「燐!勝手にスケジュールを変えないでって何度言ったらわかるの…!」
「……はぁ?変えてねーじゃん」
雪男の怒っている声をものともせず燐は台本をじっくりと読み込んでいる。新しいドラマの台本だ。どうやら今度は高校生の役をやるらしい。雪男を追い払うようにひらひらと手を振りながらも目は忙しなく動いている。本来ならば仕事の邪魔をすることはマネージャーとしてありえない行為なのだが、それでもこの件に関しては雪男も流石に口出しせざるをえなかった。
「だったらこれは何?何で僕の知らないうちにこんなにスケジュールが詰め詰めになってるわけ?」
「チッ…雪男には関係ねぇだろ。マネージャーのくせに口ごたえすんなよ」
「マネージャーでもあるけど同時にボディーガードでもあるんだから。何かあったらどうするの」
「そうやって言ってもう何か月過ぎてんだよ!何もねぇじゃねぇかクソが!」
燐は声を低くして唸るように吐き捨てた。
たしかに、そうだ。メフィストから女性関係で燐を逆恨みしている人間がいるかもしれないから守ってほしいと言われているのだが、今のところ何のアクションも起きていない。勿論こちらが気を抜いた隙を突いてくるかもしれないため手を抜くということは絶対にしない。…が、それにしたって燐からしてみれば雪男に監視をされているようなもの。本当なら雪男に自分宛ての郵便物を渡したり合鍵を所持されたりすることでさえも嫌なのだ。燐も口ではキツイことを言っているが、雪男の言いつけ通りそれら全てを素直に聞き入れている。我慢しているだけでも進歩したなと雪男が思えるぐらい。
互いのことを名前呼びで敬語なしという所謂”呼びタメ関係”にはなったが、それでも燐はそれ以上雪男を自分のプライベートに踏み込ませようとはしなかった。時間になってもマンションから出てこない燐を心配して部屋に入ったことは何度かあるが、それでも数える程度でしかも燐の寝室には一度も入ったことが無い。雪男もいくら自分が燐のマネージャー兼ボディーガードだからといって燐のプライベートにずかずか入り込もうなんてことは思っていなかったし、入るべきではないと立場を弁えていた。この件に関してはお互い暗黙の了解なのだ。
「それでも絶対に安全というわけではないんだから、最低でもスケジュールの変更は僕にも伝えてくれ」
「いちいちうっせーな…お前は俺の母ちゃんか」
「マネージャー兼ボディーガードだって言ってんだろ…っ!」
「つーか、こんなこといつまで続ける気だ」
「さぁね。少なくともあと数日で終わるなんてことは無いよ」
「…もうお前が死ねばいいんじゃね」
「そう簡単に死ねるか」
軽口を叩ける(燐は本気かもしれないが)ぐらいには馴染んでくれたのかもしれないなあ、と雪男は思う。自分も初対面時に比べて燐に突っ込んでいけるようになってきた。大物アイドル奥村燐に自分は気を遣いすぎていたのかもしれない。まぁ、こんなことをいちいち気にしているのは自分だけなのだろうが。
「……お前さ、」
燐が相変わらず台本に視線を落としながら口を開いた。いつもよりほんの少し控えめな声が何となく気になったのだが、それを問う前に楽屋の派手に扉を開ける音に邪魔されてしまった。驚いた二人は入ってきた人物に目を向ける。
「やっぱ奥村君やーん!久しぶりー!」
「おお!志摩久しぶり!志摩がいるってことはまさか…」
「あ、坊ならもうすぐ来ると思うで。さっきメイク終わったから」
「えっまじ!?会いてぇ!」
まず目を引くのはピンク色のふわふわとした髪の毛。メフィスト並みに奇抜な色をした髪の毛だな、というのが雪男の第一印象だった。一見チャラ男にも見える志摩と呼ばれた男はへらへらと笑いながら燐に手を振って近づいてくる。よく見ると腰にスタイリストが装備している物と同じ道具ポーチが付けられていた。
「えっと…スタイリストの方ですか?」
「おん、スタイリストの志摩廉造です。そちらさんは?」
さり気なさを装って雪男は燐と志摩の間に割って入る。見る限り燐とは知り合いらしいが何事も警戒することに越したことは無い。志摩は雪男を見てキョトンとしている。それでも嫌な顔一つせずすぐに笑顔で握手を求めてきた。
「初めまして、奥村燐のマネージャーの奥村雪男です。よろしくお願いします」
「へー奥村君マネージャーさん変わったんや。よろしくな!」
雪男も差し出された志摩の手を握り返してにこりと微笑む。燐のボディーガードをしていることはなるべく周りに言わないでおこうと予め二人で決めていた。雪男はボディーガードがいると公言した方が相手も警戒して仕掛けてくる確率が低くなるだろうと考えてのことだったが、燐は雪男と真逆の考えで、相手を油断させて仕掛けてきたところでとっ捕まえようというものだった。勿論雪男は反対したのだが、話を聞いたメフィストが燐の意見に賛成したためこういう方針となったのだ。
「志摩は元モデルなんだぜ」
「ちょっ!昔のことはもうえぇやん」
「あぁ、どおりで…オーラがありますね」
「今は坊の専属スタイリストやけどね」
「ぼん…?」
そういえば先程燐との会話にも出ていたな。専属スタイリストというぐらいなのだから芸能人か何かなのだろう。そんな呼ばれ方をしている人間は知らないな、と雪男は記憶を巡らせる。
「おいコラァ志摩!!お前どこまで行っとんねん!はよ戻って来んかい!」
「おお!噂をすれば本人登場ですわ」
