02.奥村雪男




機材の搬入をしているスタッフや衣装ケースを持って忙しそうに走り回っているスタイリスト達に笑顔で挨拶を交わしながら燐はメフィストと楽屋へ向かった。道中数人の女性スタッフに食事の誘いを受けたが、燐は慣れた対応でそれらの誘いを断っていく。
やけに長く感じられた廊下を抜け、二人は奥村燐様控え室と印字されたプレートのかかっている部屋までたどり着いた。


「……ん?」


扉を開くと、部屋の中で一人の若い男が立っていた。黒のTシャツにジーンズを穿いて腰にはウエストバッグを巻いている長身でメガネの男は、一目で緊張していると分かるほど表情が強張っている。扉を開いた燐を見てつっ立っている男を燐もまじまじと見つめ返す。どうでもいいがやけにホクロの多いやつだな、と燐は思った。


「えっと……?」

「はっ、初めまして!奥村雪男と申します!」

「あぁ、どうも…?」


ファンか…?いや、でも関係者以外はそうそう簡単に入れないしな。バラエティー番組か何かのプロデューサーか?と考えたところでメフィストが二人の間に割って入った。


「彼が今日から君の新しいマネージャー兼ボディーガードですよ!」

「………えっ」


たしかに前のマネージャーは妊娠したとかどうとかで辞めたらしく、新しいマネージャーが見つかるまでは自分が代わりをするとメフィストは言っていたのだが…まさかこんなタイミングで新しいマネージャーと顔を合わせるとは。しかも、兼ボディーガードとも言っていなかったか。…意味が分からない。
困惑して目をぱちくりさせる燐に雪男が右手を差し出してきた。握手をしようということなのだろう。


「よろしくお願いします、奥村さん」

「あ、えぇっと……おう、よろしくな!」


なるようになれということなのだろうか。未だ状況を把握しきれていない燐だったが、握手をし返して雪男の肩をポンと叩いて笑いかける。前のマネージャーは突然辞めてしまったため、お前には期待していると言うと雪男はぽかんとしてしまった。もしかしたら変にプレッシャーをかけてしまったのかもしれないと思った燐は、もう一度雪男の肩をポンポンと叩いて呼びかける。


「大丈夫か?そんなにかしこまらなくても良いんだぜ?」

「……いえ、その…なんていうか、フェレスさんから聞いていた人物像と違っていたのでびっくりして…」

「っ!!?」


雪男の肩を叩いていた燐の手が強張るのと、ずっと二人のやり取りを見ていたメフィストが噴き出すのはほぼ同時だった。
燐はギッとメフィストを睨む。先程までの明るくて気さくそうな笑顔とは大違いだ。ほんのりと青みがかっている燐の目が鋭い光を放っているというのにメフィストは全く動じていない。それどころかひくひくと引き攣る頬の筋肉がメフィストが笑い出すのをこらえていることを物語っている。


「メフィスト…てめぇ…っ!!まさか全部喋ったのか…!!?」

「ぶひゃひゃひゃひゃ!!そうそうその顔!私は君のその顔が見たかったのですよ!ぎゃひゃひゃひゃひゃ!!」

「笑ってんじゃねぇぇええよ!!なに勝手に俺のイメージ壊してくれてんだよ!!あ”ぁ”っ!?」

「あー面白い!実に面白い!!ほらほら、君が突然大きな声を出すから奥村君が固まってしまっていますよ」

「………チッ」


メフィストの言うとおり、雪男は急に態度の変わった燐と大笑いをかましたメフィストを目の前にぽかんと呆けてしまっていた。たれ目がちな雪男の目は二人を交互に捉えながらもわずかに戸惑いが滲み出ている。


「おい、お前」

「へっ!?あ、僕のこと……何ですか?」

「もう俺の性格は全部知ってんだろ?んなに縮こまんなよ、うぜぇ…」


化粧台の椅子にどっかりと座って足と腕を組んだ燐の目はギラリ光り、視線を逸らすことは許さないとでも言いたげなオーラを放っている。自分より7歳も歳下の人間がこのような威圧感を出すのかと思うと雪男の手にうっすらと汗が浮かび上がった。


