あっと思わず声をあげて、慌てて口を手で覆う。
日吉くんが迷惑そうな顔でこっちをじろりと睨んだが、ちがう、日吉くんじゃない。その金色もしゃもしゃの、芥川先輩の方です。芥川先輩は眠たげな目をゆる〜っとこっちに向け、何度か目を瞬いた。

「ん〜?おめーどっかで…」
「えっと、跡部様の…」
「ストーカーですよ」
「ちがうっ!」

しかし、幸か不幸か日吉の一言で思い当たったらしい先輩は、あー!あの時の!と急にテンション高く飛び跳ねた。どうやら芥川先輩にまで変な印象がついてしまっているようだ。ストーカーではないんですよ…(今は)と、必死で弁解したが、日吉くんには鼻で笑われた。
もう一度口を開こうとして、ジャージ姿でラケットバッグを背負って、校門を出ようとする姿に気がついて首を傾げる。

「部活はないんですか?」
「水曜は休みなんだC〜今から打ちに行くけど」
「へぇ、そうなんですか。私も休みなんです」

テニス部は休みなく部活だと思っていたから少し意外だ。いつも同じ日が休みだから気づかなかったのか。じゃあ失礼します、と小さく礼をした私は、2人をすり抜けようとして後ろにつんのめった。例えるなら超後ろ髪引かれた感じ。実際には、芥川先輩が私の鞄をわし掴んでいた。

「暇なんでしょ?」
「暇…ではないです」
「何があんの?」
「ロードワークを…」
「じゃあそれテニスに変更!」

ええっ!と抗議しつつ、2時間のロードワークをテニスに変換すると何試合分かを瞬時に考える。動体視力も鍛えられるし…いい、のかな?意外と乗り気の私に、日吉くんが苦い顔をして芥川先輩に抗議する。

「こんな素人連れてってどうするんですか」
「E〜じゃん!」

先輩である芥川先輩に言われてしまえば、いくら理屈が通ってなかろうが逆らえないようだ。E〜じゃん、で片付くとかすごい…と思って見てると、ひたすら日吉くんが悔しそうだったので、部活内での双方の立ち位置を何となく理解した。

結局、日吉くんに散々文句を言われながら、ストリートテニス場(っていうの?)に到着した。2人は着くなりラケットを取り出し、身体を動かし始める。うわ、そういえばジャージじゃん。私どうしよう。持ってるのは上のジャージのみで、下は陸上用のパンツしかない。別に恥ずかしいとは思ってないが、異競技すぎて面白いことにならないだろうか。でも運動するのに制服は頂けない。思い切って、いつもと同じ格好になる。日吉くんからも芥川先輩からもなんの反応もなく、私はそっと安堵の息を吐いた。良かった。悪目立ちしてないみたい。

「靴はどうすればいいですか?」
「テニスシューズ持ってないっしょ?それでいいよ」
「はい」
「…お前、それになるとアスリートっぽいな」

教室ではいつもぼんやりしてるくせに、と妙な言いがかりをつけられる。そんなことはない。いつも教室では暇さえあれば跡部様のことを考えてるし、ぼーっとしてる時間なんて無いに等しかった。
芥川先輩は私と日吉くんが同じクラスということに興味津々で、数学の先生は誰だとか、選択教科は何だとか、脈絡なく話した。

「私テニスって授業でしかやったことないですよ」
「じゃーまず俺たちの試合見てて!」
「はーい」

パコーンパコーンと上手く打ち合うのを見ながら気づいたことなんかを跡部様手帳に書き留めていく。跡部様手帳にテニスのことを書き込むなんて少し緊張だ。日吉くんと対等に打ち合っているのを見る限り、芥川先輩もレギュラーっぽい。そういえば、テニス部のレギュラーって日吉くんと跡部様しか知らないなぁ。いつもテニスコートを眺めてはいるけど、跡部様ばかり探してしまう。日吉くんのテニス見るのも初めてだ。

「あっ」

ふわりと勢いをなくしたボールがコートへ落ちる。てんてんてんっと跳ねて、やがてピタリと動きを止めた。

「ちっ…」
「へっへーん!俺の勝ちだC!」

薄く汗をかいた2人が話しながら歩いてくる。それを視界に捉えながらも、私の目はまださっきの芥川先輩の魔法を見ていた。まるでボールが羽根になったみたいにふわふわだった。何だろう、今の。

「どうだった?」のぞき込んでくる芥川先輩に息が詰まる。この気持ちをどう言い表すのが正解なんだろう。口を開け閉めして、言うべき言葉を探すけれど、上手く出てこない。

「一徳?」
「どうしたの?」
「っ……!」

目の前にあった芥川先輩の両手をガシリと握る。芥川先輩は珍しくびっくりしたように身体を反らした。

「すごかったです!!」
「へ?」
「ボールがっ…!ふわっと!」

何を言ってるか自分でもわからないほどだったが、何かしら芥川先輩には伝わってくれたようで、芥川先輩は段々と顔を赤く染めていく。被せていた私の手をほどいて、今度はぎゅっと握り返してくれた。固い手のひらが私の手を包む。

「ありがとー!」
「こちらこそありがとうございます!」

今のマジックボレーって言ってね、と得意げに話す芥川先輩の話しは相変わらずあっちこっち行っていたけれど、私を感動させるには充分で、私は逐一跡部様手帳にメモした。それがまた気分を良くさせたようで、芥川先輩はますます得意げに自分の技やプレイスタイルについて語った。
この場にいる人で唯一楽しくないらしいのは日吉くんだから、仕切りにテニスはしないのかと口を挟んだ。

「「ちょっと待ってて!」」

芥川先輩とユニゾンで言うと、思いっきり顔をしかめて、がくりと顔をうなだれた。


130204
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