麻倉葉
ふと自然に触れたくなって後先を考えないで陸は散歩に出掛けた。 宛先や目的など一切持たずに、自由気ままに歩き回った。葉の友達がいる墓地へ行って街を見下ろし、上から見つけた公園へ歩みを進めた。 夏ならば緑が覆い茂っているであろう公園は葉を落とした木が並んでいるだけでどこか淋しげだったが、陸にとってどちらも愛する自然だ。なんの問題も無い。
そうしてふらふらふわふわと公園を歩き回り、不意に吹いた風が身体を震わせた。
(……う、わ!)
そういえば、今の恰好は薄手の上着を一枚着ているだけだ。 ただただ衝動に身を任せて大して厚着もしないで出てきてしまった。もっと思い返して見れば、誰かに出掛ける旨を伝えていない事を思い出す。
「やっべ……」
陸はぽつりと小さく呟いた。 きっと心配している。 葉と、アンナは怒っているだろう。勝手に出てきてしまったから。 いや、陸が勝手にふらふらどこかに行くのはよくある事だ。むしろ、彼らが陸を怒るとすれば、この冷え切った身体に関してだろう。厚着もしないで歩き回っていた事がバレれば怒るに決まっている。 なにせ彼らは過保護だから。
嘆息しながら冷たく悴んだ手を摺り合わせる。
(ああ、まだまだ寒い)
今朝見たカレンダー、そして今日の日付の下に書かれた《立春》の文字を思い出す。 暦の上で、もう春は始まった。 けれども実際は春が始まったとは言い難い程寒いではないか。 未だに霜は降りているし、風は凍ってしまうのではないかと危惧する程冷たい。羽毛布団は手放せない。朝、布団から這い出る事の辛い事といったら。
はあ、とまた一つ嘆息を零せば後ろから突然布の被せられる。
「わっ!!ちょ、なに、誰だよ!?」
被せられて狭まった視界に困惑する間もなく、何かが陸の身体に巻き付いた。強い力で拘束されて、抗おうと力を入れたら。
「陸」
馴染みのある声。そして陸の一等好きな声。 大好きな人。愛おしい人。 いつものんびりとした声音の彼は珍しく怒気を孕んでいて。
びしりと陸の身体が凍り付いた。背後から回る二本の腕が陸の身体を拘束している。
「陸」
もう一度名を呼ばれて、震える口を開いた。
「よ、葉、なんでここに」
「陸が勝手にいなくなるからだろ。コートも着ないで何してるんよ」
くるりと体勢を変えられて、不機嫌に眉を寄せた葉と対面する。 どうやら陸に被せた物は彼女のコートだった。葉はそれを陸に巻き付けて、断りも無く抱き上げた。
「え、葉……!?」
「いいから帰るぞ。氷みたいに冷えてるから、温めんと」
「……説教は?」
恐る恐る問えば、葉はちらりと陸を見つめた。 相変わらず眉間に皺が寄っている。
「帰ってからだ。とにかく、今日はもう離してやらんから、覚悟しとけよ陸」
「ええ!?」
「オイラに何にも言わないでどっか行った陸が悪い。コートも着ないでこんなに身体冷やした陸が悪い。よって陸に拒否権は無いんよ」
きっぱりと言い切られてしまえば、もう陸は諦めるしかない。 有言実行する男だ、彼は。 今日は一緒の布団で寝る羽目になるだろう。
葉の首に腕を回してすり寄った。 冷えた身体がじんわりと温かくなっていくような気がする。 けれど帰れば葉とアンナから真冬のように冷たい説教を食らうだろう。
ああ、春が待ち遠しい。 冷や汗が流す陸が切実に思う事はただ一つだ。
立春
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