魔女
いくら呪っても報われやしない
街で一斉に狩りが開始された。
獣や吸血鬼、あやかしの類ではない。
獲物は人間だった。
科学者の祖父を持ちながらも、グリーンは非科学的とされる能力を持っていた。彼自身、能力を持ち足る由縁なぞしる由もないが、能力は活かしたい性分であり世間に隠していたこともなかった。
能力と言うのも、病人を見ただけで有効な薬草を探し当てたり、先見した夢を見たり、異界の者、つまり死者とされる精霊と更新できたりなど、呪いとして一般に認識されているモノとは無縁である。
グリーンはシャーマンであった。
地域の者に貢献していた人間がなぜ悪しき者として排されよう。
狩りが開始されたと同時に俺は逃げ出した。この世に未練はない。死者と隣り合わせだったがために、後悔するような生き方はしたつもりはなかった。けれど、生に執着していない訳でもない。俺はまだ姉ちゃん達と笑って過ごしていたかった。姉ちゃん達も同じで、こっそりと裏口から逃がしてくれた。家の裏の山を必死に走る。止まることは許されない。
さっき、見下ろしたとき、松明の灯りがユラユラと揺れていた。それはもう山に入っていて、俺がここにいることを悟られていると言うことだ。
「お前は手出すなよ」
揺れるローブの端、輝く存在に釘を指した。
「それは、誰の事かな。」
いきなりの声に走っていた足を止める。目の前の木陰から男がぬぅっと現れた。
首から掛かっている十字架が揺れる。
「今、誰と話していた?」
問われる。
俺は答えられない。
答えたら捕まって異端審問にかけられる。異端審問にかけられて無罪なんて一度も聞いていない。
後ずさる。
そして向き直り、走ろうとしたが壁にぶつかる。これは、壁じゃない。人間だ。そのまま拘束される。
「はな、せっ!」
羽交い締めにされ腕が軋む。
目の前の男は十字を切り、呪文のような「神」の名を語る言葉を唱えた。
神の名においてだなんて馬鹿馬鹿しい、誰もコイツが神の名を語るのなんざ許していなければ天使も神も、ましてや精霊も見えない、見えるのは死者の手ばかり、
死者の手……?
背筋が凍る。頭が急激に冷めていく。
「おい、逃げろ…」
駄目だ、駄目だ、はやく逃げろ逃げろ逃げろ!!!!!!
死者の手が俺を除いた男達にまとわりつく、まとわりついて、すがるようにする。すがる、ではない、手招いている、歓迎しているんだ。
茂みがカサリと揺れた。
地面に叩きつけられる。
そして聞こえてくる唸り声。肉を千切り、骨を砕き血を鳴らす音。
見ると獣が男の喉を食い破っていた。
十字をきった男は腰を抜かしている。死相が消えない。
「みつけ、………ひいっ!」
松明を揺らしていた男達が現れた。と、同時に獣を認め戦く。
まさか、まさか………
驚いて投げ出された松明が、静かに雑草へ燃え移り爆発した。
一気に燃え広がる炎にたじろぐ。獣は瞬時に逃げ出した事で我に帰り立ち上がった。
逃げなくては、逃げなくては、
「おっさんもはやく逃げろ!あっちには洞窟がある!」
言って俺は走った。おっさんの生死を確認する余裕はない。
しかし、大人が俺を追い越さない筈がないから結末は確認するまでもないのだ。
山火事の割に奇跡的に難を逃れた俺は洞窟の中で上がる息を抑えて一人蹲っていた。
遠くから水の滴る音が聞こえる。
湿気もあるし、第一ここには燃えるものが無いから火が及ぶ心配はなかった。
頭がうつらうつらと舟をこぐ。魔女狩りの噂を聞いてから安眠出来ずにいた。というのも、心配で寝付けず、寝ても夢の中でも必死に走って逃げるが、捕まると言う夢で終いにはいつも起きていたからだ。
『寝なよ、何かあったら起こすからさ。』
光が囁いた。
「レッド…」
名前を呼ぶと光は形を成した。レッドは衆生から少し離れた存在、つまりあの世側の存在だ。しかし、死者なのか悪魔なのか天使なのか、はたまた精霊か……グリーンからすれば差別化されていない存在でどれかは判りやしない。しかし、ただの幽霊という訳でないのは解っていた。レッドは一通りの怪奇現象は起こせる。神通力らしいものも使えてしまう程強力な存在だ。
何故か俺を気に入って、周りを浮遊するものだから憑かせて力はある程度セーブし、抑えて貰っていた。
「わりぃ、…」
正直、もう限界だった。山火事なんてこの小山でもしばらく治まらない。火事を凌ぐ間だけでも寝たかった。
レッドも何かあったら起こしてくれるらしいし、優しさに甘えてしまおう。
「なんだよ、コレ……」
気付けば、日が傾いていた。
鬱蒼と繁る森に赤い空の色が映し出される。変わらない世界。
最初は、風向きが逆だったのかと思ったがそうではない。
有り得ない、
山火事など形跡もなかった。
『夕暮れだね、グリーン1日寝てたし』
見当違いの返答が返ってくる。
何ふざけたこと言ってやがんだコイツ。
「そうじゃない、何で、山火事が起きてない?」
『起きてないからさ』
起きてない?有り得ない、火は確かに燃え移った。あの状態から山火事が起きないなんて有り得るハズがない。
『言ったろ、何かあったら起こす、って。何も無かったんだよ。』
何も、起こってない?
