「ん、」

「…名無し?」



目を覚ますと、あたしは暖かい色だけれど何処か寂しい無機質な部屋のこれまた寂しいベッドに寝ていた。消毒液のツンッとした匂いを感じながらぼんやりしていると、愛しい相手があたしを呼んだ。視線をゆっくり移す。平和島静雄があたしを心配そうに見つめていた。優しい眼差しを隠す濃い色のサングラスはしてなくて、眉毛を情けなくハの字に歪ませながら瞳をうるうるさせて。初めて見る表情に、あたしは可笑しくてちょっとだけ笑ってしまった。そしたら平和島静雄は情けない顔のまま嬉しそうに笑い返して来た。この顔も、好きだなって…思ったのは内緒。



「…宇宙人に攫われたのかと思った」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ!お前、俺がどれだけ」

「心配したか分かってんのか」

「お、おう、それだよ」

「大丈夫」

「何が大丈夫なんだよ、お前血出してたんだぞ!」

「静かにしろ、名前負け」



あたしが余りにもへらへらしてるもんだから平和島静雄は眉間に皺を寄せて怒った。ちょっと声が大きくなってしまったから…ほら、看護師さんもスマイルが引きつってるじゃないか。本当は…正直なところさっきからずっとズキズキと下腹部が痛い。一体どうしたのだろう、血尿しちゃうくらいだから腸とかがやられたのかな。あんな不規則な生活してたら当たり前か。というか、平和島静雄が何で居るんだろう。しかも…久しぶりに普通に話してる気がする。相変わらず良い声してるな。あたしは寿司屋の黒人の声が好みだから、平和島静雄の声はちょっとむず痒いレベルの良い声なんだけれど。



「失礼します。具合はどうですか?」



最近あまり呼ばれることのなかった(皆は名無しとかニセ貞子さんって呼ぶから)苗字を呼ばれる。心配してるのか怒ってるのか分からない顔してる平和島静雄の向こうからカーテンを開けて入って来たのは胡散臭い禿げ頭のおじさんだった。ただのおじさんじゃなくて、此処は病院だから勿論お医者様。あたしは看護師に支えられながらゆっくり上半身だけを起こして、枕元がグーッと立ち上がったベッドを背もたれに医者を見つめた。医者はちょっとだけ平和島静雄を見てから、言い難い感じであたしの具合を訪ねてきたのであたしは小さく頷いて笑った。下腹部の痛みを訴えたら入院させられるかも知れない。それは怖いから避けたくて。



「それは良かった。色々検査をしましたが…通われている産婦人科に行かれるのなら手続きをしますけど、どうします?」



は?

産婦人科?



「え、…はっ?」

「いや…あ、旦那様は外して頂きますか?」

「ちょっ、ちょっと待て。旦那とかじゃなくて、産婦人科ってなんですか」

「逃避したくなる気持ちは分かります。でも、気を落とさないで下さい。きちんと治療すればまた出来ますよ」

「………あたし、血尿じゃないんですか、腸とか悪いんじゃ?」

「…え、…ご懐妊されてらっしゃったんですよ?」



何を言っているんだヤブ医者め!と怒鳴りつけてやりたかったが、先ほどからずっとの言い難い感じを持つ医者の様子の理由に、ぴったり当て嵌まったから言い出せなかった。ただ、ただびっくりして…それに、怖くなった。何となく平和島静雄が見れなくて、どんな顔をしてるか気になるのに、旦那様じゃないって否定しなきゃいけないのに、怖くて、あたしは俯いてしまった。知らなかった。あたし、妊娠していたのか。子供が、人間が…もう一人身体に居たのか。気持ち悪い、吐き、そう…。

その後は、本当に悲惨だった。

あたしは驚きと混乱のあまり嘔吐して、医者はきちんと確認していなかった看護師を咎めながらもあたしに精神安定剤を導入した。

落ち着いてくる意識の中で、平和島静雄をちょっとだけ見たら、何とも言い難い顔をしてあたしを見ていた。ごめんなさい、ってなんだか謝ってしまいたくなって、あたしは顔を手で隠した。はらはらと涙が溢れる。怖くて、仕方なくなった。何であたしはこんなに厄介者なんだろう。



「しばらく入院しましょう。大丈夫です、心のケアは焦らないことが大切ですから」



張り付けたような笑顔を見せながら医者と看護師がカーテンの向こうへ消えて行った。医者の説明によれば、妊娠していたあたしは栄養失調や身体の不健康がたたり流産してしまったらしい。流産ってそんな簡単になるのかよ、って考えたけど…紛れもない事実だった。あたしの子宮にいた子は、あたしに気付いてももらえないまま…まだ小さくて虫みたいな、これから手足とかが出来るだろうって時にあたしのアルコールと涙によって流されてしまったのだ。あたしは、人を殺した。



「……名無し、お前…、あの時のだろ?…俺の」

「…ごめんなさい、怒らないで、あたしが、あたしが悪い、からっ」

「………お前は何も知らなかったんだ、仕方ねーよ。泣くな、俺が居るから。もう独りで泣かなくていい、独りになんかしねぇからな」



あたしは、平和島静雄がギュッと抱き締めてくれた腕の中で何度も謝った。平和島静雄は全部覚えていて、そして分かっていた。あの雨の日の夜のこと、一つも忘れていなかった。あたしが浅ましくも彼を求めたあの日に、さっき消えてしまった命が出来たことも分かっていた。それを全部全部受け止めて、自分だってびっくりしてるし混乱してるくせに…震える腕であたしを平和島静雄は抱き締めてくれて。泣くなって言われても止まらないあたしの涙を、全てを許してくれるように胸元に押し付けた。



「…っ…怒って、いい」

「名無しを?…何で」

「勝手に妊娠してて、それに勝手に殺した、から」

「勝手に抱いて、勝手に捨てた俺が怒る資格なんかねぇよ」

「…あたし、人殺しなんだ。だから、」

「名無し、言ってんだろ?お前を独りになんかしねぇって。だから、お前が人殺しなら俺もそれ背負ってやる。名無しをもう独りにしねぇって決めた。俺の覚悟だ」



平和島静雄の言葉と、暖かい腕の中で…あたしは胸に広がる何かを確かに感じた。

離れたくない、

傍にいたい、

独りじゃない、

あったかい、

ごめんなさい、

なんだろう、

言葉にならない。

ゆっくりと頭を撫でられる。あたしは平和島静雄の身体にしがみ付いていた手をちょっとだけ緩めて、左胸に耳を当てた。トクトクと波打つ心臓がそこにあった。言葉にならない気持ちがたくさん溢れて、もう怖くなかった。



「     」



唇で小さくなぞる、それ。聞こえないように紡いだ、それ。多分、この言葉が…正解だと思うけれどあたしにはまだ伝える勇気が無いから、ゆっくり瞼を閉じて平和島静雄の身体に全てを預けた。



「名無し、愛してる」

























やってしまった感


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