軌跡

嘉月と弁疏 


 カトル・サリシオンは休日の昼下がり、通信端末の新たなアタッチメントを買うために、駅前通りのオーバルカフェを訪れていた。
 並んでいるパーツを時間を掛けて吟味して、納得のいくものを購入する。ついでにイルハンと理科大学で考案されている新技術についての噂話で盛り上がり──店を出た頃には謎の満足感に自然と顔が緩んでいた。

 FIOを連れてバス停へと向かうための歩道橋を登る。半ばの階段を降りて島となったターミナルへやってきた時、ふと向こう側の岸、《ウェストン百貨店》から見覚えのある姿が出てきたのが目に入った。
 ヴァンだ。何か思案するような表情の彼が顔を上げたところで、偶然目が合う。片手を上げてから、こちらにやって来た彼は、ここから更に違う地区に向かうつもりらしい。

「百貨店で何か買い物してきたの?」
「ああ、ちょっと服屋にな」

 あの建物には武器商店がある。おそらくそこに寄ったのだろうと予想していたが、外れだった。どちらかと言えば機能性を重視するヴァンが、防具を買うにしたってブティックに行くことも珍しいように思える。
 まあ、そういうこともあるのだろう。そうなんだ、と簡単な相槌だけ打って、カトルは建物の向こうに見えた導力バスに視線をやった。

◆ ◇ ◆

 ジュディス・ランスターがサイデン地区のホテルを訪れたのは、そこに宿泊している祖母の元を訪ねるためだった。昨日の夜、唐突に通信があったのだ。
 憂鬱で溜息が止まらない。確かにこの間もドジ踏んじゃったもんなぁ……怒られるんだろうなぁ……。1週間前の怪盗業でうっかり一般人と鉢合わせしてしまったことを思い返し、心中で盛大に頭を掻き毟る。

 指定された時間は15時。気が急いて、40分も早く到着してしまったため、少し時間を潰すことにしようと思う。折角なので、近くのブティックに向かうとしよう。確か、洒落た服を揃えた店があったはず──そうだ、嫌な気分は買い物で晴らすに限る!
 店内に足を踏み入れる。店員の気持ちの良い挨拶とマネキンが来た美しい服に心が躍る。どれを買おうか、鼻歌混じりに眺めていると店の扉が開く音がした。新たな客が来たらしい。

「……ん? ジュディスか?」

 聞き馴染んだ声に振り返る。そこにいたのはヴァンで、ジュディスもあら、と声を上げる。

「ストレス発散に来たのよ。アンタも珍しいわね」
「どういう意味だそりゃ」

 顔を顰めつつも店内を1人で物色し始めた男に肩を竦めて、ジュディスも自身の買い物を再開する。春の新作スカート、涼しげなブラウス、可愛らしい中折れ帽……一通り試着して、気に入った物を購入することにした。

 「程々にな」と一声だけ掛けて何も買わずに店を出て行った男の忠告も虚しく、お買い上げ金額は3万ミラと高くついたが、良い買い物ができて大満足だ。
 これでモヤモヤも吹き飛んで──ところで、私はなんでサイデン地区に来ていたんだっけ?

「……っああ!? もう15時半!!」

◆ ◇ ◆

 フェリ・アルファイドの本日の仕事は、《モンマルト》のお手伝いである。

 解決業務は休みだ。そのため事務所の皆、それぞれ自身の用事なりに出掛けて行ったわけだが、フェリには生憎日曜学校の宿題が残っていた。だからこそ、それらを片付けた夕方になって何かすることはないかと《モンマルト》に顔を出したのだ。
 折角の休日に勉強だけで終わるなんて! そう訴えると「働き者だね」と笑ったノアに、買い物メモを渡された。セントマルシェまで行って少し食材を買い足してきて欲しい、と。

「玉ねぎ6個、トマトを3個、ローズマリー……」

 『あと、残ったお金で好きなおやつを買ってね』と一番最後に添えられていて、ちょっと嬉しくなる。ノアのこういうところが、フェリは好きだった。

 頼まれたものを詰め込んだ袋を抱えて、おやつは何にしようかと考える。マルシェにあるカヌレが絶品だったはず。けれどなんとなく、アイスを食べたい気もする。うーん、と頭を悩ませながら市場を回っていると、視界の端に青いコートの裾が見えた。
 アパレル屋で、それはそれは真剣な顔をしているのはヴァンだ。声を掛けようかと思ったが、品物を見定めようとする眼差しがあまりにも鋭くて、憚られる。

 気配を消してその様子を観察する。5分経っても動かないので、アイスを買ってきて食べながら更に観察する。合わせて15分は商品を見つめ、彼は結局何も買わずに去っていった。