「よぉ!勝呂!」
志摩とはまた別の派手な登場をしたのは、主にメンズ雑誌を中心に怖モテというキャッチフレーズを売りにして活躍中の人気モデル勝呂竜士だった。勝呂は額に青筋を立ててものすごい剣幕で志摩を睨んでいる。しかし志摩はそんな勝呂を見慣れているのか「やーん坊怖いー」と受け流している。怖モテを売りにしているだけあって普通の人間ならひと睨みされただけでもヒヤっとするぐらいだ。ピアスが沢山空いていて両手にジャラジャラと重そうなシルバーや数珠のようなブレスレットを付けているのもそう感じる要因の一つなのだろう。
「つーかお前何で奥村の楽屋におんねん。俺もう撮影始まる言うたやろ」
「だってぇ、坊恥ずかしがってなかなか挨拶に来ようとしませんやん」
「だっ誰も恥ずかしがっとらへんわアホ!」
「勝呂お前…なんか、ありがとうな」
「ちゃう言うとるやろ!」
関西弁…いや、京都弁なのだろうか、三人のやり取りを聞いているとなんだか漫才を見ているような気分になる。
「あ、何で坊が坊って呼ばれてるか気になってますやろ」
「えっ」
「勝呂はデケェ寺の跡継ぎなんだよ、これでもな」
「最後のは余計やろオイ」
それでも勝呂は満更でもないようで、ポリポリと頬をかいて目を泳がせている。
「で、子供の頃から坊って呼んでたのが癖になって今に至るっちゅーわけですわ」
「それじゃお二人は幼馴染なんですか?」
「俺の家系とコイツんとこの家系が大昔から親交あるんですわ。…えっと、」
「あ、申し遅れました。奥村燐のマネージャーの奥村雪男です」
「あだ名は若先生です」
「はぁ!!?」
志摩は手を頭の後ろで組んでへらへらと楽しそうに笑っている。若先生って何だ。どこをどう見てそう思ったんだ。小さく噴き出す声が聞こえたのでちらりと燐を見ると、体を震わせて笑いを必死に堪えていた。全く堪えきれていないが。
「だってなんや先生っぽいですやんメガネとか」
「メガネ!?」
「あー…言われてみれば確かに」
「勝呂さんまで!?」
「どちらかっつーとホクロメガネじゃね」
「ぶはっ!ちょっそれはいくらなんでも表面的すぎますで奥村君」
「……おいっ…」
今度は雪男の額に青筋が浮かんだが、そんなことにはお構いなしに三人(特に燐と志摩の二人)はどんどん話を進めている。おいお前ら仕事はどうした。燐だってそろそろ撮影スタジオに移動しなければいけないというのにすっかり会話に盛り上がってしまっていて時間を忘れてしまっている。普段ならもっと仕事の時間にはシビアなはずなのに、と雪男は何度目かわからない溜息を吐いた。
…でも、本当に楽しそうだな。他のスタッフや自分(に見せるのは全く違う性格なのだが)と話している時とはまた違う顔で笑うんもんだから性質が悪い。いくら雪男でも流石に言い淀んでしまう。
「せーんせっ」
「!?はい……あ、」
「今返事しはりましたね?今日からマネージャーさんは先生って呼びますさかい、よろしく!」
「え、え、ちょ」
「俺らもそろそろ撮影がありますんで失礼します」
「おー!また飲みにでも行こうな!」
「奥村君未成年ですやろ。また今度ご飯でも食べに行きましょ」
「ほなな」
嵐のようにやってきた二人はこれまた慌ただしく去って行ってしまった。二人が来るまでは気が付かなかった楽屋の静けさを妙に意識してしまう。それこそ時計の秒針が進む音さえもやけに大きく聞こえるぐらいに……時計?
「そうだ時間!僕らも早く移動しなきゃ!」
「……ぷっ」
「………え?」
「…ぶふっ、アハ、あはははは!!!」
「!!?」
突然燐の笑い声が静かになった楽屋に響き渡る。あまりにもおかしそうに笑う燐に雪男は目を奪われる。だんだん心配になってきた雪男はお腹を抱えて大笑いをする燐の顔を覗きこんで更に驚いた。見れば燐の目尻に涙が溜まっているではないか。
「ど、どうしたの!?」
「だ、だってお前、先生って…しかも、はいって返事っ…ギャハハハハハ!!」
「そこそんなに笑うとこ!!?」
言葉にすることで余計ツボに入ったのか笑い続ける燐を見て雪男は戸惑った。これは素の燐、だよな……こんなに笑えたのか…。驚愕…違う、感動…これも違うな、この感情は何だろう。
「ゆ、雪男もさ…っ、話に突っこんでいけるようになったよな…はぁー…」
「え、」
「ふぅ……お前、最初の方もっと暗かっただろ」
「!!…そう、かな」
一通り笑い終えた燐が息を整えつつそれでも雪男に話しかける。その言葉に雪男はハッとした。燐も自分と同じことを考えていたのだ。燐の言葉を頭の中で半濁すればするほどそのことが凄く嬉しくて身体がほこほこと熱くなってくる。
「俺が言ってんだから素直に喜べよホクロメガネ」
「だからその呼び方はやめてって何度も」
「じゃあ先生」
「それもやめろ…っ!」
「ほら突っ込んだ。顔赤ぇし図星だろ」
「っ、……ほら、もう行くよ」
「へーへー分かりました先生」
「やめろ!」
「ギャハハハハハハ!!」
「笑い方下品!」
「うっせぇカス!!」
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唐突な展開でなんだか…ゴールは決めてありますのでネタがあればこっそりひっそり募集しようかな、なんて…(^^;
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