きみがわらうまで。
気まぐれな脳が身勝手にさ。
古い記憶なんかを、ふと思い出したりすることってあるじゃん。
その記憶が自分にとっていい記憶なのか、悪い記憶なのかはその時によるけど。
でもさ、さっき俺の脳が思い出したのは。
悲しくて寒くて辛くて。
嬉しくて温かくて幸せな。
小さい頃の記憶だったんだよ。
― きみがわらうまで。 ―
俺は、自分で自分が憎くなるくらいに弱かった。
通り過ぎる人は、俺を蔑んだ目で見下ろす。
特に大人達はみんな、俺をめがけて突き刺すように罵声を吐いては何処かへ消えていく。
酷い時には、空き缶や石を投げ付けてくる奴や、蹴飛ばしてくる奴もいた。
痛くて痛くて、動けなくなる日もあった。
怖くて逃げたいのに、逃げられない。
足元の水溜りにうっすらと映った自分の顔を見ては、お前のせいだと何度も呟いていた。
自分以外には見たことのない、銀色の髪と、紅色の眼が本当に嫌だった。大嫌いだった。
何度か自らの手で命を絶とうとしたこともあった。
生きていても、何の価値も見出せない。
誰からも必要とされない。
それどころか、悪魔のようだと忌み嫌われている自分に、存在意義などあるはずがない。
そんなことを考えながら訪れた或る静寂の夜。
薄汚れた路地裏の奥に、隠れるように蹲った。
そして俺は、大嫌いな瞳を静かに閉じ、息を止めた。
暗闇の中で敏感になる両耳が、俺の心臓の音を聴き取るのをやめない。
その音が喧しくて憎くて仕方が無かった。
息を止めるだけでは死ねなかった。
だから今度は自分の首を両手で掴み、力を込めた。
ぎりぎりと音がするぐらいに強く、強く締めた。
でも、苦しくて苦しくて。
頭が真っ白になりかけた頃、俺は手を放してしまった。
生きるのも死ぬのも苦しいなんて。
俺は混濁する意識の中で、涙をこぼして泣いた。
この大嫌いな奴らだらけの、恐ろしい世界で俺は。
それ以上に大嫌いな自分自身とどうやって仲良く生きていけばいいんだろう。
考えれば考えるほど、小さな脳が破裂しそうな程に熱くなる。
やがて、巡り巡る思考が頭痛に侵食され始め、静かに意識が遠退いていった。
まるで身体ごと闇の中に溶けていくかのように。
瞼の裏側が明るくなって、まだ生きていることを思い知らされる。
そっと開いた目は、昨夜泣き腫らしたからなのか違和感があった。
視界が狭く感じる。でもそんなことはどうでもよかった。
結局、苦しみを味わいながらでなければ死ねないと知った俺は自ら命を絶つことはできなくなった。
これ以上苦しまなければならないなんて。
この路地裏から出ればまた、大嫌いな奴らが俺を苦しめるだろう。
まだ痛む頭を押さえながら蹲ると、渇ききったはずの頬が再び濡れだした。
次から次へと溢れゆくそれすらも、吐き気がする程に鬱陶しくてたまらない。
ひとしきり泣き終わった頃、誰かが俺の前に立っているのに気が付いた。
また痛い思いをするのかと思うと怖くなって身体が強張ってしまう。
でも、その子は俺に小さな声で話しかけてきた。
『…なきむしくん』
恐る恐る顔を上げると、俺と同じくらいの背丈の子どもが俺のことを見下ろしていた。
紺色の瞳に、短めなのにも関わらず、さらりとした黒髪。
どちらも俺にはない、綺麗な色だった。
その子は背に陽の光を浴びながら、困ったように笑った。
『ケガだらけ、痛い?』
俺の手足や首にできた爪痕を見てか、心配そうに尋ねてくる。
黙ってただ、こくんと頷いた俺に彼は手を差し伸べた。
『いっしょに、かえろ』
確かに、帰ろうと言った。
その言葉が理解できなかった。
帰る?一体何処へ?
俺の帰る場所なんて何処にも無いのに。
躊躇っていたのを見かねて、彼は俺の手をそっと掴んだ。
俺は驚いて、掴んできた手を思わず振り払ってしまった。
一瞬、きょとんとした表情を見せて、もう一度俺の手を掴む。
自分でも分かるくらいに、俺の身体は震えていた。
『だいじょうぶだよ』
彼は小さな声でそう言った。
俺は彼に手を引かれて、長い道のりを走った。
見たことのない景色が流れていく。
彼が走るのをやめて、ゆっくりと歩き始めた頃には日が落ちてきて夕焼けになっていた。
そんなことには全然気が付かないくらい、走るのに夢中だったらしい。
『あそこにすわろう』
彼は河原を指差すと俺の手を引きながら、少しずつ緩やかな下り坂を降りていく。
夕日が河の向こうへと沈んでいくのが見える。
こんな景色を目にしたことがなかった。
きらきらと光る水面の橙色に見とれていると、隣に座り込んだ彼に座るよう促された。
俺は小さく頷き、腰を下ろして膝を抱える。
『ここなら、こわくないよ』
にっこりと笑って、彼も水面を眺め始める。
『ぉ…』
『?』
無意識に口から声が出た。
彼がきょとんとした表情で俺を見る。
『お、ぉれ…あたまのなかがおかしいんだ』
聞き慣れない自分の声。
紡ぎ出される、理解し難い言葉。
それでも彼は黙って俺の声に耳を傾けてくれた。
『ぃ…いきていても、しのうとしても、くるしいんだ。じぶんがなんのためにうまれてきたのか、
かんがえてもかんがえてもわからなくて。いたくて、くるしくて、つらいんだ…』
こんなに話したのはどれぐらいぶりだろう。
頭の中にあるものを口に出して言うことはすごく難しくて、うまく言葉にできなかった。
『もう、やめにしよ』
水面を眺めながら、彼は俺のとは違う言葉を返してくる。
『かんがえるのはやめにしよ。くるしいこととはさよならしよ』
小さな石を拾い上げると、遠くの方へと投げた。
ポチャン、と音を立てて沈んでいく石を真っ直ぐに見つめたまま、続けた。
『きみがわらうまで、いっしょにいる』
そう言った後、彼は俺を見てやわらかく微笑んだ。
それ以来ずっと。
彼は俺の傍にいてくれた。
いつの間にか、自分の声よりも聞き慣れたその声は。
ほんとに優しかった。
いつも自分の手を引いてくれたその手は。
ほんとに温かかった。
大嫌いだった自分を、好きになってくれた彼は。
色んなことを教えてくれた。
俺と仲良くしたら、危険な目に遭うかもしれない。
でも、どんなに非難の目を向けられても彼は俺の手を放さなかった。
空き缶や石が飛んできても、俺の傍から離れなかった。
――だから。
俺は思ったんだよ。
今度は俺が。
君のために何かしたいんだって。
君のために生きていきたいんだって。
今じゃ、口にする言葉の量も。
俺の方が多くなってきたけど。
あの時君がいてくれたから。
俺はこうして笑うことができるんだよ。
本当、ありがとな。
今までもこれからも。
俺は君のために生きていく。
end
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以前支部に上げたものでした。
改名前に書いたものだったので
今はマイピク限定に変更してあります。
六兆年と一夜物語を聴いていた時に
気が付いたら衝動的に書いていました。
前半結構ダークですね。すみません。
読んで頂き有難う御座います。
御退屈様でした。