 何を見ていたんだろう。気になって、ヴァンが立っていた場所にフェリも立ってみる。
 その視線の先に映ったのは、吊り下げられた薄手のストール達だった。

◆ ◇ ◆

 アーロン・ウェイは、黒芒街をウロつくことにした。昼間から地上の方で知り合いと飲み歩き、その後1人でこちらまで出向いてきたのだ。
 適当に更に一杯ひっかけても良いし、余裕のある資金を元手に懐を温めるための賭け事に興じるのも良いだろう。兎にも角にも、ここにはある程度の刺激があるからこそ、既に酒精に火照った脳によく効く。

「…………あ?」

 ひとまず居酒屋へと足を向ける中、闇市の並ぶ一角に男が1人立っていた。骨董屋の老店主へ、苦渋を飲むような顔でミラを突き出している。
 紙幣を数える店主の手元に目を凝らしたところ、おそらく8000ミラ……随分な大枚だ。

「確かに。毎度ありがとのぅ」
「チッ……足元見やがって」
「ここに付け入る隙を持って来るのが悪いんじゃろうて」

 店に似合わず丁寧に包まれた品物を男が受け取る。一度悪態は吐いたが、ありがとさん、と軽い礼を言って振り返った男──つまるところアーロンの雇い主であるヴァンは、どこか満足そうな顔をしていた。
 歩き始めた彼は、まもなく様子を見ていたアーロンに気がつく。途端に顔を引き締めて、すっかり保護者面だ。

「明日は業務だからな。あんま遅くなるんじゃねえぞ」

 はいはい、と聞き流してひらりと手を振る。にしても、何を買ったんだか。ヴァンのことだから、どうせ珍しい導力車のパーツとかその辺りなのだろうが。




◆ ◇ ◆




 アニエス・クローデルが《モンマルト》にやってきた時、そこには朝食を摂っている最中の事務所の面々がいた。
 入店したアニエスの姿に気が付いたフェリが手招いて、彼らが囲むテーブルにつく。

「おはようございます。ヴァンさんとノアさんはまだなんですね?」
「ノア様は、モーニングの手伝いが終わったからと着替えに行かれました。ヴァン様は公衆浴場です」
「ああ、なるほど」

 既に寮で食事を済ませてきたアニエスは、ポーレットが出してくれた珈琲に手を伸ばす。ミルクと砂糖を入れて、くるくるとかき混ぜた。

「そういえばヴァンさん、昨日百貨店で服を見てたらしくて。ちょっと意外でビックリしたよ」

 トーストを齧ったカトルが、なんだか楽しげにくすくすと笑う。確かに、彼が百貨店で洒落た服を選んでいる姿というのはあまり想像がつかないから、少し驚くかもしれない。

「私も昨日見たわよ。サイデンの《エルラント》で……結局何も買わなかったみたいだけど」
「私もセントマルシェで見ました! 多分ストールを見てたんじゃないかと思います!」
「昨日なら黒芒街の骨董屋の爺さんからなんか買ってたぜ? 8000ミラも払ってたし、どうせ導力車関係だと思ってたが」

 ん? と、全員が顔を見合わせる。

「アニエスちゃん、来てたんだね。おはよう」

 心地よい響きの青年の声に振り返ると、すっかり街回りの支度を整えたノアが居た。いつも通りの黒いコート、首元にはストールを巻いて──

「……ノアさん、いつもと違うストールなんですね?」

 薄らと控えめにラベンダーが色付いたシースルーの生地は、輝く糸が編み込まれているのか導力灯によって上品に煌めいている。それでいて柔らかそうに揺れているところからして、彼の首の傷痕にも障ることはないのだろうと思う。
 似合っている。そう、非常に似合っている。だからこそ、ノアの装いに一同は色々な意味で釘付けだった。

「ヴァンがくれたんだよね。たまたま寄った店で、オレが好きそうなのが安くなってたらしくて。だから、ホワイトデーのお礼に買ってみたんだってさ」

 ほう、たまたま駅前通りから黒芒街まで色々な店を寄ったのか。ほう、8000ミラが安いとはヴァンさんのお財布は随分と潤っているようで。ほう、なるほど、ほうほう……

 いや、不器用か? 全員の心の声は、一致していたに違いない。

 十分後、蒸し風呂を存分に楽しんできた様子のヴァンは、所員たちに諸々気付かれているとも知らず、なんて事ない様子でノアに声を掛けている。が、きっと自身の贈り物を身につけたその姿に内心ではガッツポーズをしているのだろう──
 一同の生暖かい眼差しを、彼ら2人だけが知らないのだった。



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