If






・雪燐




気になる客がいる。
いやいや、違う。これはそういう意味で気になるのではなく興味というただ一つの感情から生まれた”気になる”であるからして決してそういう意味ではないのだから勘違いしないでもらいたい。俺にそっちの趣味は全くないということを皆様に理解しておいていただきたい。
本題に戻ろう。
いつも一人で店の奥の席に座り、眉間に皺を寄せて本を読んだりパソコンで何らかの文章を打っている彼――もとい、気になる客――は決まってミルクたっぷりの紅茶を注文する。個人経営の小さなカフェなのでこちら側としては常連が出来るのはとても喜ばしいことなので口を出すことは勿論ないのだが、それでも一人間としては彼のことが物凄く気になる。だって毎日同じ時間に同じ場所の席に座って同じ飲み物を注文する客だぞ。お前はどこぞの人型マシーンかっての。そりゃ、店を気に入って来てくれてるのは嬉しいけどさ。
そんな客だが、服装を省いて一つだけ毎回違うところがある。それは帰宅時間だ。店が閉まる時間ぎりぎりまでいる時もあれば携帯が鳴り次第慌てて帰宅することもある。大学生ぐらいに見えるので、もしかしてバイト先からの呼び出しなのだろうか。はたまた彼女からの呼び出しか。どちらにせよ、客に寛いでもらうために干渉しすぎないのが店員としての務めなのだが、それでもやっぱり気になってしまうものはしょうがない。
お世辞にもあまり広くはない店内(不動産会社を営む兄の気まぐれで譲ってもらった)なので、意識せずとも彼の行動は燐に伝わってしまう。燐の店でバイトをしている大学生の三人とも閉店後や休憩時間に例の客について話してみたのだが、三人はさして興味を持ってはおらず、この話で手に入れた成果と言えばそのうちの一人である志摩が「こないだ俺が紅茶を運んだ時、なんやごっつ難しそうな医療関係のレポートしてらしたで」と言っていたので、今のところ燐の中での彼のポジションは常連の医大生だと勝手に認識されていた。
さて、その医大生(仮)の客である彼の容姿について少し話をしよう。ハッキリ言って気に入らないぐらい顔は整っている方だと思う。それから、彼のかけている黒縁のメガネと同じぐらい特徴的なホクロ。左目の下に縦に並んで二つと口元の右側に一つあるそれを見て、ホクロメガネっていじめられたりしなかったのだろうかなんていらぬ心配をしたこともある。つまるところ、医者志望のイケメンなんてきっと女の子に困ったことがないんだろうなと思わず妬んでしまいそうなぐらい設定盛り沢山な男だ。

兎にも角にも、その常連の彼は決まって昼の3時になると店に訪れる。けれど、今日は絶対に来ることはないだろう。燐はレジ兼カウンターに肘をついて窓の外を眺める。ザァザァと激しい雨が窓を打ちまだ昼過ぎなのにもかかわらず外は厚い雨雲のせいでどんよりと暗い。台風が近づいている、と厨房に置いてある小さな卓上テレビが言っていたのでこれは早々に臨時休業をした方がいいのかもしれない。既に店先に置いてあるプランターやメニューボードは店内に避難させてある。燐は電話を置いてある棚から紙を取り出して油性マジックで「台風接近のため誠に勝手ながら臨時休業とさせていただきます」と書いた。あまり青春時代を勉学に注いでこなかった燐は携帯の辞書を引きながらではあったが、満足のいく仕上がりになったようで機嫌良さそうに鼻歌を歌い始めた。


『りん!りーん!かみなりがおちそうだぞ!』

「まじかー…あっ、あいつらに今日は店休みだってメールしてやらねぇと」

『きょうおやすみするのか?』

「台風で誰も客来ないだろうからな」


厨房からひょっこりと出てきた愛猫のクロがカウンターの燐の足もとへすり寄ってくる。どういうわけかクロを拾った時からクロの話す言葉が理解できた燐は相槌を打ちながらクロの頭をワシャワシャと撫でてやる。きっと言葉が通じるのはあれだ、愛があれば種族なんて関係ないっていう立派なご都合主義だ。
燐は張り紙の四隅にテープを張り付けてそのまま店の入口へ向かい扉を開く。雨の音がより一層強くなり、風に乗った大きな雨粒が燐を濡らした。風で張り紙がめくり上がってしまってなかなか上手く貼ることが出来ず悪戦苦闘する。


