掻き消えて還る
頭上でジャラリと音がした。
息が詰まった。
腕が締め上げられ、鉄の固さに呻いている。鉄と鉄の間に挟まれた薄皮が悲鳴をあげた。
次の瞬間、横腹を殴打される。
息を呑んだ。
武器は何かわからないが人の手ではない。鈍器かはたまたバットか鞭か、打撃としては十分な威力のもの。それしか解らない。殴られ続けた腹部は雑把な感覚しかつたえてこない。
目隠しで厳重に覆われた視界のせいで感覚が鋭敏になっていたが、それすら鈍化した今、見えないのはある意味で幸せだった。
「息止めてるよ?」
そういって男は俺の脇腹を撫で上げた。触れた場所がジュクジュクとした痛みを訴えてくるが、取り合うことはしない。すると「ホラ、また」といってまた撲られる。
自分の現状がわからないのだ。殴られた時にジュクジュクとした痛みなんてない筈なのにおかしな話、化膿しているのかもしれない蛆が涌いているのかもしれない武器に何かついているのかもしれない。いくら想像しても答えは解らない。視界的な暴力はないのだ。それだけが唯一の救いだった。
解るのは、鎖で締め上げられた腕で吊るされる自身、片足だけ爪先がつく状態であること。犯人は男な事。喋れないことそれだけだ。あとは痛いという感覚程度。
「呻きもしないね。」
この声に妙に聞き覚えがあった。だが、誰かわからない。思い返そうとすると頭が霞んで、嫌な汗が伝う。
相当なトラウマでも相手に植え付けられたのだろうか、だがトラウマなんて自覚しているものはないし、何より声に嫌悪を抱かないのだ。むしろ聞き馴染んだ響きだった。
喋ろうとすれば舌から激痛が走る。だから、痛みをこれ以上発生させないために必死に咬まされた鎖を噛み締めていた。
「喋れば良いのに」
「あ゛っ……!!」
そういって咬まされていた鎖を引っ張られる。一気に口の中に鉄の味が広がる。久々に出した声は出血による血液のせいで掠れていた。
頭が痛みのせいでガンガンと訴えている。解放してくれと、休ませてくれと。しかし解放はされなければ抵抗も許されない。
閉じることの出来ない口から唾液と混ざって血液が流れていく。頭が軽くなるのがわかる。ソレほどまでに失われていく。塞がりかけていた傷がまた開いたから当然だろう。
思考も深く出来なくて、呼吸も深く出来なくて、
それでもやっぱり生きたくて。
だから、必死に鎖に力にしがみついていたのに、体力は限界を迎えた。
辛うじて台座のようなものについていた爪先が滑る。
その瞬間今までになかった圧迫が押し寄せる。首にかかっていた鎖が呼吸を奪い、自重が助長する。
霞んでいく意識はやっと痛みから解放されることを喜んではいたが、確かにもう大好きな人達に会えなくなることを悲しんでいた。
白んでいく感覚の向こう、「あーあ」と暢気な男の声が聞こえた。
どうしてだよ、れっど。
白い天井が眩しい。
俺は、生きてるのか。
体に力が入らない。だが、違和感を感じた。そして違和感が何かをすぐに悟った。
痛みが、ない。
正確に言えば身体中軋むような痛みが鈍く支配してるが、直接的な神経を抉る痛みがないのだ。
もしかして、
「ぁ……」
声が、出せた。
舌を貫いていたナットがない、繋がれていた鎖が、ない。
「先輩!?」
耳元で元気な、懐かしい声が飛び込んできた。
僅かに視線をずらすと今にも泣いてしまいそうなゴールドが身を乗り出すように俺を覗き込んでいた。
「ごー、…るど?」
何故いるんだと訊きたかったが、うまく喋れない。やはり舌が痛みを訴えている。
良かったと何度も呟いた後ゴールドは俺に笑顔を向けてくる。
「もうすぐ看護婦さん来ますから、俺ナナミさん達呼んできます!」
そう言ってゴールドは駆け出していった。
ああ、ココは病院なのか。
ならば俺は発見されて救助されたということか。
存外あっさりと迎えた終わりと、戻ってくる日常にため息を吐く。一体俺はどれほどの時間をアソコで過ごしたのだろう。長くて暗くて一生続くかと思っていた。
突如戻ってきた生活に、意外にも涙しない。実感がわかないのか泣く気力が無いのか。
「全く、平和ボケしてるよね、」
突然に部屋を訪れた声に呼吸を忘れる。思い出しても荒くなっていく呼吸を気にも留めず赤は歩み寄ってきた。
「じゃあ、行こうか。」
赤は笑顔で言ってきた。言い終わると同時に手が振り上げられるが、体を鈍痛が支配して逃げられなかった。
もろに打撃を食らう。塞がりきってない傷から血が飛び散った。
揺れる脳があの日々の痛みを鮮烈に思い出し、なんとかして逃げようとベッドから転げ落ちるが体が思うように動かない。こんな痛みあの日々に比べたらどうってことないのに。
床を踏み締めるようにして赤が近付いてくる。床に落ちたナースコールが目についた。
はやく、早く!
あんな所もう耐えきれない!焦るばかりで現れない看護師に助けを求める。しかし、ナースコールが既に押してあるなか今押しても意味はなく、徒にボタンを押しただけだった。
視界が陰った。
けたたましい音が聞こえナースは走った。
するとそこには呼び出した本人の姿はなく窓が大きく開いていた。いや、違う。コレは、窓がなくなっている。窓枠ごとなくなっている。
「グリーン、先輩…?」
唖然としているといつの間にか患者の後輩が立っていた。
そして彼がその場に力無く座り込んだことでようやく事態の深刻さを看護師は認識した。
「“逃がさないよ?”」
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