水没
目の前の男は今までと違った。
俺は、疫病神とも言われれば、死神とも言われる。とても曖昧なモノだ。しかし、俺としては、人間の間で呼ばれる名前なんてどうだって良い。ただ、死の前触れであった。俺がソイツに触れればソイツは深層心理で死を予感する。
俺固有の名前なんていらない。第一、同種に会ったことも、俺の名前を呼ぼうとする奴もいなかったから、必要がなかった。
俺は「俺」だった。
俺は季節が一巡りしかした記憶がないから最近発生したのだろう。それでも、沢山の死を看取ってきた。
当然、老人が多かったが、時には子供、水子も看取った。死は誰にだって平等にやって来る。ただ、タイミングが違うだけで。
ポケモン研究の権威と言われる老人も看取った。彼には最後、俺の姿が見えたようだ。彼は涙を流して俺の実態の無い頬に触れようとして、突き抜けた。そして「すまんの。」と謝ると、そのまま絶えた。
俺は、伝言役まではしてやれないのに、老人は一体誰に向かって謝ったのか。四天王と言われる老婆にだろうか。彼女は彼の名前と悪態をつきながら絶えていった。
とにかく、死に際は大体の人はなにかを悔いたりしていた。だから、
やはり目の前の男は異常だった。
なんとなーく、そろそろ死ぬんだろうなーなんて思っていたときに彼が現れた。
洞窟の中で寝そべっていた。もう本当になんでもかんでも億劫に思えて、食事も摂っていなかった時だ。
「俺が、触る前から予感する奴も居るんだな。」
声が聞こえた。なんで聞き取れたのか解らないくらい曖昧で今にも崩れてなくなりそうな声だった。
ふわり、そんな効果音が似合いそうなまでに突如現れた彼に俺は飛び起きた。
「ぐ、グリーンっ!?」
洞窟内に声が反響していく。仕方ないだろう。
目の前には、一年前に行方不明になったきりだった幼馴染みがいたのだ。洞窟内に反響するような声を出してしまったのも、だからだ。だって俺を億劫な気持ちにさせていたのは探せど探せど居ないグリーンだったから。
しかし、当のグリーンは、目をしばたかせた後、僅かに首を傾げて振り向いた。
「グリーン?何してんの?」
「グリーンとは…俺か?」
向き直ったグリーンは不思議そうにしていて、頭でも打ったのかと前髪をどけようとした。
手が、すり抜けた。
そしてなんとなく俺の末路を理解した。
その理解した感覚はなんとなく体の芯を冷やすようで、実際冷静になったんだろう。気付いた。
グリーンの白目が、透明に近い白だと言うことに。蜂蜜色の瞳もよくみれば透明度に磨きがかかってる。あまりに人間らしくなく、底知れない恐怖に包まれていく。
一歩、
後ずさった。
そして、彼の他の異様な所も見てしまった。
黒い衣というか布のようなもの一枚しか纏ってないが、その黒衣は闇に紛れて境界線が曖昧だった。そして白い磁器のような足は何故か枷がついている。
「まあいいや。お前は近いうちに死ぬ。」
どうでもいいように、何も写していない瞳をこっちに向けながらグリーンは、言った。
「俺が見えるならついでだ。教えてやったんだから、やり残した事すれば。」
無愛想にいいはなつグリーンの中に、俺の存在が無いように感じる。
なんで、そもそも何故グリーンは、自分の名を呼ばれて反応が薄かった?記憶喪失?
いや、
確かに、
俺の手は、
現実逃避している場合ではないと、もう一度グリーンを呼ぼうとした。口を開いたのと同じタイミングでグリーンがふと後ろを見た。
片足を拘束している枷の鎖が音をたてている。引っ張られていくような、闇が引っ張っているような、
目の前の儚いグリーンは、その音にすら存在を掻き消されてしまいそうで俺は結局、どうかしたのかと声をあげた。
そして目を見開く羽目になった。
辺り一面が水でバシャバシャと濡れていく。
振り向いたグリーンがガボリと空気を吐き出した。
そして変色したかと思うとそのまま皮膚が膨脹して爛れていく。ふやけた肉が赤ではなくピンクやら腐敗した黒を露呈させる。
あまりの光景に身動き出来ずにいると、グリーンが今度は残っていたらしい僅かな空気を口から取り零した。
その瞬間、一瞬にしてグリーンは白骨化した。
辺りは何もなかった。
グリーンが消えた所を見ても、床に撒き散らされた大量の水の跡すら、どこにもなかった。
あれは、幻か。
幻にしては随分と残酷なものを見てくれるな。
レッドはその場に蹲り旅をしてきた両手で顔を覆った。
「まだ、いたのか。」
昨日と同じ声に、首だけを動かした。
また、昨日見た幻のグリーンがいた。寝そべっている俺を見下している。
「お前は一週間せずに死ぬ。なんでお前は何もしようとしないんだ。」
「別に、幻には関係ないだろ?」
気だるい声音のまま返すと、幻は眉間に眉を寄せる。一週間せずに死ぬ、なんて当たり前だ。人間栄養なしで一週間生きましたなんて聞いたこと無い。幻のくせに煩わしい。
「俺は、幻じゃない。俺を視認できたのはお前が初めてだけど。お前は、悔やんでることはないのか。」
「んー?ある…いや、有った、よ。」
どうせ、幻。そんなものを見てしまうほど衰弱してるんだな、なんて他人事に笑いながらグリーンを指差した。
「?」
「お前、だよ。グリーン。」
「幻って意味じゃないからな。…グリーンが生きてるって確認したかったね。」
