黄金色の麦わら帽子 ・雪男と燐 ・捏造過多 私の目はあなただけを見つめる。 小さな頃、修道院の近所に一人で暮らしているお婆さんがいた。花を育てるのが趣味で、こじんまりした庭はいつも色とりどりの花で埋め尽くされていた。神父さんが仕事で修道院を空ける時は、たまに兄さんと一緒にお邪魔しては遊び相手をしてもらっていたのをよく覚えている。美味しい羊羹や最中やおはぎなど、小学校低学年の子供にはあまり馴染みがない和菓子をよくご馳走してくれて、綺麗な庭を見ながらその日学校であったお菓子を食べる。その日学校であった事などを話せば、いつもにこにこ笑って話を聞いてくれた。転んでズボンを破ってしまったら、『神父さんには内緒ね』と言って可愛いワッペンで破れた箇所を直してくれたこともある。結局神父さんにバレて、親子三人揃ってお婆さんのところへ頭を下げに行ったのは今でもたまに兄さんとも笑い話になる。 どちらかというと燐は外で走り回る遊びの方が好きだったが、体が弱く、読書などの静かな遊びの方が好きだった雪男は、稀に一人でも遊びに行くことがあった。いつも通り玄関ではなく庭先に回ってお婆さんの姿を探すと、想像通りスコップを片手に土をいじるお婆さんがいた。しゃがんでいたお婆さんは雪男の姿を見ると立ち上がり、エプロンに付いた土をぱんぱんと払って軍手を外した。 「あら、雪男ちゃんこんにちは。学校帰りかしら」 「こんにちは、お婆さん」 「今日は雪男ちゃん一人?」 「あ、うん…兄さんは…」 ランドセルのショルダーをぎゅっと握りしめ、ごにょごにょと口ごもる雪男にお婆さんはふふっと笑みをこぼす。俯いてしまった雪男をぎゅっと抱きしめる。小柄なお婆さんからはいつも土と太陽の匂いがして、雪男はその匂いがたまらなく大好きだった。 「今日はねぇ、ひまわりの種を植えていたのよ」 「ひまわり…?」 「良ければ雪男ちゃんも手伝ってくれないかしら。手伝ってくれたら、そうねぇ…お団子をあげましょう!」 「て、つだいます!」 きゅるる、と小さくお腹を鳴らした雪男にお婆さんは顔の皺をぐっと深くして笑ったので、雪男は顔を真っ赤にしてお腹を押さえつけた。 「じゃあ、お駄賃を前払いにしましょう。雪男ちゃんも育ち盛りだものね」 お腹が減ることは悪いことじゃないのよ。と、笑いながら家の中に入っていくお婆さんの小さな背中を見送りながら、雪男は縁側にランドセルを置いて腰を下ろした。 「えっ!ひまわりって太陽をおいかけるの?」 「ふふっ、まだ花を咲かせていない若いひまわりだけよ。太陽が東から昇ったら東を向いて、西へ沈むころには西を向いているの。太陽が沈んだらまた起き上って、太陽が昇ったらまた追いかけるのよ」 「すごい…!」 ほっぺにタレが付いてるわよ、とお婆さんがハンカチで雪男の頬を擦る。みたらし団子の甘い醤油の匂いがふわっと鼻を掠めて、少し恥ずかしくなる。 「ひまわりはね、一つの花に見えるけど、本当は小さな花が集まって大きな花の形を作っているの」 「へぇ…お婆さんは何でも知ってるね!」 「ふふっ、私はお花が大好きなだけよ」 目をキラキラさせる雪男の頭を優しく撫でて、お婆さんは縁側から立ち上がった。それから庭の端にある倉庫から小さな鉢を取り出して雪男に渡す。目をぱちくりさせる雪男と同じ目線になるように屈んだお婆さんは、雪男の肩をぽんぽんと叩いてにこりと笑った。 「雪男ちゃんも一緒にひまわりを植えましょうか」 「でも、お手伝いは…?」 「私からのお願いみたいなものだもの、これも立派なお手伝いよ。どう?やってくれるかしら?」 「やる!!」 「ふふっ、ありがとう」 それから、お婆さんの指示に従いながら一生懸命ひまわりの種を植えた。春も半ばとなった日の外での作業は思っていたより大変で、流れる汗を拭うとすぐに顔が土だらけになってしまったが、雪男にとってそれはとても新鮮で楽しい体験だった。楽しい時間はあっという間に過ぎてゆき、辺りがオレンジ色に染まった頃、燐と藤本が雪男を迎えに来た。燐の顔や腕や膝には絆創膏などの生傷が出来ており、そんな兄の姿に雪男は思わず立ち尽くす。目に張られた涙の膜は瞬く間にぼろりと決壊して、顔に付いた土汚れを流していく。 「兄さん、そのケガ…」 「…なんでもねーよ」 ぶすっとそっぽを向いてしまった燐の頭を藤本がぐしゃぐしゃと撫でまわす。小さな顔の眉間に出来た皺がますます深くなって、終いには藤本の手を振りほどいて雪男の元にずかずか歩み寄ってきた。 「ころんだらケガした、そんだけだ!」 夕日を背にした逆光の中でもはっきりとわかる程、雪男に手を差し出した燐の顔は兄のソレだった。零れる涙を拭って燐の手を取る。後ろでお婆さんが藤本と何か話しをしていたが、鼻水をすすることと目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまった雪男には全く聞き取れなかった。 