「今日、…オムライスにす、るぞ」

「ん、分かった。じゃあ仕事行ってくるから。危ないから戸締まり忘れんなよ?」

「うん、任せて」



ちゅっ、と柔らかいキスが額に落ちたかと思うと、平和島静雄はもう玄関で靴を履いていた。これから仕事に出かけて、だいたい夜の8時くらいには帰って来る。取り立てが上手く行けばの話だけど。

退院してから一週間、あたしは平和島静雄の家に連れて来られて暮らしていた。きちんとした生活をしてるか心配になるから、と言われたけれど…平和島静雄だって不規則不健康な生活していたじゃないかと、ちょっと思った。ベランダにバーテン服と並べてあたしのAラインスカートの真っ黒なワンピースを干す。黒と白が、四角く切り取られた灰色の額縁の青空の中でひらひらと揺れていた。それだけがあたしと彼の世界なんじゃないかなと、リビングから眺めて思った。

それからあたしは二人の体温がまだ薄ら残った敷き布団に近寄って、ぐしゃぐしゃな布団達をきちんと部屋の端に畳んで置いた。動かす度に平和島静雄の匂いがするから、ちょっとだけ顔を埋めてしまったのは内緒。あたしはつまり、凄く幸せなんだ。



「はい。……あっ、赤林、さん」



黒電話の音が携帯から響いたのは、微睡んでいた昼下がり。電話の主はあたしの予想外な相手だった。彼は飄々とした優し過ぎるくらいの言葉であたしに新宿まで出て来ないかと提案し、電話を一方的に切った。あたしは平和島静雄との平穏を奪われてしまう気がして「行きたくない」と部屋の中で小さく呟く。目の前に赤が揺らいで、シンナーの匂いが頭にじわりと広がった。あたしは幸せを壊されたくなかった。



「来ないと思ったからねぇ、わざわざ来たよ」



その直後、玄関ドアの鍵がカチャリと開いて赤い派手なスーツに身を包んだ大柄な男が入って来た。忘れもしないあの夜のオジサンだった。今更あたしに何の用なんだろう。というよりは、あたしの居場所を何故知ってるんだ?味方…だったんじゃ?明らかに敵意を感じられる不法侵入者に、あたしはリビングの端に逃げて警戒体勢を取った。



「名無しちゃん、いや…迎えに来たよ。お父さんが」

「…何の遊びだ。帰ってくれ、別に呼んでない」

「…遊び?ハハハッ、それは名無しちゃんに言いたい言葉だ。お父さんに黙ってあんなバケモノと、」

「平和島静雄はバケモノじゃない!」

「…じゃあ、バケモノは名無しちゃんかねぇ?」

「!」

「名無しちゃんのお母さんは昔、俺に抱かれた。たっぷりの欲を注がれて不本意にも出来たのが名無しちゃんだ。だけどあの女は俺よりもあの頭のイカレた男との幸せを選んだ。結果的に名無しちゃんはバケモノになったじゃない。おいちゃんは哀しかったねぇ、一度は我慢した大事な大事な娘をバケモノにされて」

「嘘だっ、違うっ!父さんは、っ」

「100歩譲って、俺が本当に関係の無いおいちゃんだとして。それでも名無しちゃん、お前さんはマトモか?本当にバケモノじゃない?人殺しで、キチガイが?」

「やめて、違うっ!…今は、っ」

「平和島君が可哀想だ。愛なんて知らないくせに愛されたがりのバケモノを面倒見るなんて」



目の前に居る男があたしに執着する意味が、今…分かった。混乱する頭を整理したくても出来なくて、あたしはただ言葉の代わりに叫んだ。怖い、平和島静雄、助けて、独りにしないで、愛して、…愛?…愛って何。…愛、怖いよ、苦しい、やめて!やめてやめてやめてっ!



「名無しちゃん、愛は痛いものさね」

「……やめて、平和島、静雄が、彼に、逢わない、と」

「あんな若造に俺の名無しは渡さない。血の人形、俺の娘」



ふわりと何だかくらくらしてしまいそうな香水が香ると、あたしはぐったりと動けない身体を男に抱き上げられていた。ゆっくりと向かったのは、いつか見た黒い車。あたしはこの車に乗る時、いつも泣いている気がする。

平和島静雄、オムライス…作ってあげられなくて、ごめんね。









「名無し、っ…何処にいんだよ、!」



今日は割りとスムーズな徴収が出来て、帰りはいつもより早かった。家で待ってる名無しに早く逢いてぇ。オムライス食いてぇ、腹減った。そんなことをぼんやり考えながら家に帰ると、玄関ドアが何故か開きっぱなしだった。俺は不安になって急いで中に入ったが、案の定名無しはいなくなっていて、携帯も財布も、ましてや外に出る時着ているワンピースも靴も置き去りになっていたから、俺はどうしようも無い不安感がMAXになって、また急いで家を飛び出した。

走り回ってたどり着いたのは臨也の野郎の事務所。来る途中で新羅に電話したが居場所はやっぱり知らなくて、心配したセルティが探してくれるらしいからお願いした。人手は多い方が良い。で、俺は嫌なことは全てコイツが元凶、そんな考えに従って此処に来た。ドアを蹴り飛ばして臨也の野郎に近づくなり胸ぐらを掴み上げる。



「おい、今すぐ吐け。手前…名無しに何しやがった」

「…シズちゃん、ちょっと落ち着き

「落ち着いてなんかいられねぇっ!どうせお前が絡んでんだろ!?早く名無しを返しやがれ!傷一つ付けてみろ、殺すだけじゃ済まさねぇっ!」

「整理するけど、名無しちゃんがいなくなったって事かい?それって買い物とかじゃないの。家に帰ったとかさ…シズちゃんってば退院してから名無しちゃんを軟禁してたんでしょう?そりゃ、逃げたくもなるさ」

「…財布も携帯も一張羅も靴も無しに逃げるのか、あ゙?」

「……とりあえず、俺は何も知らない」

「何も知らない訳ねぇだろ!」

「だから、本当に知らないって。でも、心当たりは無い事もない」

「!」

「……シズちゃん、俺は名無しの事気に入ってるんだ。あんなに歪んでて、あんなに人間らしい子…俺が陥れる訳がない。もし遊ぶなら俺が遊ぶよ」

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ!早く教えやがれ、このノミ蟲野郎っ!」

「…じゃあシズちゃん、迎えに行こうか。粟楠会に、俺らの愛しい子を」


















急展開杉田



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