「いえ…僕がフェレスさんから聞いていたのは、普段テレビに出ているときよりも数段口が悪いということと怒らせると面倒だということだけです」

「…まぁ、どっちにしろバレちまったもんはしょうがねぇ。どうせお前俺のマネージャーなんだろ?だったら余計なこと漏らすなよ。んなことしたらお前だって職を失うことになるんだからな」

「……そんなことするつもりはありませんよ。僕はこの仕事をやりたいがために今まで頑張ってきたんですから」

「ふーん…あっそ」


気まずい(といっても雪男が一方的に、だが)空気が流れる中、ひとしきり笑い終えたメフィストがパンパンと手を叩いて二人の気をひいた。


「マネージャーとしての挨拶はこれぐらいにして、ボディーガードの件に話を移しましょうか」

「んなめんどくせーことしなくてもいいっつーの。俺だってそれなりに動けるんだからよ」


わざとらしい大きな溜息を吐いて燐は鏡台に置いてあったお茶のペットボトルに手を伸ばした。


「失礼します」

「うおっ!?ちょっ、何すんだテメェ!!」

「ボディーガードたるもの、毒見をしなくてはいけないのでね」

「新品なんだから関係ねーだろっ!!口つけんな気持ち悪ぃ!!」

「すみません、これも僕の仕事なので」


雪男は嫌がる燐から半ば強引にお茶を奪った。パキッと軽い音を立ててペットボトルが開いた雪男はまず匂いを嗅ぎ、それからお茶を一口口に含んだ。その様子を信じられないといった顔で燐が見ている。雪男は目を閉じて味を確かめていたが、大丈夫だと確信したのかもう一度キャップを占めて燐に差し出した。


「このお茶は安全です、どうぞ」

「野郎が口つけたのなんか気色悪くて飲めるかよ!新しいの買ってこい!今すぐに!」

「でもそれだと意味が…」

「紙コップに入れて飲めばいいだろ!」

「口をつけるところに何か仕込まれていたらどうするんですか?」


仕事のスイッチが入ると冷静になるのか、雪男の表情は緊張で強張ったものから真剣なそれへと変わった。おそらく根が物凄く真面目なのだろう。
一向に引こうとしない雪男にイライラが募った燐は「雇い主命令だ!」と、強引すぎる命令を言い放ち、無理矢理雪男を部屋の外へと追い出した。勿論鍵をかけることも忘れない。


「…メフィスト!」

「何ですか?」

「何なんだあいつは!?つーか男はやめろって前にも言っただろ!!」

「ちゃんと説明してあげますから落ち着きなさい。…話を戻しましょう。とりあえず、何故ボディーガードが必要なのかということについてですが、それについてはまずこれを読んでください」


一体どこから取り出してきたのか、メフィストは燐に雑誌を渡した。所謂ゴシップ雑誌というものだ。あまり店頭では目にしない名前からして小さな会社が出版しているものなのだろう。燐は折り目のつけられたページを開いて目を疑った。
そこには目にモザイクの入った燐の写真と前のマネージャーの写真が載っており、大きな文字で『超大物アイドルとマネージャーの秘密の恋!?』『マネージャーは寿退社!?』などと、読み手を煽る文章が書かれていた。


「安心してください、この出版社には少々お灸を据えておきましたから」

「……前のマネージャーは妊娠して辞めたんじゃなかったのかよ」

「そうですが、その子供というのが君との子だという事実無根な噂が流れていましてね。少しややこしいことになっているんですよ」


メフィストの話はこうだ。若くしてアイドル業界のトップに君臨する燐のファンには一部熱狂的すぎる者達がいるらしく、今までも(特に売れ出しの頃は)そういう者達に何度かストーカーや犯罪紛いな行為をされたことがあった。面倒事は避けたかった燐は自分で解決しようとしたこともある。がしかし、今回の件は今までのこととわけが違う。

