監禁
写さない瞳
「ああああぁぁああぁぁぁっ…!!」
突如、弟の叫び声が響き渡る。
ついで何か落ちるような音。
「グリーン!?」
急いで階段を駆け上がり弟の部屋の扉を開くと、肩を跳ねさせた弟が必死にすがり付いてきた。
「姉ちゃっ、姉ちゃん…!!」
弟はガタガタと震えており、ベッドに何か有ったのかと視線を遣るが、イーブイが戸惑った様子でお座りをしているだけだった。
「イーブイが、どうかしたの?」
一向に顔をあげる気配のない弟に徐々に不安が募っていく。
弟は一ヶ月前突如として姿を消したのだ。そして先日栄養失調の状態でゴミ捨て場で倒れているところを発見された。何をしていたのか訊こうにも今までずっと寝ていたから、聞くに聞けなかった。しかし、ナナミは確信に至る。弟は何か合って姿を消した。
対応を決めあぐねているとイーブイがベッドから降りる。
その気配に気付いたのか泣き出してしまいそうな形相で弟が勢いよく振り返る。
「よ、寄るなっ…!!」
「グリーン?」
驚いた。弟はイーブイに恐怖しているのか、私にすがり付いた状態で更に後ずさろうとしても私が下がらないと無駄なのにやめようとしない。
そして、寄るなと言われイーブイが止まったのも少しの間で、また近寄ってくる。傷ついた表情で。
「ひ、ぃ……!」
触れれる所まで近づいてきたイーブイに絞り出すような悲鳴をあげると今度は目を腕で庇うように隠す。
「ブイ…」
イーブイが寂しそうに泣いた。そして弟の足を舐めた。
一瞬ビクリとした弟だったが、次第に恐る恐ると言った風に視界から腕を外す。
「イー、ブイ…」
大人しくお座りしているイーブイが返事をする。途端に涙を惜し気もなく溢れさせる。堪らないと言ったようにそのままイーブイを掻き抱いた。
「ごめん、イーブイッ…ごめん、ごめんなっ…!!」
イーブイは嬉しそうに弟の頬を舐めていた。
私には、それが不自然に思えた。
弟は、グリーンは、人前で泣くのも、ましてや恐れる姿を見せるなど好んでいなかった筈だ。しかも、先ほどまであんなに恐れていたのに対して今度はずっと抱き込んでいる。
不自然というより異常に近い。
暫く、同じようなことが続いた。
理由を聞きたくてもグリーンは頑として語らないので、理解も出来ない。流石にいくらか繰り返せば収まるだろうと思い、今日も大丈夫だといいに階段をあがっていくが、その考えが甘いと思い知らされる。
「なあ、姉ちゃん…イーブイは、」
イーブイは、生きてる?
疲弊しきっているのか、叫びもしなければ、ベッドから落ちることもなくなった朝の事だった。顔を膝に埋め、毛布から出ることもなく弟が小さな声で呟いた。衣擦れの音にすら負けそうなほど小さな声だった。
イーブイは、生きている。病気ではないから当然だ。そもそも気持ち良さそうに足元で寝ているのに、寝息もしていて解らないわけがない。
是と返せば、少し顔をあげ、イーブイを見たのだろう。目を細めた後また俯き、体を震わせた。
「俺さ、ポケモンが生きてるか解らないんだ。もう、解んないんだ。」
どういうこと?
聞こうと口を開いた時にひとつのボールを突き出される。
腰のホルダーから出されたから、グリーンが本気の時に出す手持ちの一匹だろう。
「コイツらが、まだ寝てるだけのように見えるんだ。」
見てみろと言うことだろう。
真意は解らないがボールを開放した。
途端に広がる異臭。羽音を鳴らしながら飛び回る猩々蠅。口からは蛆を溢れさせ、目は空洞となったバンギラスが…いや、バンギラスの外殻があった。
それを愛しそうに、どこか遠くを眺めている弟がいた。
弟は、今なんと言った?まだ寝てるだけに見える?コイツ「ら」が?
