奇妙な噂を聞いたのは今朝のことじゃった。

あの真田が女子とつきおうとると。

その女子が朝霞由紀だということを知ったのはついさっき、弁当を携えていそいそと教室を出る朝霞の背中を見送ってからのこと。そういえば最近教室で飯を食べとらんかもしれない。そういえば最近真田が楽しそうかもしれない。事実と気のせいが混ざりあってようわからんことになる。

丸井はどう考えとるんじゃ。こんな色恋沙汰なんて、こいつが一番興味持ちそうなのに。もやもや悩んでてもしかたないと丸井に目を向けると、じっとさっき朝霞がでていった扉を見つめていた。

「なあ、仁王。朝霞が真田と付き合ってるってマジかな」
「今それを考えとった」
「やっぱ?気になるよな〜」

食事に目を向けなおし、菓子パンにかぶりついた丸井はいつもと違いどことなくぼんやりしている。

「どうしたんじゃ、まさか朝霞のこと…」
「ちっげーよ!むしろ逆だってーの」
「?」
「あいつおかしいじゃん。傍通るとめっちゃ見てくんの。しかも俺だけ。だから俺のこと好きなんだと思ってたら、こうじゃん。なーんか面白くねーよな」
「ブッ…クック…」

どこか見に覚えのある勘違いに思わず吹き出すと、丸井は不満げな顔で睨んだ。わかる。あいつはどこかおかしいんじゃ。話しかけると何故かまじまじと見てくるし、時々夢から覚めたような表情をする。それであんな勘違いも…ああ…忘れるんじゃ恥ずかしい。頬が少し火照ってきたのを感じ、他のことを考えるよう思考を誘導する。肌が白いから赤くなると目立つんじゃ。

「なんでよりによって真田!?俺のがかっこいいだろい!」
「それは好みの問題じゃろ。それに噂じゃ噂」
「火のない所に煙は立たないだろい。それによ、」
「なんぜよ?」
「朝霞、昼休み終わって帰ってくるとネクタイ取ってたりすんだ。何してんのか気になるよな」

ニシシ、と笑った丸井に思わずため息がでる。下世話じゃのう。まぁ、気にならないわけではないが。

「それが真田だとしても、アイツは結婚するまで手出さないとか言っちゃうタイプじゃろ」
「だっよなー!だいたい真田が女子と付き合うってのも信じらんないぜ」
「やっぱデマぜよ」

ほとんど真田と朝霞の話をして昼休みは終わってしまった。最後に丸井が一言、明日朝霞をつけよう、と言ったのに口端をあげるだけで答え、席に戻った。もう後何秒もしないでチャイムが鳴る。退屈な数学が始まる、と思った矢先、目の前に飛び込んできたのは見慣れた芥子色、を纏った朝霞だった。

ちょ、ちょ、ちょい待って!

とっさに丸井の方を向けば、同じように目を見開いてこっちを見ている。どっからどう見てもテニス部のジャージじゃ。ぱちくりと目をしたたいていると、丸井がジェスチャーで聞け!と煽ってきた。真顔で頷いて、肩に恐る恐る手を伸ばす。平然、平然を心がけろ。

「っ…朝霞?それどうしたんじゃ」
「ん?ああ、これ君らの副部長さんに借りたんだ。あの人は見かけによらず優しいね」

前を向いた背中から、微かに墨の匂いがした。他の男の匂いがする女っちゅーのは、こんなに興奮するもんなんか。

向こうで丸井がジタバタと動く気配がしたけれど、それどころじゃない。いつもよりもドキドキと高鳴る胸を、沈めるように顔を伏せた。




やっと数学が終わった。着慣れないジャージの袖をまくりあげてため息を吐く。芥子色は目立つ。ここに来るまでだって何人にも奇異の目で見られたし、授業中も何かと視線が痛かった。たしかにサイズも合ってないしみすぼらしいことこの上ないが、そこまで見ることもないだろう。

「由紀ちゃん、そのジャージどうしたの?」
「え、テニス部の副部長さんに…」
「きゃー!!やっぱり!」

言い終わる前に黄色い悲鳴を上げ始めて、耳がキーンとする。やっぱり、って何だって言うんだ。

「なんで?なんで借りたの?」
「汚しちゃって…」

グイグイと攻めてくる彼女達に自分の口数がどんどん減ってくのがわかる。墨がこぼれて、と説明するには習字を習ってることも言わなくちゃいけないし、それを言えばその経緯も聞かれる。それは些かめんどくさい。何よりこの子たち、怖い。

途中から返事をするのも怖くなってきて、ヘラヘラ笑いながらウンウンとただ頷いていた。早くチャイム鳴ってくれ…!

私の必死な願いを聞き入れたようにチャイムが鳴り、帰りのHRが始まる。ホッと一息をついたのもつかぬ間、後ろからツンツンと背中をつつかれて大げさにビビってしまった。

「お疲れじゃな」
「ああ、ありがとう」
「真田の相手はもっと疲れるぜよ」
「んなことないよ。真田は優しい」
「……プリッ」

相変わらず仁王のこれはわからんな。


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