一花心の夢 | ナノ
はっきりと、行くな、と言えなかった。
止められなかった。俺には。
剣でしか生きることの出来ない俺に、そんな無責任な台詞を吐き出すことが出来なかった。
「理子殿が江戸に行ってから、そろそろ1年になるな」
「…ああ」
もう、ここに彼女はいない。
そう思うと、胸の奥がぽっかりと空いたような気分になって、今までに感じなかった気持ちに、俺は理子に惚れていたのだ、と今更になって気付いた。
でももう遅い。
届かぬ場所に行ってしまったのだと、理解出来たのは、最近になってからだった。
彼女は、今も元気だろうか。
彼女は、今は幸せだろうか。
不意に、そう考える時がある。
みーん。
夏の終わり、取り残されたように鳴く一匹の蝉の声。
どこか悲しくて、切ない叫び声。
彼女もきっと、こんな気持ちだったのだろうか。
「…理子」
呟いた彼女の名前は、晩夏の青すぎる空に吸い込まれて、夢のように消えていった。
(一花心の夢)