身の毛がよだつ。
「グリーン、まさか……」
バンギラスを撫で続けるグリーンの目が一瞬曇った。グリーンのホルダーをとり、ボールを開いた。
そうだった。
どの子達も、残骸だった。
艶のあった毛は屍脂でベタつき、ボサボサとなっていた。蛆が溢れだし肉の艷さが妖しく光る。
「どうして…」
そう溢してから、はっとした。弟は、この子達を愛していた。今もいとおしそうにしている。そんなグリーンに聞くのは酷だと言ってから後悔した。
しかし、弟はあっさりと答えた。
「俺のせいなんだ。」
「俺が、ウザい奴なせいでまた死なせちまった。」
どういうことだ。
グリーンのせいで死んだ?いや、そもそもグリーンのポケモン達は屈強なのだ。死んだと言うことは慢性的なものなのかもしれないが、コンディションにも気遣っていた弟が衰弱を許すとは考えづらい。大体、グリーンがウザくて死んだ?なぜ。
目が覚めた。
狭い室内、いや見渡せばドアはなく天井が無いから穴と言った方が正しいのだろう。コンクリートで周りを固められた3メートル四方の部屋に俺はいた。
「なんだよ、コレ。」
そして俺の周りには一目で瀕死とわかる程血まみれの手持ちがいた。
呼び掛けても、薄く目を開くだけで碌な応答も出来ないようだった。
バッグを漁ろうにも見当たらないし、ボールもない。訳は解らないが、穴の高さは2メートル程だから立てば届く。とにかく、助けを呼ばなければ。思い立ち、立とうと力を入れた瞬間激痛が走って崩れ落ちる。
足を熱をもったように熱く、がんがんと痛みを訴えてきた。
何だ、
目を遣ると、両足だ。両足、よく見ると変な方向に曲がっている。スラックスを捲ると、見事部位が青黒く腫れ上がっていた。
畜生、折れてやがる。
「目、覚めたのか。トキワのジムリーダーさんよ。」
声を張り上げて助けを呼ぼうかと思案したところで声を掛けられた。
光明一筋と顔をあげたが、その考えも一瞬で消え失せる。
男が、下品な笑みを浮かべていたからだ。
「コイツ等を、こんなにしたのはお前か…」
「正確に言うなら違うがな、ついでにお前の両足折ったのは俺だぜ。」
満足そうに笑みを深めたことで、大体を察した。
「俺はお前と違って親切だからな。今の状態が解ってねぇようだから教えてやる。」
そういうと男はベラベラと自慢気に語り出す。
どうやら目の前の男に襲撃されて気絶してしまったようだ。そのあと睡眠薬で起きないようにされた俺の両足を折ったらしい。ソコまではまだよかったのだ。ココからは惨劇だった。そのあとボールから俺の手持ちを出し、俺の首にナイフを宛がいながら手持ちに言ったそうだ。
「全員が瀕死になるまで潰し合え。」と。
だから、俺は手を下してない。お前のせいでポケモンは傷ついたと。
ふざけている。いや、頭がおかしい。
しかも、動機がジム戦後の俺が言った「そんなんじゃまだまだだな。」って言葉とアドバイスが原因ときた。幼稚すぎる。
「せめて、ポケモンだけでもココから出してください。」
この男の目的なんて、たかが知れてるから早々に折れてやった。どうせ俺が、自分の手によって平伏すのが見たいのだ。
やはり、とたんにバカにしたように満足したように破顔させる。何故俺はこんな単細胞なんかに不覚をとったんだ。そのせいで、コイツ等はこんなにも傷付いて…。手持ちをみやる。どいつの血液かも解らない血にまみれて、俺なんかの為に潰し合った。考えただけで体に穴が開くような感覚に囚われる。
「立場が解ってるみてぇじゃねえか。」
ニヤニヤと賎しい笑みに見下される。その笑みが更に深まった。
「だが駄目だね。それじゃ俺の傷付いた誇りは地に落ちたままだ。」
お前のちんけな誇りが、俺のポケモン達の誇りに敵うとでも?
