跡部様手帳の活躍は多岐に渡る。
まず、さっき言った練習メニューもあり、そしてカロリー計算も担っている。ダイエットをしているという訳ではないが、1日に必要な栄養をしっかり取ろうという目標を掲げ、これも2年前から習慣になっている。だから今では無駄にカロリー計算が早いというスキルを得た。割に役立つ。

そしてもう一つが目標設定だ。一ヶ月ごとの目標を設定し、それに向けて努力する。少し難しい目標のほうが断然燃える。
勿論達成できるのは、跡部様の後押しあってこそ、だ。

部室棟からグラウンドへ出るときには、必ずテニスコート脇を通るし、グラウンドからもテニスコートが見える。跡部様のお姿を直接拝見できればなおよし、だが、それは周りにいるギャラリーのお陰でままならない。でもそれだけで、私には充分だ。

「よーい…スタート!」

先輩の合図で、勢いよく足を蹴り出す。
ビュンビュンと風を切る音だけが周りを支配する。

「まだまだ行けるんじゃねーの?」

ええ。行けます、跡部様。
一つ、一つとハードルを越える度に、足が踏む込む力が増していくのがわかる。
───もう一つ、

「きゃー!!虹子すごーい!!!」

はぁはぁと肩で息をする私に先輩が駆け寄ってくる。興奮したようにストップウォッチの液晶をこちらへ向けた。先輩がぴょこぴょこと跳ねるもんだから、ぶれてなかなか読み取れない。先輩の腕を掴んで、揺れるのを止めたら、もう次の瞬間には歓喜しかなかった。

「大会記録とタイだよ!!!」
「まじで?」
「虹子、アンタ凄いじゃん!」

ワラワラと集まってくる先輩に頭を小突かれたり、背中を叩かれたりとそれぞれのやり方で祝福される。痛い、ってことはつまり、夢じゃない。

「大会で出せなきゃ意味ないんだからね!」
「はい…はい!ありがとうございます」

やっと出せた言葉と一緒に、思わずじわりと滲んだ涙を、先輩は指をさしてからかった。
先輩らが、あたしも負けてらんねーと解散しだすのを見て、こっそりとテニスコートに目を向ける。相変わらず跡部様のお姿はちらりとも見えないけれど、小さく拳をそちらに掲げた。ありがとうございます、跡部様!
今日の事は忘れずに跡部様手帳に書き込まなくちゃ。
緩む口元を正して、先輩たちの呼ぶ方へ走った。正しきれていなかったようで、先輩らの熱ーい可愛がりを受けるはめにはなったが。


「お疲れ様でした!」

部活の間中、同級生やら先輩やら後輩やらに記録の事を褒められて少し有頂天になっているせいか、疲れが全然ない。着がえようとロッカーに伸ばしていた手を引っ込めて、みんなに挨拶するともう一度外へと足を向けた。学校を何周かして、それで終わりにしよう。

靴紐を結び直すと、うす暗くなり始めた見慣れた道へと足を踏み出す。校舎はほとんど明かりが消えていて、少し不気味だ。なるべく、校舎に目を向けないように、しよう…。

「おい、」
「んぎゃ!」
「なんだその声は」

さらさらと髪を揺らし、現れたのはまたまた日吉くんであった。その隣には、友達が爽やかだと大絶賛していた長身の彼がいる。名前は、ええっと…鳥、くんだっけ?

「ちょっとびっくりして…」
「ふぅん…それよりお前、まさかあの人を待ってるんじゃないだろうな」
「ん?」

日吉くんが訝しげな顔をして聞いてくることに、まったく心当たりがなくて鳥くんに助けを求める。びっくりしたみたいに、鳥くんは勢いよく知らないです、と首を振った。

「あの人だろ、このストーカー」
「あっ!違うってば!」

ストーカーは昔です!と胸を張って言いそうになったのを慌てて引っ込める。危ない危ない。それは墓場まで持ってくと決めただろう、虹子。じゃあなんでこんな時間まで走ってんだ、と眉間にしわを寄せた日吉くんに、短パンの裾の刺繍を指さす。

「私、陸上部なんだよ」
「見ればわかる」
「じゃあ察してよーー!!」
「…日吉、いい加減にしてあげなよ」

鳥くんが困った笑顔で助け舟を出してくれたので、ありがとう鳥くん!と言ったら、すかさず鳳だよ、と訂正が入った。…おしい!

「でも、こんな時間まで練習なんて、熱心だね」
「鳳くんたちだってそうじゃん」
「テニス部は強豪だしな。でも陸上部って…」
「心意気は一緒ってことだよ!」

強くたって弱くたって、勝ちたいという気持ちは平等だ。努力するチャンスも平等に与えられる。それを活かすか殺すかは自分次第。なら、私は活かす。一緒に頑張ろうぜー!と右手を掲げた私に、日吉くんは鼻で笑い、鳳くんは小さく右手をあげ返した。全くつれない!


130202
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