陛下の話をしたくてたまらなかったが、なんとか自制心を働かせて上司の話をするに止まった。上司も勿論私にとってみたら偉い人だが、陛下を引きに出してしまえばおそるるに足らずだ。だいたい陛下のことなど私が軽々しく口にしていいものでもないのだ。

上司が如何に陰険で嫌みったらしいやつかを身振り手振りを交えて話すと、ドラコーン様はうんうんと興味深そうに聞いてくれた。勿論フェイクは交えている。そうしてやっと幾らか自分の話をする事ができて、張りっぱなしだった私の心は少し緩んだ。


貿易のことなんかを話すドラコーン様の話を、刻みつけるように聞いていると、トントンと控えめなノックが響いた。今、何時くらいだろう。窓から射し込む光は、少々オレンジを帯びている。もう、夕刻か?
頃合いを見計らって来ると言っていたサイを思い出して、ようやくノックの主に思い至った。ああ、きっとサイだ。ドラコーン様も、そろそろか、と広げた巻物を片付け始める。名残惜しいけど、これ以上時間を取らせるのも申し訳ない。倣うように巻物へ手を伸ばすと、急かすようにもう一度ノックが響いた。

「書は私が預かろう。また来ると良い」
「本当ですか!光栄です!」
「だから、行ってやりなさい」
「ありがとうございます!」

極力丁寧に頭を下げる。顔をあげると、ドラコーン様は少し目を細めていた。笑っているのだろうか。鱗に覆われたその表情は酷く分かりづらい。もう一度、ノックの音が響いたので、ドラコーン様に再び一礼して、ドアの方へと急いだ。そうだ、サイにドラコーン様の話をしよう。サイは八人将に憧れてるみたいだし、きっと喜ぶぞ。

そんな思いでドアを開けた私の笑顔は、ドアの向こうの光景に固まることになる。

「如何でしたか?ティーさん」

やんわりと微笑むのは、私の見間違えでなければジャーファルさんだ。あれ、サイ?思わず辺りを見回してしまったが、それらしい影どころか人がいる様子もない。

「サイなら他の仕事を任せています。代わりに私がご案内しましょう」
「えっ…」

とんだ落とし穴じゃないか!
たじろぐ私の腕を、ジャーファルさんはグイッと引き寄せ、私は完全に扉から飛び出てしまった。無防備すぎる。私は丸腰だし、ジャーファルさんはおそらく…武器を持っている。混乱のあまり戦闘態勢に入りかけた思考を、頭を振って追い出す。

ジャーファルさんは親切で言ってるんだ。
落ち着け、と小さく息を吐く。ジャーファルさんは上司じゃない。行きましょうか、と控えめに言ったジャーファルさんに、笑顔を向ける。

「如何でしたか?」
「ええ、すごく有意義でした」
「それはよかった」

うさんくさい笑み。と反射的に思う。王に仕えるという意味で、同業者だからだろうか、私の笑みも上司の笑みもジャーファルさんのそれもすごく似ている。当たり障りのない、つくられた笑み。見てるだけで疲れる。でもそうする理由も私にはわかるので、とやかくいうことはできない。おそらく牽制の意味も含めて、だろうし。

「シンはもう少しかかるようです」
「そうですか…そういえば、煌帝国とは友好条約を結んでいるんでしたよね」
「ええ」
「侵攻してくる可能性があると踏んだんですか?」
「…どうでしょう」

その答えを聞いて、あ、と思う。少し踏み込みすぎだろうか。一応仲良しでいましょうね〜という条約のはずだから、他国のよくわからないやつにこういうことは話したくないか。咄嗟にすいませんと謝って、次の言葉を探す。嫌だなぁ、コミュニケーション能力不足。知らぬ間に上司に頼りきりだった自分を叱咤する。

「シンドリアはどうですか?」
「へ?」
「全く知らなかったのでしょう?先入観なしに、どう映ったのか気になって…」
「ああ、そうですね…シンドリアは、シンさんに似ていますね」
「シンに?」

建国するくらいだから、よほどのことがあったのだろうけど、シンさんは明るい。それと同様に、なにか色々な事情を抱えているだろう国民も底抜けに明るい印象だ。
それを伝えると、ジャーファルさんは少し嬉しそうにそうですか、と小さく呟いた。
あ、それわかる。自分の国ほめられるとうれしいよね。
妙な共感を感じながら、門まで当たり障りのないことをぽつぽつ話す。

さっきのことがあって、政治のことにはあまり突っ込みたくなかったので、ピスティ様から散々聞いた、美味しい料理のことをまた繰り返す羽目になった。だってジャーファルさんに趣味とか聞いてもどうしようもないっしょ…。しかし、案外ジャーファルさんはその辺のことに無頓着で、なぜか私がオオウミムカデ(例のあれ)の話をする流れになっていた。ビジュアルを事細かに語ると、ジャーファルさんはそれはそれは気持ち悪そうに顔をしかめた。あなたの国の料理ですよ。それから、これまたピスティ様に連れまわされた服屋の話をして、今日の服装を褒められたからまた赤面してしまった。

「こういう仕事をしているとあまり服が必要なくて…」
「ああ、そうですよね。滅多に買い物になんてでませんし」
「ええ。大抵はこの服でなんとかなってしまいますしね。だから、休みなんて頂くとどうしていいか」
「今度案内しましょうか?」
「え?」
「あ、…アハハ、立場が逆ですよね」

思わず普通に世間話をしてしまって、苦笑いで話題を終了に導く。たぶんこの人に良く思われてないだろうに、私は何をいってるんだ。ジャーファルさんも少し意外そうな顔をして、いつもより少し硬い口調で「そうですね、お願いします」と言った。完全に間違えた気がする。
門まであと少しというところで、ジャーファルさんはコホンと咳払いをして、通る声で私の名を呼んだ。

「砂漠に、迷宮があったのを御存じですか?」
「砂漠…」

すぐに思い当たった。たぶん、マスティマさんの家の事を言っているのだろうと。アリババ様に「迷宮攻略者だ」といわれたけれど、それがここでどういう作用をもたらすのかが全く想像できない。ここにいるに当たって、迷宮攻略者ということは邪魔なオプションなんだろうか。できるなら隠したいけれど、アリババ様やアラジンに口止めしてない以上、ここで嘘をつくのは得策とは思えなかった。

「たぶん…知ってますね」
「そうですか」

何とも言えない沈黙のまま、門をくぐる。ありがとうございました、礼を言ってさっさと帰路についた。やっかいな気配しかしないので正直逃げてしまいたいが、お世話になりすぎたせいで、逃げることは憚られた。まったく、損な性格だ。


130203
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