どうやらこの記事を目にしたファンが怒り狂って前のマネージャーに怪我をさせかけるといった事件が起こったらしい。すぐに事務所の人間が話の拡散を防ぐために動いたおかげか、スクープとしてメディアにとりあげられることは無いと言われた。それは本当なのだろう。現に燐自身こうしてメフィストに言われるまで全く知らなかったのだから。

燐の眉根に深い皺が寄る。マネージャーとの色恋沙汰報道はこれが初めてだというわけではない。一度だけだったが男のマネージャーにも言い寄られたことがあった。その時は流石に燐も本気の抵抗を見せて難を逃れたのだが、はっきり言って燐にとってはあまり良い思いのするものではない。以来男のマネージャーはやめろとメフィストにキツく言っておいたつもりだったのだが…どうやら意味がなかったみたいだ。


「わざわざ雇わなくても、もうお前がマネージャーやればいいじゃねーか」

「嫌ですよ」

「はぁ?…何でだよ」

「第一に面倒くさいじゃないですか。それに私は君の言うことをホイホイ聞く気はありません。その他諸々のことを含め、結果、君と一日中ずっと一緒にいることが嫌だったから彼をマネージャーにしたんです」

「俺お前のそういうとこ反吐が出るぐれぇには好きだわ」

「気持ち悪いこと言わないで下さいよ☆」


メフィストは近くにあったパイプ椅子に腰掛け、これまたどこから取り出したのかティーカップにアツアツの紅茶を注いだ。楽屋が一瞬にして紅茶の良い香りに包まれる。燐は顔を思いっきりしかめた。
「ボディーガードの件についてはお分かりいただけましたか?」

「…つまり、俺もこのマネージャーみてぇに何らかの危害が加えられるかもしれねぇっつーことだろ」

「ご名答!!君にしては今日はえらく理解力が優れていますねぇ」

「あんま調子に乗ってると殺すぞ」

「アイドルがそんな野蛮な言葉を口にしてはいけませんよ」


燐とメフィストの間に沈黙が流れる。カチャカチャと紅茶をかき回すスプーンの音だけが楽屋に響いており、空気はピリピリと肌を刺激するかのように冷たい。


ガチャッ


「ただ今戻りました」


ナイスタイミングというかなんというか。雪男が新しいお茶を手に部屋へと戻ってきた。


「!?お前どうやって鍵を…」

「ですから、僕はあなたの正式なマネージャーなんです。楽屋の鍵ぐらいスタッフに頼めばいくらでも貸してもらえますよ」

「……クソが…」


あまりに的を射た答えが返ってきたため、燐は八つ当たりの如く機嫌の悪さを露わにした。メフィストはこれ以上干渉する気はないのか、優雅にティータイムを決め込んでいる。燐は自分の鞄とコートを引っ掛けて帰り支度を始めた。


「どこに行くんですか?」

「帰るんだよ、見てわかんねぇの。お前、思ったよりアホなんだな」

「っ、…これをどうぞ」


雪男は新しいお茶のペットボトルを燐に差し出した。追い出されてもなお律儀に買いに行ったのだろう。燐が飲もうとしていたものと全く同じお茶だ。


「あぁ、悪ぃけどお前が毒見した茶なんてもう飲まねぇから」

「僕も、毒見をせずにあなたに飲ませる気はありません。ただあなたが買って来いと言ったので買ってきただけです」


一歩も引く気はないのか、雪男は最初に顔を合わせた時よりも数段言葉に意志の強さが表れている。燐は差し出されたお茶を一瞥した後、それに手を付けることなく雪男の横を通り過ぎた。


「ちょっと!自宅まで送りますから!」

「いいって。帰る方向一緒の子がいるからその子の車に乗せてもらう。お前はもう帰ってもいいぞ。ごくろーさんメガネ君」


雪男の口から次なる言葉が飛び出すよりも先に燐は部屋を出て行った。
バタンと音を立てて閉じられた扉が雪男にはやけに重く感じられた。



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雪男さん登場です。盛りすぎた感が否めませんがフラグ回収頑張ります…。

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