幸村くんと接触する。そう決心してもう3日がたった。まともな接触らしい接触は図れず、ほとんど見てるだけ状態が続いている。幸村くんは普通に女子に囲まれていることが多く、なかなかその輪に入るのは難しい。入れても幸村くんに話しかけるなんて夢のまた夢状態である。周りの女子が次々と話しかけるからだ。

幸村くんを取り囲む女子の円に加わったまま、私はオロオロと視線をさまよわせるのが常だった。だって私幸村くんと仲良くなりたいとは思ってても幸村くんと何を話したいのか自分でもわかってない。

「由紀ってさ、どういう心変わりなわけ?いきなり幸村くんの追っかけみたいなことしてさ」
「…わからん」
「はぁ?なにそれ」
「う〜んと、なんとなく仲良くなりたくて…」
「なんとなくで行くにはハードル高いんじゃない?」

確かに一理あるかもしれない。なんとなく近づいていくのは難しい。何か明確な目的があった方がいい。話したい、だけでなく、何を話したい、といったように。でも趣味の話をするには彼のパーソナルデータを知らなすぎるし、あいにく花はやっつけで勉強するには難しい。

「……まゆちゃんは、真田弦一郎についてどう思う」
「怖い、近寄りがたい」
「ふむ、それでいこう」

何が?と唖然とするまゆちゃんを放っておいて、早速行動するとしよう。真田弦一郎に自ら近づこうとする女子がいれば興味を持ってくれるかもしれない。興味をもってくれなくてもどっちにしろ真田弦一郎には興味があったし。


…いた。

記憶よりも幾分か若い真田弦一郎が、真ん中の席にドンと座っていた。どうみても大将だ。ここは戦国時代だっただろうか。思ったよりもずっと近づきがたいかもしれない。

「真田弦一郎くん」

前に座っていた生徒と話していた真田弦一郎がゆっくり(に感じた)と此方を見据える。しまった、何も考えてなかった。

「習字を、教えてほしい」

その場しのぎだとしても上出来だったんじゃないだろうか。強い目でジッと私を見つめる真田弦一郎に怯みそうになるがグッと踏ん張る。ややあって、これまたゆっくり真田弦一郎が口を開いた。

「よかろう」

ほっと息をつく暇もなく、ただし、とでかい声で注意書きがされる。

「俺は厳しいぞ!」

ビビビっと体中に響き渡る声だった。その場しのぎのはずだったのに、真田弦一郎があまりにも真剣だからやる気がでてきてしまった。にやけそうになる口を抑えつつ、私も腹に力を入れて言葉を吐き出した。

「よろしくお願いします!」


昼休みに来い、といった真田弦一郎の言葉に従い、お弁当を携えて書道室に向かう。何時でも使っていいと許可を取っているらしく、道具を持ちえない私にとってはちょうどよかった。

「来たか。まずは昼飯だな」
「うん。そうだ、引き受けてくれてありがとう」
「俺とてむやみに引き受けたわけではない」

何だろう、と思ったけど、真田弦一郎はそれ以上口を開かなかった。それにしても真田弦一郎とこうして並んで食事をとることになるとは思わなかった。てっきり重箱に入った弁当でも食べているんじゃないかと思っていたが、真田弦一郎は以外と普通の、一般的な弁当をつついていた。

「真田弦一郎くんは、いつから習字をやっているの?」
「幼少の時からだ。祖父に仕込まれた」
「そうなんだ。今度私にも一筆書いてよ」
「考えておく。…お前は、習字の経験は」
「それが全く」

答えてから真田弦一郎にお前と呼ばれたことに気がつく。そういえば私自己紹介をしたっけ。してないな。しまった、なんて無礼なやつだろう。

「真田弦一郎。自己紹介が遅れたけど、私は朝霞由紀と言うんだ」

手を差し出すと、真田弦一郎の大きな手にガッシリと包み込まれた。これが立海テニス部を支える手なのか。この手が風林火山とかするのか。妙な感動を覚えていると、真田弦一郎が珍しく言いにくそうに言葉を発した。

「フルネームで呼ぶのは止めろ。真田でいいだろう」
「ああ、ごめん。真田の名前好きで」

何気なく言った一言に真田は口を一文字に結んで、こっちを見た。もしかしてコレは照れてる表情なのかもしれない。

「祖父がつけてくれた名前だ」
「ふぅん…おじいちゃんっこなんだね」
「そっ…!…いや、そうかもしれないな」

孫がこれだけしっかりした男になるんだから、すごく厳格な人なんだろう。家のおじいちゃんなんて優しかった覚えしかない。おじいちゃんが野菜を作ってたおかげで今だって一切好き嫌いがない。一昨年の春に亡くなったけれど、風化することなく心に住み着いていた。

「御馳走様でした」
「さて、やるか」

真田はすでに食べ終えて、弁当も片づけ終わっていた。待っててくれたらしい。意外と優しいやつみたいだ。

それから一筆書いてみたところ、真田の眉間のしわが普段の数十倍に膨れ上がったことは予想するまでもなかった。私は究極に習字が苦手なのだ。

真田に認められるようになるのはずいぶんと先のことになるかもしれない。


120730
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