目だけで訴えるが、男に気づく様子はない。
「自分のせいで弱ってくポケモンをせいぜい眺めときな」
「ポケモンに罪はないだろ!?!!」
「ああ、そうだね。だがお前には罪がある。」
思わず噛み付いたが、男は意にも介さないと言ったように聞き流す。年下からのアドバイスすら聞き入れられないとは、人間としても最低な野郎だが、トレーナーとしても最低なようだ。
そのまま男は消えてしまった。
衛生状態の悪さは体力消耗の原因にもなりえる。幸いティッシュとハンカチは有ったから拭ける分だけ血を拭き取り、出来るだけの処置をした。
瀕死のポケモンといえど、ボールさえあればこれ以上の負荷をほぼ0に出来るというのに。
応急処置を施している間も足が痛みを訴えてきた。狭い穴の中を引き摺るように移動したところで痛いものは痛い。
下唇を噛み締め痛みに耐えていると、バンギラスが癒すかのように舐めてきた。
静かな瞳に安心する。かなり弱っているのは否定しようがないが、まだ生きてる。
そう思うと、足の痛みなんか苦にならない。
ある程度、綺麗になる頃にはだいぶ時間も経っていたが男が解放する気配はなかった。
どいつも目を開ける気力すら無いらしい。苦しげな呼吸音ばかりが生きている証拠だが、こっちが苦しくなって呼吸出来なくなりそうな音で、
何も出来ない自身がもどかしい。
俺自身、体力は消耗していたのだろう。気が付けば寝ていたようだ。傷付いたポケモン達の様子を見ておかないといけないのに。慌てて周りを見渡すが、どうやら呼吸はしているようで一息ついた。ただ、確実に浅くなっているが。
少しでも体力の消耗を防げるよう手持ち達の汗を拭いていっていると、ふと視界が眩んだ。
そういえば足も熱い。呼吸のしづらさに息もあがっていく。
熱だ。
認識すると同時に一気に症状が押し寄せてきた。踏ん張りが効かずに倒れ込む。倒れた先にいたドサイドンが体を起こそうとして来るのを慌てて制す。
「体力を下らねぇ事に、使うな…」
俺が不甲斐ないせいでごめんな。呟くと少し切なそうに目を細める。解ってる、こいつらは優しいから俺のせいではないと言いたいんだろう。だが、俺の不注意が要因だ。
体を引き摺るようにドサイドンから離す。支えるものが有るだけでも大きな差になりかねない。
男は毎日俺を嘲笑いにきた。奥まった部屋なのだろう、仄かな光の差で推測するしか無かったが。
ギリギリで生かして苦しめたいのか、僅かな食料しか与えられず、体力は碌に快復もしない。
霞む視界で手持ち達を確認して少しでも落ち着くように撫で続けた。
そうして、ある日来た男は呟いた。
「キチガイめ、」
キチガイはお前だろう。意味が解らなかった。
そんなことよりもピジョットを撫でようと手を伸ばした。
そして空かした。
え?と思い目を見開く。羽毛に届いていた筈だ。
いきなり異臭が襲ってくる。驚いて瞬きをする。そして広がる光景。
臭いは腐臭だった。
ピジョットの目蓋からは黄色い体液が零れ羽毛をベタつかせ、ウジを育む巣となっていた。思わず後ずさる。そして他の手持ちに当たった。振り返ると、他の奴等もそうだった。
外殻を残し皮膚を爛れさせ、干からびている。
腐っている?こいつらは既に死んでいた?いつから、いつから死んでいた?
俺は、死んで腐っちまったコイツ等を撫で続けていたのか?
喉から渇いた笑いが零れた。
目が覚めた。
また同じ夢だ。毎日、あの日々を繰返し夢に見る。恐怖をぶりかえす。
体を起こすと、目の前にはイーブイ。俺には、もう判別がつかない。
姉が生きていると言っていたイーブイですら、ふとした瞬間に肉体を腐らせ俺の目に写る。
もう、ゴメンだ。
いつものように弟を起こしに階段を昇っていた時、弟の呻き声が聞こえ扉を開けると弟は何時ものように蹲っていた。しかし、足元に丸まっていたイーブイの姿はなかった。
「グリーン?」
「姉、ちゃん…?」
「……!!、グリーン、何してるの!」
手から顔を離すと手が真っ赤で、近くにはカッターが落ちていた。
痛みに耐えるように眉をひそめながらも、弟はへらりと笑う。こめかみから反対側までの一閃が血を垂れ流している。
「イーブイも、ボックスに入れたし、俺ももう何も見えないから、」
もう、苦しまなくて良いんだ。
そう言って弟は目を閉じたまま、またへらりと笑って見せた。
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