「じゃあ、行ってきます。よろしくね」

靴を履きながら俺の方を振り向いて、そう言う名前を、俺は、ああ、とだけ言って送り出す。
そろそろ、こっちに来て二ヶ月ぐらいは経つだろうか、何も手掛かりはないが、名前は休みの週末に背の高いビルが並ぶ街に何度か俺を連れ出した、些細なことでも何か分かるかもしれないから、と言って。
どこに行っても同じような景色で見分けがつかなかったが、街の名前はそれぞれあるらしい。
それにしても人波にのまれそうなほど人口密度が多い場所しかないのか、この世界は。
話が逸れたが、名前に、よろしくね、と言われた理由は名前が仕事に行っている間に少し家事を任されることになったからだ。
日を重ねるごとに頼ってばかりの毎日に情けなくなった俺は、何かできることはないか、ともちかけたところ、取り敢えず掃除と洗濯を任されることになった。
名前が作った手書きのメモ帳を見ながら部屋に掃除機をかける、機械の操作方法が事細かに記されたそれに、アンタがやった方が手間がかからなそうだな、と本人に言いたくなる気持ちを抑えながらも、課された任務をモクモクとこなした。
名前が仕事に行ってから帰ってくるまで約12時間、確実に時間は余って暇するのは目に見えているが、まぁ少しは気が紛れるだろう。
掃除を終わらせた俺は次は洗濯にとりかかろうとポケットに入れたメモを一枚めくる。
そこには『洗濯カゴに入れてあるものをとにかく洗濯機に突っ込んで。別で洗濯したいものはちゃんと分けてあるから気にしなくていいよ。あ、私の下着はネットに入れて洗濯してね』と記されてある。
…下着。
三文字の言葉が頭をグルグル回る、迂闊だった、なんで気付かなかったんだ俺は、名前の着ているものも洗濯しないといけなかったことに。
はぁ、とため息をついてカゴの中の衣類を洗濯機に放り投げていくと、名前の下着であろうものが目に入った、見てはいけないと思っているものほど目につくのは何故だ。
名前も名前だ、よく平気で俺に洗濯させようと思ったな。
心の中で文句を垂れ流しながらも目に入った瞬間、それから目が離せなくなってしまう。
薄い水色のサテン生地、作られた膨らみの大きさを意識しないように素早くネットの中へ放りこんだ。

「…勘弁してくれ」

洗濯が終わったそれを、また干さなくてはいけないという更なるミッションまで頭になかった俺は一瞬だけ達成感に満ち溢れていた。

**

慣れないことをして疲れた俺は眠ってしまっていた、ベッドの上で。
段々と目を覚ます嗅覚が名前の匂いを判別する。
同じ洗剤を使っているはずなのに、俺より何故か甘い匂いがする。
バレたら怒られるな、と思いながらも、まだゆっくりしていたい俺は、そこから動こうとはしなかった。
…名前は、変な奴だ。
コロコロと変わる表情、出会ってから色んな顔を見てきた気がする。
腹を立てたのかと思えば、その数分後にはケラケラと笑っている、見ていて飽きない。
百面相の名前を頭に浮かべると、ふと口元が緩む、いつの間にか俺は平和ボケしてしまったのかもしれない。
ただ、本当に悲しくて泣いているところは見た事がない、テレビを見て感情移入しているか、俺には理解のできないバラエティ番組とやらで笑いすぎて泣いているところしか。
泣く理由がないのか、泣く場所がないのか、名前は、どっちだ。
まぁ、こんなことを考えても仕方がない、ようやく体を起こした俺は、目を完全に覚ますためベランダへと足を進める、橙色の光が眩しくて自然と目を細めた。
後、数時間で扉からは疲れ切った「ただいま」が聞こえてくるだろう。

**

「別にいいよ今更。減るもんじゃないし」

向かい合ってカレーを頬張りながら、あっけらかんと答える名前、まぁ、そう言うとは思っていたが予想通りすぎる返答に何も言えなくなる。
俺に自分の下着を洗濯させるな、と言った答えがこれだった、分けて洗濯すればいいと言えば、水がもったいない、と正論で返され、何も言えなくなる。

「俺は男だぞ」
「えっ…もしかして私のこと変な目で見てるの!?」
「…はぁ」

溜息をつく俺を見て楽しそうにしている、今のどこに上機嫌になる要素があったんだ。

「あ、そう言えば聞いて聞いて聞いて!」

食器を洗い終えた俺に名前が、食い気味に話しかける、何だ、と言えば、え〜やっぱどうしようかな〜と腕組みをして首を左右に傾ける。

「早く言え」
「あのね、高橋さんにご飯誘われちゃった」
「…二人でか?」
「んな訳ない。私の同期の男も一緒だよ」
「どうだか」
「万が一そうだとしても二人きりなら行かないよ。あ、明後日帰り遅くなるから。夜ご飯は作っとくから勝手に食べてね、一人にしてごめんね」
「別に構わない」
「へへ、楽しみだなぁ」

そう言って穏やかに笑った顔、初めて見る名前の表情に、まだ知らないそれがあったんだな、と驚かされる。
俺の知らない名前を、高橋とやらはもっと、知っているんだろうか。

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