(報われないべー→さく)


















「うっせぇなぁぁとっとと追加の酒持って来いってんだよぉ!」

本日も我が主の酔いっぷりは常軌を逸した残念さで爆走中である。
依頼主であったはずの気弱そうな中年男は、彼女の中ではもはやいいようにパシらせられるウエイター程度の存在に成り下がっていた。
かの有名な圧政時代の女王様の如く、実に気分よさげに一回り近く年上の男を顎で使う彼女。アルコールの夢から醒めれば、楽しんだ分だけ手痛いしっぺ返しを喰らうというのに。

本物のウエイターによって今晩何本目だか解らない追加のボトルがテーブルに届けられる。
これが一本おいくら万円なのかなんて、今の彼女には微塵も興味ないことなのであろう。
酒が美味いこと、この夜が楽しいこと、今必要なのはただそれだけ。理性的制御が付け入る隙間など一切存在しない。
一ヶ月分のバイト代が、呆気なく胃袋に流れ込んでいく。

中年男を小馬鹿にすることを酒の肴として、けたけたと酷い上機嫌で絶え間無くグラスを煽る。ぐい、と勢いよく喉に流し込もうと右手に掲げたグラスは、既にからっぽ。カランと氷がぶつかる音が響くだけだった。
先程までのご機嫌は何処へやら、唇を尖らせむすっとした顔で空のグラスを睨みつける。次いで、こちらに物欲しそうな目を向けて来る。

今し方届いたばかりのボトルを小さな身体で抱えて、彼女が握り締めたままのグラスになみなみと注いでやると、ばしばしと私の頭を叩いてまた満足げにグラスを掲げる。
今のは彼女なりの労いのつもりなのだろうか。ただの暴力としか思えない程の痛さだったが、恐らくはそうなのだろう、力加減の出来ない酔っ払いめ。

「……んー?ベルゼブブさんなんか言いましたぁ?」
「いえ、何も?」
「嘘吐くんじゃねーよ言っただろーが今『酔っ払い』がどーのってよぉ」

心の中で呟いたつもりが、うっかり口に出してしまっていたようだ。絡みの矛先が此方に向かぬようこれまで細心の注意を払っていたというのに、失敗した。
自分より何回りも小さい私の身体に遠慮無く寄り掛かって来た上で、がしっと肩を組むような形で身体を抱え込まれる。
先程までの被害者であった中年野郎も、この貴重な逃亡のチャンスを逃すこと無く席を離れていってしまった。

あらゆる意味で逃げ場を奪われた。絡み酒地獄の始まりだ。

「どーせ『面倒くせぇなぁこの酔っ払いが』とか何とか思ってるんでしょ?ん?」
「思ってませんよ」
「思ってるに決まってますよー」
「だから思ってませんってば」
「んな訳ねーだろいい子ぶってんじゃねーよ」

普段のそれなりに礼儀正しい態度は見る影も無い。一般的な酔っ払いより数段タチの悪いこの女の会話の相手は心底面倒だ。

「……じゃあ、仮に思ってる、と言ったらどうするつもりなんです?」
「そりゃあー怒りますけど?」
「……どうしろって言うんですか」
「だって私酔っ払いじゃないですしー」

酔っ払いってのはどいつもこいつも決まってそう言い張るんだよクソ女が。口に出したい衝動に駆られたが、言ったところでより面倒になるだけだと思い止まる。

「だいたい、ベルゼブブさんはおかしーんですよぉ」
「おかしいのはアナタですよさくまさん」
「私はおかしくないれすよー」
「何処がです。呂律回ってないじゃないですか」
「ベルゼブブさんがおかしいんですってばー」
「話聞きなさいよ酔っ払いが」

