あの子
陸は静かに灰色の空を見上げていた。動く事のない黒い雲と、血と硝煙を運ぶ風を受けながら。
ベッドと、椅子と机と小さな本棚が一つ。それが陸の部屋にある家具の全てだった。本当に必要最低限の家具しか置かれていない殺風景な部屋はいっそ清々しい程生活感が無い。 こんな寂しい場所に訪れる物好きはいない。陸の親兄弟などとうに土に還った。陸を《保護》した連中は恐れて近づく事はまずありえない。彼らが陸に近づくのは利用する時だけだ。 だから、陸に与えられたこの部屋に、訪れる奇特な人間はいない。
――いない、筈だった。
「また来たのかよ」
「はい、来ました」
ふわりと笑んだ彼女はまるで花のようだと言われているが、陸には到底そうは思えなかった。あんなモノが、陸の大切な《友達》と同列に表現されるのが嫌で仕方ない。
人間が、花のよう? 馬鹿を言うな。全く以て烏滸がましい。身の程を弁えろ。 大地に咲く、儚くも美しい花と、醜く争いしか生まない人間とが、同じ? そんな訳ない。そんな事が許されていい筈が無い。
「相変わらず、私がお嫌いですか」
「ハッ、好かれるとでも思ってたのかよ」
侮蔑を込めた眼差しで彼女を睨めど陸の怒りや憎しみは当然のように感受された。いつも変わらない彼女の態度が陸はこの上なく気に入らない。 なぜ、笑っていられるのか。世界はこんなにも汚いのに。こんなにも、失われてしまったのに。もうどうあっても取り戻せないのに。 なのにへらへらと、何でもないように始終笑っている彼女が大嫌いだ。
「さて。ですが、私はあなたが好きですよ」
彼女はにこりと笑う。
「優しい人。強い人。弱い人。だからこそ、あなたは全てに怒り、憎しみ、悲しみ、哀れんで、悼んでいる」
かつん、と軍靴に相応しくない軽い音を響かせて一歩一歩少しずつ陸に近づいた。
「抑えきれない激情を他人に当てるのは、間違っていると思いますが、ね」
彼女がそう言った瞬間に、端正な顔の真横を身を裂くように鋭い風が通り抜けた。ほんの少し裂けた傷から生温い鮮血が滴り落ちる。彼女は無造作にそれを拭い、純白の手袋に付いた赤色を見ても笑みを崩さなかった。
「元々の原因は、お前らだろうが!お前らが争いを止めないから、奪うだけで、育む事もしないお前らが今の世界を作ったんだろう!私の怒りを、憎しみを、抑えきれない程大きくさせたのはお前らじゃねえか!」
「確かに、返す言葉もありませんね」
今まで抑えてきた陸の激情は、もう止められない程に膨れ上がっている。そして陸は膨れ上がったそれらを抑え込もうと、感情を殺そうとしていた。 そうやって、この歌姫は色んなモノを背負っていく。 いつか壊れてしまうのではないかと危惧する程に。
「お前らが、いつも……!」
幼子のように拙く怒りを露わにする少女は、ただ悲しいだけなのだ。 少女にとって大切な《友人》が消えていく。それをどうする事も出来ず、ましてや自身は《友人》を消す原因と同じ。 悲しまずには、いられない。
陸の心は、少しずつ氷に覆われていく。
霜降
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