麻倉葉/恐山アンナ
黎明。 日が昇り、差す陽光が民宿《炎》を照らした。目が眩んでしまいそうな程の陽光は酷く美しい。 珍しい事に、日の出前に目を覚ました葉は寝間着のまま縁側に胡座をかいて座り込む。 日が昇り、白む空を眺めた。 夜の暗闇に慣れていた目に陽光は辛いものがある。けれどそれを苦に思って屋内に入る事はない。 不意に、空へ向いていた視線を下ろして庭を見渡す。 微かに降りた朝露が反射してきらきらと輝く。まだ新しい緑がうっすらと輝くその様は幻想的で、自然と心を落ち着かせた。
──長い冬が明ける。
姿を隠していた緑は少しずつ顔を出し始め、やがては大きな花になる。それらが風に吹かれてさわさわと鳴る事はなんと素晴らしいのだろうか。
葉はそれを何より楽しみにしている少女がいる事を知っている。 しかし、その少女はここにいない。 深い眠りについて、目覚めを待っている。 冬の最中に、春を焦がれるように、葉は彼女が目覚めるのを待っている。
「何してるのよ、こんな朝早くに」
憮然とした声を背後からかけられ、振り返る。 葉と同じように寝間着のまま、眠たそうに立っていたのはアンナだった。 葉が力を得る為に、実家から寄越された少女。葉と同じように、春を待ち続ける。
「起きたんか、こんな朝早くに」
「目が覚めちゃったのよ」
「オイラもだ」
アンナは少しだけ目を伏せて、庭を見渡した。
「もう、芽が出てきたのね」
「ああ。陸の好きな季節が来るな」
「あの子は春も、冬も好きよ」
「そうだな」
ふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らしたアンナが縁側に座る。葉から少し離れた位置だった。
「早く、起きねえかなあ、陸」
「……まだ、無理よ」
「そうだなあ」
アンナに言われずとも、葉だってわかっている。 それでも彼女の目覚めが待ち通しくてたまらないのだ。 早く彼女の身体を自身の腕の中に閉じ込めてしまいたい。あの柔らかな髪を撫でて、キスをして。彼女の声が聞きたい。歌が聞きたい。 彼女が葉の名を呼ぶ度に、自分の名前がとても大切な宝のように感じられる。そしてそれはアンナも同じだろう。
「……陸が、目を覚まして」
「うん?」
「その時一番最初に会うのは私よ」
「それは聞き捨てならねえぞ」
「どうせアンタなんかS.Fで忙しくなって陸に会う暇なんか無くなっちゃうのよ。安心しなさい。そしたら私が陸と一緒にいるから」
「なっ!?」
なんて恐ろしい事を言うのだろう。 絶句する葉に、にやりと悪どい笑みを浮かべるアンナ。
「私は、アンタを認めてはやったけど、陸の傍にいていいとはまだ言ってないもの」
「初耳だぞ!?」
「弱っちい男に陸は渡さない。情けない奴らしかいないなら、あたしが陸も貰うの」
「え」
ふい、と葉から視線を外したアンナは朝露に輝く庭を見渡す。いつも剣呑に細められる瞳は、いつも以上に真剣みを帯びていた。
「アンタが、弱っちいなら。情けないままなら。陸は絶対に渡さない」
一切の、迷いが無い真実の言葉。肌を刺す微かな怒気。 アンナは何時だって陸を大切に思っている。 けれど、それは葉だって同じだ。
「──なら、強くなんねえとな」
ぴくりとアンナの肩が揺れた。少しだけ増した怒気に、葉は思わず苦笑する。 感情を隠すのが上手そうに見えて、案外分かり易い幼なじみだ。殊更怒りや苛立ち等に対しては、隠す事無く表に表す。まして殆ど手加減をしないから怖いのだ。 本当に、アンナは祖母に似ている。
「いい度胸じゃないの」
くつりと喉を鳴らしたアンナが立ち上がって葉に背を向けた。
「今日から特訓メニューは倍だから」
たった一言。重たい言葉を残して部屋に戻っていくアンナを見送る。 恐らく、通常なら泣いて嫌がる事だろうが、今回は訳が違う。 陸の為でもあるかもしれないが、一番は自分の為だ。葉が陸の傍にいたいが為にアンナの地獄の特訓メニューだって頑張れる。 だから。
「望む所なんよ」
強くなれるなら、守る力を得れるなら。
葉もアンナも春を待っている。ただただ純粋に、あの暖かな春を渇望する。 けれどその春が来る前に、この厳しい冬を乗り越えて見せよう。 全ては己の為に。
(ああ、待ち遠しい)
清明
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