はぁ、と馬鹿みたいに大きい溜息をつく。電車の音が掻き消してくれるから。きっと誰にも聞こえていないし、それがいい。私、しんどいですよアピールをするのは苦手だ。それが電車で、ただ乗りあわせただけの他人であっても。うわ、この人疲れてるな。と思われたくない。謎の意地。次が最寄り駅であることを知らせる聞き慣れた無機質なアナウンスが耳を通り抜ける。最寄り駅と言っても、ここから20分は歩かないといけないのだけれど。家路につきながら思いだす。何で今日に限ってダブルチェックしなかったんだろう。仕事が立て込みすぎて確認を怠ってしまった。過ぎたことを言っても仕方ない。でも、いつも通りやっていれば…あぁ、もう考えたくない。明日休みなのが、せめてもの救い。飲もう。クラウドも巻き込んでやる。スーパーに寄った私は、いつもより多い量のお酒を買った。
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「ただいま。今日は飲むよ」
「…何だいきなり」
クラウドは明らかにいつもと違う私の雰囲気を感じ取り、身構えていた。スーパーで買ったお酒達をテーブルの上に出していく。ビニール袋から缶が出されていく度に顔が険しくなっていく。あ、量がおかしいのバレてるな、これは。
「いくら何でも量が多いだろう」
「二人で、たっくさん飲むからね」
「…は」
あ、口半開きだ。かわいいな。クラウドとお酒を飲むのは、これが初めてというわけではない。何度か一緒に飲んだことがある。一本ぐらいでやめていたけれど。そこまで弱い訳でも強い訳でもなさそうだった。今日は、その端正なお顔が崩れるほど飲ませてやろう。そう誓った私は缶チューハイのプルタブを押しあげる。プシッと聞き鳴れた音。私はそれを彼の目の前に置いた。
「召し上がれ」
笑顔の私を目の前にして、クラウドはとても怪訝そうな顔をした。何を企んでいるんだ。とでも言いたげに。目の前に置かれたアルコールに口をつけようとしない。
「私のお酒が!飲めないっていうの!」
「…もう酔ってるのか」
「まだですけど、何か」
信じられないな、そうポツリと呟いてクラウドはようやく飲み始めた。待ってましたと言わんばかりに私も即座に缶を開けアルコールを流し込む。ぎょっとした顔で私を見るクラウドは、おそらくペースが早いとでも思ってるんだろう。
「はー美味しい」
「何か、あったのか」
その言葉に缶を口元へ運ぼうと思っていた手が止まる。あぁ、だから私は分かりやすい性格だと言われてしまうんだろうな。しんどいですよ、アピール。きっと今してしまっている。いや、そうじゃない。そういうのとは、また違う。きっと私は、
「話したいことがあるなら話せばいい。頼ればいいだろう、俺に」
彼にこうやって甘やかして欲しかっただけなんだ。でも素直に言えないから、いつもと違う行動をとる。クラウドが気付いてくれるだろうって分かっているから。とんでもないダメ女だ。私。しんどいですよアピールが苦手だなんて、もう言いません。ごめんなさい。
「話す。から聞いて。そして飲んで。私も飲む」
そんな私の馬鹿みたいな言葉に、ふ、と笑いながらクラウドは頷いた。
**
「私がぁ、悪かったの、分かってるんだよぉ」
「そうだな。今度から気をつければいい」
そう言いながら私の頭に触れる彼の手は、とても優しい。今、酔ってる?と聞かれたら、酔ってます!と元気に即答できるぐらいにはアルコールが体の中をぐるぐるしている。私までとはいかないけれど、クラウドも中々のペースで飲んでいるので顔が赤い。端正なお顔が崩れてはないけど。くそ、私が飲み過ぎた。
「クラウドも酔ってるでしょ。かぁわいい」
「酔い過ぎだ」
「いてっ」
おでこを手のひらでぺちん、と叩かれた。何か仕返しをしてやろうと私はクラウドとの距離を縮め、しかめっ面で、じぃっと目を見る。綺麗な色だね、相変わらず。すると、その色はやがて見えなくなって、顔がズームされていって、唇に暖かい感触。あれ、
「え、え」
「…してほしそうな顔してるかと思ったが、違ったか?」
口の端を上げて、したり顔。体中の熱が顔に移動する感覚。
「ちょっと、そういうの…どこで覚えてきたの」
「名前としかしたことがないから、覚えるも何もないな」
「うっ」
心臓を抑えて苦しむそぶりをする私に、どうした、飲み過ぎたのか。と飄々とした態度で声をかける。本当、そういうとこだよ。酔い醒めたよ馬鹿野郎。
「…で、してほしかったんじゃなかったのか?」
「………もっとして」
負けました。与えられた熱に浮かされた私の返事を聞き終わるか聞き終わらないか、ぐらいのところで追加された唇への温度を私は受け入れた。どちらのものか分からないアルコールの匂い。度数のきついお酒よりも酔いが回る。可愛らしいキスを何度かしてから、どちらからともなく薄く口を開ければ、アルコールが染み込んだ舌を絡めあう。
「ん、ふぁ」
ねろねろと舌を擦り付け合うだけで、どうしてこんなに気持ちいいんだろう。クラウドの綺麗だけれど少しゴツゴツした指が私のうなじから差し込まれて、そのまま厭らしい手つきで耳を触られる。あ、駄目だこれ。
「や、ちょっと待って」
逃げるなと言わんばかりに、もう片方の空いている腕で腰を抱き寄せられた。私の上唇を舐めて、下唇を啄み、また深い口付け。あまりに官能的だ。お酒の缶のラベルが丁度私達を見るかのように正面を向いていて、馬鹿みたいだけど何だか見られているみたいで少し正気を取り戻しそうになったけれど、クラウドの、俺のこと以外考えるな、という殺し文句のせいで私は深い沼に引きずりこまれることになる。予想外だ。ここまで甘やかされるなんて。
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