夏休みが始まって、暫く経ったある日のこと。いつもよりうんと早くベッドから飛び出した雪男は、まっすぐにお婆さんの家へ向かった。道中で燐も起こせばよかったと気付いたが、生憎Uターンをするなんて選択肢は雪男の足にはなかった。本当はすぐに庭へ回りたかったのだが、ぐっと足を止めてインターホンを鳴らす。 「おはようございます!」 「あらあら雪男ちゃん、今日は早いのね」 ひまわりの種を植え始めた頃より少し日に焼けたお婆さんの頭には、麦わら帽子が可愛らしく乗っていた。雪男も慌てて首にかけていた麦わら帽子を頭にかぶせる。 「そうそう、熱中症になったら大変だものね」 「あ、あのっ!」 「えぇえぇ、一緒に見に行きましょうね。燐ちゃんは来ないのかしら?」 「兄さんは…あ、あとで来るって」 目を逸らし、シャツの裾を掴む雪男の手に力が籠る。お婆さんは雪男の手を取り、庭へ行きましょうと微笑む。少し迷ったが、返事の代わりに雪男は皺だらけの綺麗な手を握り返した。 「わあ…っ!!」 「雪男ちゃんが植えたのは真ん中のひまわりよ」 まだ白のかかった朝日の中で、庭の一番大きな花壇が黄金色に染まっていた。自分の背よりも大きな花を見上げていると首が疲れてくる。太陽の昇ってきた方角を見て、まるで笑っているかのような大きくて綺麗な黄色い花。朝日を浴びて凛と背筋を伸ばしているその姿に雪男は言葉を失った。 「雪男ちゃんの育てたひまわりが一番大きいわね」 お婆さんが水やりの準備をするためにホースを取りに行っている間も、雪男はじっとその場に立ち尽くしてひまわりを眺めていた。ホースを持たせてもらってお婆さんが蛇口を捻る。勢いよく飛び出した水が陽の光にきらきらと反射して花壇の花を濡らしていく。 「おい雪男!何で起こしてくんねーんだよ!」 「っ!にいさ…」 突然後ろから声をかけられた雪男は驚いて勢いよく振り返る。その瞬間、ぎゃあっと間抜けな声が庭に響いて、ホースから飛び出していた水はすぐに引っ込んでいった。 「あらあら大変!すぐにタオルを持って来るわね」 パタパタと家の中へ入っていってしまったお婆さんの足音を聞きながら、雪男は目の前にいるびしょ濡れになってしまった燐に顔を青くしていた。どうしよう、どうしよう、怒られる。燐の服や肌からは水がぽたぽたと滴っていて、夏とはいえど比較的気温の低い早朝にこんな姿のままでいたら最悪風邪をひいてしまうかもしれない。雪男とおそろいの麦わら帽子からも水は零れ落ちていく。二人が共通して気に入っているそれを濡らしてしまったのだ、持ち主である燐にとって相当ショックなはずだ。どんどん加速していく雪男のマイナス思考回路は止まるところを知らず、ホースを持っていない方の手でシャツの襟首をぎゅっと掴む。 「す、すっげー!!!」 「っ!?」 燐の声に思わず目を強く瞑る。おずおずと目を開けると、俯いていた燐の視線がひまわりの花壇に釘付けになっていた。雪男と同様、自分より大きな花を興奮気味に見上げる燐の横顔に雪男は呆気にとられる。 「なぁ!雪男が植えたのってこの真ん中のやつだろ?いっちばん背が高ぇな!!」 「あ…うん!」 雪男の方を振り返って笑う燐の顔が、ひまわりをバックに朝日に照らされる。 (兄さんが、ひまわりみたいだ) 麦わら帽子のつばが花びらで、兄さんがその中心。花びらはないけど、また花を咲かせるために必要不可欠な役目を担う部分。 「あら、燐ちゃん、ひまわりみたいねぇ」 いつの間にかバスタオルを抱えて戻って来ていたお婆さんの声で我に返る雪男。俺は花じゃねぇぞ、と的外れな異論を申し立てる燐をタオルで包んでにこにこ笑うお婆さん。多分、この光景は一生忘れられないものになるんだろうと子供ながらに感じながら、雪男もつられて笑顔を零した。 「あ、ひまわりの種だ」 「あぁそれ、しえみがわけてくれたんだよ」 「へぇ…懐かしいね」 「お前も昔育ててたよな。ほら、あの近所の婆ちゃんのとこで」 「うん。でも、今も育てているようなものだから」 「はぁ?何言っちゃってんの、お前」 「兄さんはわからなくていいんだよ」 「ンだよそれ!!…ケッ、折角一緒に植えるの手伝ってやろうと思ったのによ」 「ほんとだ、ガーデニング用品一式揃ってる。しえみさんに借りたの?」 「まぁな。……何だよその目は」 「いーや、なんにも。ほら、早く植えに行こう。手伝ってくれるんでしょ?」 「…おう」 向日葵の花言葉 「私の目はあなただけを見つめる」 「憧れ」 『愛慕』 ******** いつも大変お世話になっている牧野様に捧げます! リクエストは「雪男が燐ちゃん大好きな、ほわっと幸せなお話」とのことで…お、お目汚し失礼いたしました…!! [*前] | [次#] ← |