「あのっ!すいません、今日はもうお店終わりなんですか…?」

「はいそうですすいませ…んん!?」


なんとか張り紙を貼り終えた手を止めて燐が声の方を振りかえると、そこには見事に全身ずぶ濡れの男が立っていた。髪や頬や男がかけているメガネからも雨水が滴っていて、着ている服は絞れば1.5リットルのペットボトル分の雨水が出てきそうな惨状になっていた。
燐は反射的に濡れ鼠の男の腕を掴んで店内へ引っ張り込んだ。すぐさま扉を閉め、呆ける男をその場に残してタオルを取りに厨房へと入っていった。入れ違いに男の前に現れたクロが何か言っていたが、そんなことよりも男が風邪をひいてしまったら大変だという思い最優先で動いていた燐の耳には入って来なかった。


「これで体拭け!んでもってその濡れた服は脱いでこっちに貸せ」

「え、いや、あの、僕は…」

「いいから!風邪ひいたりでもしたら大変だろ」


有無を言わさぬ物言いの燐におされた男はタオルと引き換えに渋々羽織っていたジャケットを脱いで渡した。が、それでもその場を引こうとしない燐に男の胸中に嫌な予感が走る。


「……ジャケットだけで十分ですから…」

「それじゃ意味ねーだろ…ちゃんと俺の服を貸してやるから全部脱げ」

「いやいやそれは流石に…!!」

「いいから!んだよ、別に全裸でいろって言ってるわけじゃねーんだし男同士なんだから何も問題ねーじゃん」

「でも……」


頑なに折れようとしない男に燐の口からため息が漏れる。人が親切でしてやっているというのになんて頑固な男なんだ、と改めて男の顔を見た途端にぴしりと固まった。
先程はずぶ濡れになってしまっていたこの男が風邪をひかないようにということで頭がいっぱいになっていたので気が付かなかったが、黒縁のメガネに特徴的なホクロ、間違いなく彼は例の常連客だ。燐が驚いていることなんて露知らぬ男は濡れた髪をタオルで拭いている。必死になりすぎていたせいでうっかりお客様用の敬語を忘れてしまっていたが男は気にしているだろうか。いやいやそんなことよりも、相手が例の常連さんだと気付いた途端急激に鵜雨季が重たくなってしまった気がする。あくまでもそれは俺が一方的に感じていることであって相手はどう思っているか知る由もないわけだが。
戸惑い始めた燐を男は頭にかぶったタオルの隙間から様子を窺う。口煩く濡れた服を貸せと言っていた声がぴたりと止んだので、もしや自分は彼の親切を無下にしてしまったのではないだろうかと内心焦り始めていたのだった。


「「あの……」」


二人の声が重なって両者揃ってぎょっとする。そちらからどうぞ、いえいえそちらからどうぞ。そんなテンプレートなやり取りを交わした後、口を開いたのは男の方だった。


「えっと……やっぱり服を貸してもらってもいいですか?このままだとお店の中も濡らしてしまいますし…」

「えっ、あぁ、うん……じゃなかった、はい、いいですよ」


燐は小さな小さなスタッフルームから着替え用にとTシャツとジーンズを持って戻ってきた。燐より背格好の良い男にはややサイズが小さいかもしれないが、それでも本当に彼を全裸のまま放置しておくわけにもいかないので、何もないよりはマシであろうと男に着替えを手渡した。まじまじと着替えを見るというのも変なのでそのまま厨房へ戻り湯を沸かす。アールグレイの茶葉の入った缶を取り出して慣れた手つきで紅茶を淹れる。それから今朝焼いたばかりのバナナケーキを冷蔵庫から取り出して切り分け、それらを盆に乗せて男の元へ歩いていく。しんと静かな店内は少し新鮮でなんだか自分の店ではないようだとさえ思えてきた。


「やっぱ少し小さかったか…」

「ここまでしてもらっておいて文句は言いませんよ」

「そりゃよかった」


普段男が座っている男の特等席へ座るように促し、燐はテーブルに紅茶とケーキを並べた。ふわりとベルガモットとバナナの良い香りが鼻孔をくすぐり、男の腹がたまらずぐぅと鳴る。その間抜けな音に燐は噴き出しそうになったが男があまりにも悔しそうに眉根を寄せて赤面するのでなんとかぐっと堪えた。