分かってはいたが、彼女はこちらの返答なんてはなから求めていないのだ。
期待する返事が返って来るまでこの問答は永遠に繰り返されるのだろう。

「どー考えてもおかしいんですよー」

そんな面倒に付き合うのは御免だった、癪に障るが、欲しがってるモノをさっさと出してやることにする。

「……あぁもう、何がおかしいと言うんです?」
「だって、酔っ払い面倒だって思ってるくせに、」

これで無限ループから逃れられる。聞くだけ聞いて「はいはいそーですね」とでも適当に相槌打ってやれば、彼女も気が済んで絡み地獄からも抜け出せるはずだ。そう思っていた。

「なんで、わざわざ、私にお酒注ぐんですか?」

……あぁ、本当に、この女は面倒だ。

「ほらーおかしいでしょ、どうなんですかぁベルゼブブさんったらー」

何も考えてないような口ぶりで――いや、実際何も考えていない酔いどれの偶然の思い付きの発言なのだろうが――何にせよ、今一番聞かれて都合の悪いことを、ピンポイントに指摘して来やがった。

「ふむ……聞きたいですか?」
「聞きたい」
「どうしても?」
「どうしても……ってほどでは、ない、ですけど」
「……じゃあ教えません」
「えー何ですかそれ気になるじゃないですかぁぁ」

此方に顔を近付けてしつこく食い下がって来る。それほど興味なんて無い癖に。
顔が近い。熱っぽい吐息が顔に掛かる。生憎、こんなアルコール臭い吐息じゃときめきも興奮も出来やしないというものだが。

「……では、考えうる三つの可能性を示して差し上げましょう。自分で正解を考えなさいな」
「なにそれ、めんどくさいなぁ……」
「今のアナタほどではありませんよ」

失礼な、とむくれる彼女を無視して話を続ける。

「一。酔っ払いに逆らっても面倒だから、流れに従って飲ませているだけ。
二。既に酷い酔い方だからこの先いくら飲ませても変わり無い、と思っているから。
三。酒を呑むさくまさんを眺めているのが楽しいから。」

「……なんか、どれも馬鹿にされてる気がするんですけど」
「そんなことありませんよ」
「絶対そんなことありますー」

馬鹿にされた事がそんなに気に喰わなかったのか、じとりとした目で此方を睨みつけ、見るからに苛立った様子でまた一気にグラスを空にする。

「で、正解はどれなんですかぁ?」

正解は、どれでもない。
先に挙げた3つはどれも本心だ。本心だが、核心ではない。

彼女に酒を注ぐ一番の理由。
それは、彼女の借金を増やす為。

「……さてね。秘密です」
「えー何でですかぁ!教えてくださいよぉ」

教えられる訳が無い、こんな理由。

幾ら熱心に働いていようが、所詮彼女は学生バイトの身。
いつまでもあの事務所に留まり続けるとは考えにくい。いつあの事務所を離れることになってもおかしくはない。そんな日が来るのは堪えられなかった。

彼女を此処へ繋ぎ止める為に考え付いた最も確実な方法、それが金という枷だった。

アクタベ氏への借金がある限り、彼女は此処から逃れることは出来ない。こうやって借金を積み重ね続ければ、いつまでも此処に縛り付けておける。

いつまでも、私の契約者であり続けてくれる。

「……まぁいいじゃないですか、そんなことは」

それ以上なんて望まない、ただそれだけでいい。そのためならば、自分で出来ることなら何だって仕掛けることを厭わない。

「それよりも、ほら、さくまさん」

拘束されていた姿勢から無理矢理すり抜け、テーブル上のボトルを抱えて目配せをする。
先程までの膨れっ面は何処へやら、直ぐさまニヤリと呆れるほどに幸せそうな顔になり、此方にグラスを向けてきた。

本能に忠実に、躊躇い無く一時の快楽に躍らされる馬鹿女。
その様は、実に愚かで、哀れで、滑稽で、そして実に愛おしい。


「さ。楽しい夜は、まだまだこれからでしょう?」


溢れんばかりに注いで差し上げましょう。
一夜の夢と、未来への足枷を。





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