「は…?」

口をついてでたのはそんな間の抜けた音だけだった。たしか今訓練中で、上司に言われて、武器を取りに行って、そこまでで記憶が途切れる。幾度か記憶を辿ってみるが、決まってそこで途切れた。

「……陛下」

自分が仕えてるお方の名前を呟く。当然返ってくるはずもない。何故なら、自分がいたはずの王宮ではないからだ。目の前に広がるのはなんだかわからない草花。何時までも倒れ込んでいる訳にはいかず、さっと立ち上がって身なりを正す。
何か手がかりになるかもと花を一つ摘み、匂いを嗅いでみたりするが、今まで嗅いだどんな匂いとも似つかなかった。とりあえず、手持ちの袋に入れて採取する。

「戻らなくては…」

自分が今いる環境を見回す。高い壁に囲まれた岩倉の中にいるようだ。足元は苔のような植物でふかふかとしている。囲む岩はテラテラと光を反射していて、触ってみるとグニュリと指を飲み込んだ。
うわ、と声は出さえしなかったけれど、気持ち悪さに涙が浮かぶ。それと同時に知的好奇心も湧いてくるから厄介だ。ダメだ、と頭を振る。

外に出て、情報を集める。

それが今一番の優先事項であると頭に刷り込む。どこかは知らないが、早く帰らないと業務に支障がでる。というよりあの恐ろしい上司にブン殴られる。メガネの奥の柔和そうな目が残虐な色に染まるのを思い出して身震いする。ああ、思い出しただけで気分が悪くなって来た…。

よし、善は急げだ。壁に沿うように人骨が転がっているのをとりあえずシカトして、唯一の出口らしい頭上の穴を目指す。靴の仕込みナイフを壁に刺して、一歩一歩感触をたしかめつつ登っていく。グニャグニャしていて、安定しなさそうな壁だったが案外脆くはないらしい。ざくり、ともう一歩踏み出した時、嫌な予感がよぎる。

次の瞬間、柔らかい壁から明らかに殺傷能力のある蔓が次々と突起してきた。それも、猛スピードで。

「ぬわっ!!やっぱり、来ると思いましたよっ…と!!」

ギリギリ避け続けて、さっきより速いスピードで登っていく。蔓が壁に刺さる分足場ができてラッキーだ。ちょっと気を抜けば串刺しだけれども。脳裏にはさっき見た頭蓋骨に、ぽっかりあいた穴が浮かぶ。大丈夫。これくらいなら訓練の想定内だ。ヒントをくれた頭蓋の主にひっそりお礼を言った。

全ての蔓を避けきって、穴に入って一段落。と思ったら、今度は穴の先が急な坂になっていて滑り落ちる。

「ど、!?く…うっりゃあ!」

壁に思いっきりナイフを突き立て減速させるが、速度が落ちきる前に穴を抜けて今度は空中に放り出された。高いところから落とされるのは慣れている。またあのメガネが浮かんで吐き気を催したが、無事着地した。ああ、あの人のおかげだなんて、そんな…。相変わらず見えない空を仰ぎ、気分を落ち着かせる。そうだ、情報収集を任務だと思え。そう考えると、スッと意識がはっきりするのを感じた。

*

「ん…」

目を覚ました時に眼前に広がるのは青い空であった。周りは鬱蒼とした森が覆っており、綺麗な鳥のさえずりが聞こえる。それ以外は全く静かだった。先ほどあった、奇妙なくらい綺麗な青年を思い出す。自らを魔神みたいなものだと言った。信じがたいが、足元に散らばる金貨をみると夢ではなかったのだと記憶がそう言う。

「これはご褒美だよ」

遊んで暮らせると言って、指差した金貨の多いこと多いこと。性質上軽装を好むフィデルにとってはうっとおしいとしか言いようがなかった。元々最低限の生活ができればいいや、と思ってる質なのだ。それはご褒美にはなりもしない。
それより、特筆すべきは与えられた情報の方だった。

ここは所謂異世界というやつらしい。

ど、どういうことだ…。と戸惑ってる内に外へと放り出される。そして、今目が覚めたのだ。当然のごとくあの青年は居らず、それどころかあの岩倉の気配さえなかった。何かあったら力を貸すってそう言ってたじゃないか。と一人呟く。人の良さそうに笑っていた癖にいなくなったのかあいつは。

とりあえず、あんな得体のしれない人間(か、どうかも怪しい)に言われたことなどホイホイ信じる気にもなれず、当面の目標は人と会うことになった。町へ行こう。いくら異世界だとしても、通貨がある以上人が集まる町があるはずだ。今フィデルを占める感情といえば9割不安だったが、残り1割の好奇心が早く早くと背中を押した。

「フィデル、武器の整備は勿論しましたよね?」

よし、町!と一歩踏み出したフィデルの頭の中で上司の低い声が響く。そうだ、どんな時でも油断は怠るな。慌てて、武器を全て引っ張り出して整備を始める。それは長年の教育の賜物とも言えるし、上司への恐怖心の象徴とも言えた。

そして、フィデルは一つの異変に気が付く。

「何だこれ…六芒星?」

愛用の銃に刻まれた六芒星。それも綺麗に刻み込まれている。気味の悪さは感じるけれども、構えてみると確かにフィット感は自分の銃であるから捨てられやしない。頭を傾げながらも、一人考えたところでわかるはずもなく、適当に金貨をひっつかんで街にでることにした。

さて、近くに街があればいいのだが。


121210
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