狂った歯車を戻すのは難しい
男が好きだからこの仕事をやってるんじゃない。お酒が好きだからでもない。ただ単純に効率を求めているだけなの。時は金なり。
「かわいーな、お前」
「やだ〜!嬉しい〜!」
軽い口ぶりで女性を褒める赤毛でスーツを着崩した男、名前はレノというらしい。私はアイツが嫌いだ。最近毎日のように店に来ては誰を指名するでもなく毎日違う子を横につけては定型文のように同じ言葉を繰り返している。何が楽しくて、この店に来ているのか良く分からない。ここはお客さんの年齢層が高めの店だから若いだけで女の子に人気になるので、優越感にでも浸っているんだろうか。別のテーブルにいるのにアイツの声はやたらと私の耳に響く。ヘルプでついているお客さんのお酒を作ろうとアイスペールから氷を取り出しグラスへ入れるとカランと音が鳴った。この音は結構好き。お酒のボトルを手にとろうとすると肩に手を置かれて視線を上にやる。黒服が私の耳元で、あちらのテーブルへ、と囁いた。黒服の目線だけで分かってしまった。アイツのいる、テーブルだ。仕事の指示に反する訳にはいかないので、嫌だ、という気持ちを必死に押し殺して席を立った。
「失礼します」
「初めまして、だよなぁ?」
「はい、横につかせていただくのは初めてです」
「その口ぶりだと俺のことは知っていた、と」
嫌な言い方。話したことがないのに俺に興味があったんだろ、とでも言いたいような、その返しに不快感を覚える。その髪の毛の色、綺麗ですよね、目立つので覚えちゃったんです、と私にしては珍しいお世辞。レノは、ふぅん、とだけ返した。少しは喜んで良い気分になるか、と思ったのに思いの外、素っ気ない返事。
「まぁ俺も知ってたぞ、と。アンタのこと。いつも楽しくなさそうな顔してんのな」
「そ、んなことないですよ。楽しく働かせてもらってますから」
「目に見えて動揺してる。案外かわいいとこあんのな」
「皆に言ってるんですよね、そういうこと。知ってますよ」
「なぁに、ヤキモチ?」
「違っ…」
「俺は見てたから分かるぞ、と。アンタのこと」
他の女の子にも言ってる。言える人なんだ、この人は。でも今、私だけを見ている赤毛の男の目に吸い込まれそうで。視線を反らそうとしても、できなくて。それが何秒だったのか何分だったのか分からないけど、ついさっき肩に感じた感触をまた覚え我に返る。ご馳走様でした、と今度は全くレノの目を見ることなく一言告げて席を離れた。何だか、油断していると、この高いヒールに足をとられそうな気がして、いつもより慎重に一歩を踏み出す私がいた。
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「待ってたぞ、と」
仕事を終わらせ裏口から出ると、死角から夜でも眩しくなるような赤髪。あの後から上の空状態だった私の頭が一気に動き始める。待ってた、と言った。私を。
「何のつもり…ですか」
「別にぃ?単純にもっと話がしたくなったからだって言えばいいか?」
「じゃあ、またお店に来てください。お店の外で関わる気ないですか、ら」
いつの間に目の前まで来たのか、一瞬の出来事だった。私を見下ろす、その目。また、動けなくなる。彼の腕が伸びる。何かされるのかと肩をびくつかせると、その腕は私を通り過ぎて背にある店の外壁へと着地した。壁から、また正面へ視線を前へ戻すと数秒前よりズームされたレノの顔。空いた右手で私の顎を掴んで、それで、
「ご馳走様、酒よりこっちのがうめぇな」
唇から離れていく、唇。色んな意味で、一瞬でしてやられた。じゃあ、もっと濃いやつが欲しい、と訳の分からないことを言いながら少し口を空けて、また距離を詰めてくるレノ。拒むどころか、その左手で壁じゃなくて私に触れて欲しいと思ってしまうなんて。