「今朝焼いたばかりのバナナケーキなんで、よかったらどうぞ。あっ、もちろんお代はいいですから」

「でも本当にあれこれと世話をかけてしまって迷惑じゃ…」

「毎日来てもらってるお礼も兼ねてますから、遠慮なんてしないでください」

「あ、りがとうございます…」


今度こそ恥ずかしそうに耳まで真っ赤に染め上げてしまった男は遠慮気味にフォークを掴んでケーキを切り、そっと口に運ぶ。数度咀嚼してからぽつりと呟かれた「美味しい」の一言に満足だと燐の口元が緩んだ瞬間、ぴたりと男の動きが止まった。それからゲホゲホと盛大に咽て、目の前にあった熱い紅茶をぐびっと一口飲み込んで盛大に咽る。慌てて燐が持ってきた水を飲んでようやく落ち着いたが、口の中を軽く火傷したのだろう、眉根に皺を寄せて顔を歪ませている。なんとなく勝手な想像で冷静な人間だと思っていたのだが、案外抜けているのかもしれないと燐は心の中でクスリと笑った。


「その…」

「ん?」

「毎日来てもらってるって…」

「いつもこの席に座って紅茶飲んでますよね、ミルクたっぷりのやつ。つーか、流石に毎日来てくれてたら覚えるって」


話せば話す程男は居たたまれなさそうに俯いていくのが可笑しくて、ついつい相手が客だという意識が薄れてしまい敬語が崩れてしまう。先にも話したように燐はあまり勉強ができる方ではない(むしろ全くできないと言ってもいいぐらいだった)ので、今でもそうだが元々そんなに敬語が得意というわけではなかった。未だにこういうことが起こってしまうので、客の中にはそれを理解した上で友達のように接してくる人間もいるのだが、彼は常連である上に今日初めて話す相手だ。初めて話す相手に店長としていきなり敬語を崩して話すのはまずい。バイトの勝呂がもしこの場にいたとしたら容赦なく突っ込みを入れられていただろう。けれど今彼はいない、先程臨時休業を伝えるメールを送ったからだ。男も特に気にしていない様子なので指摘されることがないまま話は続けられた。


「ここ、僕が通ってる大学の帰り道にあるんです。学校では勉強しづらいというか…たまたま入ったこの店がとても落ち着けたので、その…」


黙って話を聞いていた燐の目がスッと細められる。まさか何か変な勘違いをさせるようなことを口走ってしまったのだろうか。とにかく何か言わなければと前のめり気味に口を開いたのだが、それよりもほんの少し早く燐が口を開いていた。


「お前、もしかして友達いねーのか…?」

「………は?」


あまりにも深刻な顔で燐が聞くので、男は思わず素っ頓狂な声を上げた。何故だ、何故今の話から友達がいないという解釈に繋がるんだ。けれど男が困惑した顔を見せても燐は相も変わらず真剣な眼差しを向けてくるのだからますます困った。
暫しの沈黙の後、男がメガネのブリッジを上げたのを合図に燐が男の肩をポンポンと叩いた。


「まぁ、その…あれだ、あんま気にすんなって。俺も学生だった頃は友達作るの下手でさ、今になってようやく友達っつーか仲間みてぇな奴らができたから…うん、大丈夫だ、まだまだやり直せる!なんてったって若ぇんだからさ!」

「あの……」


友達ぐらい僕にだっています、と男が訂正しようとした声を上塗りしたのは他でもない燐の声だったのだが、男の思考回路が数秒間停止する羽目になった原因は燐の声ではなく燐の言葉だった。


「これも何かの縁だし、俺と友達になろうぜ」


まるで同い年の人間に話すような口ぶりのそれに、男は戸惑わざるをえなかった。別に、燐のことが嫌いというわけではない。むしろ、燐が営んでいるこの店の雰囲気は先刻も話したように居心地が良くて大好きだ。紅茶だって美味しい。ただ、店員が客にそんなことを言ってもいいのだろうか、と客である男の心配が燐にも伝わったのか、しまったとでも言いたげな顔で燐はすぐに「悪い!今のなし!あぁもうまた勝呂に怒られる…ていうか俺、また敬語崩れてるし…!」と言葉を打ち消した。
勝呂というのはあの強面の店員のことだろう。前に一度紅茶を運んできてくれた際にネームプレートを見たことがある。


…じゃなくて!


「お願いしてもいいですか」

「お、おう!もちろん!…です」

「友達には敬語使わなくていいですよ」

「それは、そう……だよな…?」


にへらと笑った顔はとてもじゃないが二十歳を過ぎた男の顔ではなく、やんちゃな少年を彷彿とさせた。男もつられて顔を崩し、ほんの少しぬるくなった紅茶を口に運べば、喉の奥につっかえていたものまでもが一緒に流れていくような気がして。


「そういやお前名前は何ていうんだ?教えてくんねーと呼ぶに呼べねぇだろ」

「あぁ…それもそうですね、僕の名前は」



「奥村雪男といいます」





“もしも僕らが双子じゃなかったら〜青年編〜”


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