしない。否、彼らの存在と共に失われる文明なのだと、目の前の男は一つそのことを危惧している。

 ユキの『事情』を知っているからこそ。その懸念はこちらへの気遣いも含まれて空気に乗せられる。
 けれど、ユキはそれを鼻で嗤って、自身のカップへと手を伸ばした。

「……貴方が何を企んでるのかは知らないけれど」

 彼が話した事情も、『それ以上』の目論見も。別にどうだって良い。そんなものユキには何の関係もない。
 冷えた柚子茶を、底だまりの果皮と共に飲み下す。

「音楽が消えることなんてないわ。燃え尽きようが踏み潰されようが、きっと誰かの心には残る。私はそんな曲しか作らないと決めたんだから」

 希望を喪った遠い日。無我夢中に走って足掻いて、それでも夢を掴みたくて光に手を伸ばし続けて、けれど最後には四肢をもがれた痛みを抱いて。
 行き着いた場所で見つけた歌は、ユキの誓いだ。もう決して、棺に閉ざされて忘却の淵に置き去りにはさせない。そんな、過去から未来に繋ぐ約束なのだ。

 2オクターブ先のドの音が、ユキの置いた空のカップとソーサーが触れ合ったことを告げる。
 そういえば、とユキは男への信頼ゆえに後回しにしていた事項を思い出して、クリアファイルを一つ取り出した。ひらりと一対の書面を机に広げると、彼も「ああ」と納得したように頷いた。
 今回の作曲に関する契約書だ。あらかじめメールで依頼内容については定めていたが、詳しい委託内容について示しあう必要がある。

 不備がないかと紙面に目を落とした男が、しばらくして引き攣った声を出した。第3条第1項の2。報酬の項目。

「200万L$って……いやいや」
「文句を言うなら先を読んでからにしてちょうだい。今回渡したデモ5曲全部で、よ」

 5曲全てを提供すること。当該曲全てに係る編曲および作詞や振り付け案の作成等も料金内に含むこと。つまり気に入っているのなら、残りの3曲についても追い追い完成させて手持ちの曲に加えることが可能というわけだ。
 急な案件のための割増は掛けさせてもらっているが、そこまで無茶な率ではない。1曲あたり40万L$なら、ユキほどのプロデューサー相手ではむしろ安い方ではないだろうか。

「あとはそうね。わざわざ書きはしなかったけれど、『容認』するわ、っていう意味もあるかしら」

 所謂『迷惑料』だ──と言外に告げたなら、彼は整えた形の良い眉をピクリと動かした。

 これからの展開の中で、歌われた音楽が『白峰ユキ』が提供したのだと明らかになっても構わないという意。むしろ契約の中、理解した上で協力したのだと宣言されたって怒りはしない。
 まぁ、彼がわざわざそうする事はないのだろうが。それでもひた隠しにする必要はないと、ユキは目を細める。

「貴方の言いたいことも分かるもの。多少はね」
「へぇ……俺っちなんか言ったっけ」
「だから貴方は、『私』に声を掛けてきたんでしょう?」

 事務所から渡された曲を使うわけでもなく。手軽に依頼できる事務所直轄の作曲家に頼むわけでもなく。けれど決して『知り合い』だからという理由ではなく。
 P機関──ないしはESという枠組みからあえて外れ、フリーランスという立場で活動することを決めたユキに依頼を出したのは、つまりはそういう事だ。

 へっ、と笑ったのを答えとして、男は紙面に再び目を走らせることにしたようだった。

「分割払いで良いわよ。違法な手数料は取らないし、上手くやって後でしっかり払ってちょうだい」
「キャハハ! 流石、お優しいこった!」

 その『裏』に秘めた言葉についての言及は避ける。あくまでも現在、ユキと男は甲と乙として結ばれているだけの関係性なのだ。わざわざ突き詰める必要はない。
 ──彼がこの顛末の果てに、何を思い描いているのかなど。今のユキにとっては、踏み倒されさえしなければ関係がないことなのだから。

 署名と捺印を一対に書き、最後に割印をして。互いに一枚ずつを手元に置いた。ユキはそれを元のファイルに戻すと鞄にしまって、そして立ち上がる。

「曲が完成したらメールで送るわ。その後でまた対面での打ち合わせが必要なら、日程案を送って」

 隣の椅子に立て掛けていた杖を手に取ったユキを見て浮かべた少し痛ましそうな表情を、男はすぐに軽薄な笑みで上書きした。

「悪りぃなァ、わざわざ遠いとこまで来てもらっちまって」
「平気よ。タクシー代をケチるほど落ちぶれてなんていないもの」

 柚子茶の料金より少し余分だろうが、千円札を1枚机の上に置いて、古い木の扉へと手を掛ける。
 これを開くと、効きすぎた空調の元の寒い空間とは違う真夏の外気が身体に触れることになるのだろう。それが今の本来あるべき温度なのだと知っていても、このどこか歪んだ空間は去り難いものに感じた。

 だからではないが、一度だけ扉から手を離した。そして振り返る。
 見送るようにこちらを見ていた青い瞳を真っ直ぐに見つめ返して、ユキは笑う。昔取った杵柄。男が本来見慣れていたはずの、アイドルの微笑みを一つ。

「古馴染みのよしみで祈っておいてあげるわ」

 燃えるような真紅の髪がスポットライトに照らされる姿を、眩いシーリングライトがその肌を焼く瞬間を。思い描いて告げる。
 甲と乙の枠組みではなく。プロデューサーから、その『人生』に携わったアイドルへ。そして何より、かつての『ユキ達』にとっての数少ない友人へ向けて。

 ──きっと残酷な、呪いの言葉を。

「天城燐音。貴方のステージが、良い夢の世界でありますように」


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