信じられなかった。レッドの目からは何も読み取れない。
……確かめてやる。
レッドに何も言わずに駆け出す。来た道をそのまま戻れば良いだけだから方角も問題ない。
レッドも、何も言わずについてきた。
『わー、奇跡的。』
白々しいレッドの感嘆した声。
俺が昨日居たところには、灰色の粉や破片が散らばっていた。灰色というより灰そのものだ。この空間だけが真っ黒に焼け焦げている。
魂は、見えなかった。
「火事なら、こんな焼け方しない……」
「お前が、やったのか、…?」
『俺が炎を抑えたって見解はないわけ?』
あるハズないか。と答えを聞くまでも無くレッドは一人納得するのを睨み付ける。
当然だ、ならば何故レッドはハンター達を助けなかったんだ。助ける気が無かったからだろう。
ああ、コイツの力を押さえるが為に憑依させたというのにコレでは意味がない。目を離すべきではなかった。俺が眠気に耐えておけば彼等は死ななかったかもしれないのに。
『夜の山は危険だ、早くどこかへ行こう。』
レッドが何とも無いような調子で話しかけてきた。実際なんとも無いのだろう、その癖俺の安否には気遣う。
納得がいかない。
だが、レッドの言うように事実危険なのだ。俺まで死んでしまっては元も子もない。
もう追手はいないだろうと踏んで、家に向かう。決してレッドに言われたからではない。
家に着いた頃には既に辺りは暗く日は沈んでいた。山間部の田舎町では山で日が陰ってからは暗くなるのなんて一瞬だ。
だから、本来ならば家の灯りは点されているハズなのに、家は暗いまま。不穏な風が髪を揺らして吹き抜けていった。落ちた木葉が舞い上がる。
「放しなさい!!」
姉の激昂が、聞こえた。
玄関先の方だ。急いで丘を駆け降りる。
「おじいちゃん!…何て事を!!」
思いの外近くで聞こえた声に思わず身を影に隠した。
「魔女の血統は絶やさねばな、抵抗するなら容赦はせん。」
「薄汚い、財産目当ての癖に…!!」
姉が呪詛を吐くような、低くおどろおどろしい声を出す。姉のこんな声は初めてだった。
そのあと痛々しい音が簡素な夜に響いた。
「おじいちゃんは科学者じゃない、ソレでなんで魔女なんて思うのよ、」
「昨今、ファウスト氏は科学者でありながら悪魔を呼び出している。科学者だろうが関係はない。」
先程までの勢いとは反して姉の弱々しい声に冷たく男は言い放ち、「連れていくぞ」と言った。
連れてく?探しているのは俺じゃないのか。
身を屈めていた俺の横を男は通りすぎる。屈めていたおかげで俺は気付かれなかったが、脂汗が一瞬にして浮き出た。
「魔女でないなら審問で証明するがいい」
誰が、魔女だって?
