アリババが修行を始めて何日か経った。相変わらずシャルルカンはスパルタだし、魔装は出来ないしで、少し焦りを感じていた。
うまく行かないことばっかりだ。
謝肉祭の日、アリババはフィデルが未だにあの部屋にいることを小耳に挟んだ。
そういえば長いこと姿を見ていないような…
あの部屋に出入りするという侍女に話を聞くと、行く度に「シンさんに会わせてください」と縋りついてくるんだそうだ。流石に不憫には思うが、進言することもできずにいる、と。
それならば、自分が。
彼が異世界から来ただとか俄には信じがたいが、彼の目は全くの曇りが無かった。まるでアラジンのようだとアリババは感じていた。だから、きっと嘘ではないのだ。
それなら、きっと心細い思いをしているだろう。仲間に会えず、帰る手がかりすら探すことが出来ないなんて。故郷を飛び出し、カシムを失った今なら分かる。アラジンに会わなかったら、一人きりだったから。そう決心して何日か。シンドバッドが捕まらずやきもきし始めたころ、ようやくチャンスは巡ってきた。
「シンドバッドさん!」
「やあ、アリババくん。どうしたんだい?修行の事で何か?」
たくさんの書類に囲まれて、少しげっそりした顔のシンドバッドはそれでも笑顔でアリババを迎えた。隣にはこれまた沢山の書類を抱えたジャーファルが控えている。なんとなくシンドバットの気持ちを察してアリババは気が重くなった。いや、そんな場合ではない。
「修行のことじゃなくて、フィデルさんのことで…」
「フィデル…?」
「え?」
「あ!!!!」
一際大きな声をあげたのはジャーファルだった。ばさばさと書類を取り落としながら、それを気にするでもなく青い顔を惜しげもなく晒した。
どういうことだ?
「えっと…まさか忘れて…」
「え!!あ…その…」
「…ジャーファル、どういうことだ?」
「っ…申し訳ございません!」
ジャーファルによるとこうだ。
初めはやるべきことが溜まっているから、少し隠しておこうと思ったが、日々の雑務に追われている内にすっかり失念してしまい今に至る、と。
「決して隠しだてするつもりはなかったんです!!」
「…お前にしては珍しいミスだな〜…」
必死なジャーファルとは対照的にシンドバッドは脱力しているようだった。
彼は決してジャーファルの事を責められなかった。なぜなら、彼もまたフィデルの事を忘れてたからだ。近頃は重要な案件ばかりで困る…。シンドバッドは言い訳のように、自国に帰らなかった日々の出来事を巡らせた。
「彼の事でシンに話しておくべき事があったんです。すみません…」
すっかりしょぼくれた態度のジャーファルは、「すぐにフィデルさんに謝りに行かなくては!」と腰をあげたが、シンドバッドに止められて我に返った。
斯く斯く云々とフィデルの事情について話し、時折アリババに確認を求めた。
「では、そのフィデルっていうのが俺の知ってるティーくんで、彼は異なる世界から来たと?」
「はい」
「そして、砂漠の迷宮の攻略者だと…」
「そのようです」
シンドバッドは低く唸って頭を悩ませた後、とにかく彼をこれ以上待たせる訳にはいかないと立ち上がった。
「フィデルくんつまんない」
「俺に言わないでください」
「君がつまんないから僕もつまんないんだよ」
意味がわかりません。
フィデルはそんな声を出すのも億劫になって、黙って窓の外を見つめた。ここに入って2ヵ月半あまり。もうこの景色も見慣れた。窓から木が何本みえるかも覚えてしまった(退屈すぎて数えた)。訪ねてくるのは侍女ばかり。すっかり仲良くなってしまって、慰められることもしばしばだった。
トントンとノックの音が響く。
はいはい、イアさんですね。どうせ返事をしなくたって容赦なく入ってくるんだから、ノックしなければいいのに。前に着替え中に入ってこられた時は焦った。完全にパンツ一丁だったもの…女性にあんなもの見せるなんて最悪だ。
ところが、今日は趣向を変えて入ってこないらしい。
「どうしたんですかイアさん。私鍵持ってないです…よ…」
です、辺りでガチャリと開いた扉の向こうに黄金。青い目と視線がかち合う。
「うわああああああああああ!!!アリババ様!!ちょっ…いだっ」
後ずさった結果、備え付けのミニテーブルもろとも倒れ込む。その拍子に髪を結っていた紐がよれてみっともない髪型になっていたけれど、フィデルが気づくことはなかった。それよりも目の前の人に必死だ。痩せた。前回会った時とは別人だ。
「ど、どうなさったんですか?私にご用が?」
驚きと嬉しさが入り交じる表情のフィデルを見て、アリババは苦笑いで自分の横を指差した。気づかないはずなどないはずなのに。
「久しぶりだね。ティー…いや、フィデルくんだね?」
「!!?シンさん!?」
フィデルはあまりに切望しすぎて幻を見ているのかと思った。気が付けばその隣ではジャーファルが申し訳無さそうに眉を下げている。
シンドバッドはこれまでの不始末を洗いざらい話した。何かしら意図があっての事だと考えていたフィデルは、むしろ込み上げる涙を堪えるのに必死だった。普通軟禁しておいて忘れるか?
同じ王に遣える身として言ってやりたい事は多々あったが、余りにも青い顔をしているものだから、フィデルは口を噤んだ。
侍女さんにも忘れられてたし、影薄い俺が悪いのかな…
気まずい空気の中で、気にしてないですよと笑うことしかフィデルには出来なかった。
130611