言葉を聞いた瞬間、俺の額に青筋が立ち、気がつけば立ち上がっていた。
「待てよ、」
「じいさんも、姉ちゃんもそんなじゃねーよ、俺だけだ。」
男達は突如背後から放たれた声に驚いたようだ。勢い良く振り向き、懐から聖水が入っているであろう瓶やら銀の弾が詰められた銃、白々しい炎で清めただろうダガーを取り出す。
俺の発言なんて奴等からすれば所詮詭弁なのか、姉やじいさんは解放されない。
「俺の家族を放せ、」
「グリーンっ……、」
姉はなぜ戻ってきたのか、なぜ、今出てきたのか、そう言いたげだった。
出来るわけないだろ、俺が姉ちゃん達から離れるなんて、見殺しにするなんて、
姉ちゃんが羽交い締めを振りほどこうともがくが解放をしようともしなかった。
男達が武器を構える。
「放せって言ってんだろ!」
主格であろう男の胸ぐらに掴みかかろうとした時、
男が発火した。
周りの男達が怯む、俺も、怯んだ。火は勢い良く男を包んでいく。喉を焼きながら断末魔が叫ぶ。
『ハハハハハッ!』
突如、レッドが笑い声をあげた。
楽しそうだった。
瞳は炎で虹彩を揺らめかせている。綺麗だった。
だが、ソレは人が死に逝く炎で光っていて、
綺麗であれば有るほど残酷であった。
レッドは愉快そうにくるりと一回転して男に近付く。
そうして男を魂だろう、鷲掴むとそのまま口へ運んだ。
『まっず、』
愉快そうに、笑った。
「何してんだ、レッド…」
レッドの瞳が怪しく煌めく。
レッドは、標的を移した。
「やめろ、レッド……、」
「やめろ!!!!」
男は燃えた。
他の唖然としていた男も次々と燃えていく。
死者の手が大量だった。命が終わるのを待ち焦がれ、引き摺り込もうとしている。
「姉ちゃ、……!」
放り出された姉ちゃんに急いで手を伸ばす。姉ちゃんも手を伸ばした。その時だった。
指先にチリッと痛みが走る。
姉ちゃんが火に包まれた。
目の前で姉ちゃんが火に包まれた。俺が手を伸ばした瞬間に。
姉ちゃんの綺麗な髪が、白い絹肌が、睫毛が、赤く彩られて熔けてゆく。
「レッド、やめろ、やめてくれ!レッド!!!!」
レッドはやめない。いやだ、なんでだよ、なんで俺から家族を奪うんだよ、お前俺のこと嫌いなのかよ、俺が何したっていうんだ。大事な家族なんだ。奪わないでくれ。
『俺からグリーンを奪おうとするんだもん。』
無邪気な笑顔でレッドがニコリと笑う。俺から家族を奪う癖して何を言う。
『俺を、グリーンが幸せなら良いなんて自己犠牲に酔いしれる奴だと思ってたの?』
俺は、グリーンが無事俺の物であればいいんだよ。
その言葉を聞いて俺は自分がいかに危険な存在を憑けていたのか、今やっと理解した。レッドは、俺の側にいるのが心地良いと思い込んでいた。それ以上は何も無いのだと思っていた。レッドは、「グリーン」を所有していたのだ。力をセーブだなんてとんだ思い上がり。
「俺は、レッドの物でいいから、俺から家族をとらないでくれよ、レッドの好きにして良いからっ……!」
『本当?』
必死に頷く、もう視界は涙で見えなかった。拭いながら何度も頷いた。
炎が消え失せる。
倒れ伏した姉はもはや元の笑顔も連想できないまでに肉を黒く焼け焦がし爛れさせていた。
炎がやんだところで姉は助かりようがない。じいさんは、姉ちゃんよりマシだが、もう生きてはいないだろう、姉ちゃん、も………
「グ、リ…ン」
「! ねえちゃ、」
「愛してるわ」
姉は、少し身動ぎした後、動かなくなった。
そうして透けた姉ちゃんは、手を引かれてどこかへと消えていった。黒い影となって。
『約束だよ、俺のグリーン。』
嬉しそうなレッドが座り込む俺に抱き着いてきた。「ああ、やっと俺のものに、グリーン、グリーン」と独り言を言いながら俺を撫でてくる。俺は抵抗することもなくただレッドの好きにされるだけ。
愛したものの形骸化
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