「俺は幻になった覚えはない。ソレに、俺はグリーンじゃねえよ。」
「じゃ、誰。」
「名前はない。必要なかったから。」
凄い、会話に意味がない。ある種の感動すら来るね。
一人、感動していると名無しのグリーンはまた足元を見た。名前を呼ばない限り、振り向く気は無いようだ。昨日見たタイミングでこちらを振り向かない。だが、昨日と同じ。水がびちゃびちゃ音をたてて落ちてく。地面の色を変えていく。
コポリと空気がこぼれる音がしてグリーンは消えた。
次の日も、その次の日もやって来た。
こんなに幻をみだしてから死なないって言うのもおかしな話に思える。死のうと思っていたのにグリーンに、幻でも会えるのならと、俺はコイツが消えない程度にご飯を取り出してしまうし。
「幻じゃない。俺は、前兆だ。」
「じゃあ、幻じゃないなら前兆さんよ、なんでグリーンの姿なんだい?」
「知らねぇ。」
知らないばっかりだ。
本当に、知らないばっかりだ。
なんだか、この先の見えた会話が楽しくなってきた。今度、知らねえって被せてみようか。
「死神がグリーンの姿なんて言ったら、博士どう思うだろうな。」
「博士?」
「そのグリーンのお爺さんだよ、ポケモン研究の第一人者だったんだ。」
「オーキド・ユキナリか?」
へぇ、それは知ってるんだと笑う。
自分に関しては前兆としか知らないくせに。
「俺が看取ったからな。」
「……は?」
「俺は、死を報せて、そのまま死に様を見てきた。」
「どんな、だった…の」
頭が痺れていく。
だって、俺は、博士の死に際を知らない。死に目がどんなだったかなんて今まで連想する気もなかったから、幻が語れるわけ無い。
「老衰だ。最期、俺に手を伸ばして誰かに謝ってから絶えた。」
急いで充電の残り少ないポケギアのアドレス一覧を出す。そして、グリーンを見つけたら連絡しあうと話したジョウトの年下に電話した。
その様子を、前兆と自称した男はいつものように興味無さげに眺めていた。
「ゴールド、博士の死に際どんなだった。」
今どこにいんだ等散々怒鳴られるが、全てを遮って、訊いた。
『は?最期までグリーンさんを気にしてましたよ、最期「すまんの」って言って逝きました。』
「手、手は。」
『だからあんたはっ、手!?そういや何かに触ろうとするみたいに伸ばしてましたね、であんた今どこに』
「グリーン、」
そうか、そうなのか。
お前は、幻なんかじゃなかったのか。
目の前の、グリーンを見る。
「だからグリーンじゃ、」
「いや、君はグリーンだ。…グリーン、死んじゃったんだね。」
「死ん、だ?俺が?」
再び、電話の向こうに話し掛けた。
さっきから会話に置いてかれたゴールドが文句を叫んでいる。そしてグリーンのことを死んだと宣ったもんだからなかなか怒ってるようだ。
「一週間後、シロガネ山に来て。あと、多分だけど、」
グリーンは水底だ。
もう、原型も解んないだろうけど、
付け足した言葉にゴールドは黙りかえった。当然と言えば当然だ。
どういうことだと聞いてくるゴールドに返事しようとした時、耳元で無機質な音が響いた。
充電切れ。
「……グリーン、自分の死体の場所解んないの?」
「た、ぶん、初めてみた死体は水死体だった、から、それなら、ここからそう離れて、ない。」
ふーん、といい加減な相槌をうちレポートを取り出す。
そしてさっさとゴールドへの書き置きをする。
「俺は、生きていたのか?」
「うん。あ、それと、ポケモンの第一人者のおじいさんは、謝ったの多分グリーンに対してだよ。」
「俺に?」
「うん。グリーン、去年行方不明になって、皆で探したけど見つけらんなかった。ごめん。」
ゴールドへの書き置きをしめくくる。ゴールドは、グリーンが死神やってるなんて言ったらどういう反応をするんだろう。
「へぇ、」
グリーンは、興味なさそうに自分の掌を見つめた。閉じたり開いたりを繰り返す。
自分はなんだか眠くなってきた。きっと限界がきたんだろう。
「何も、覚えてないの?」
「ああ、」
「そっか、」
もう何もかも手遅れだし、俺ももうすぐだから、言っても意味はないんだろう。でも、
死になっても、グリーンは、俺にも会いに来てくれた。博士にも、死に目に会いに行ってくれた。
何も覚えてないらしいけど、それでも
「大好きだ、愛してるよ。」
グリーン。
死んだ。
目の前の男は死んだ。
死因は栄養失調。極寒の洞窟にいるのも原因のひとつではあるが。
笑顔で死んでいった。
いつも見ている死だ。いつも通り。
ただ、彼と話し、生きていたと、看取った老人が俺の祖父だと教えられただけで、
最後に、愛してると告げられただけで、
いつも通りだ。
いつも通り、だった。
目頭が熱くなる。頬を何かが伝っていった。
俺を初めて認め、愛してるとまで言ってくれた男は俺を知っていた。
だけど、俺の記憶にはいなくて、ピンとも来ない。
記憶の糸を辿っても有るのは死体と別れを惜しむ人だけで、
あんな優しい笑みなんて見たことがなかった。
俺も、生きていた筈なのに、
一緒に居た筈なのに、
「思い出せよ、ちくしょ……っ!」
その場にかがみこんだ。目から流れる液体は、とまらない。
いつものように、人が絶えただけなのに。
闇に沈んでいく錘が枷を揺らす。
「うるさい、うるさい、…」
金属音が耳障りだった。口の中に水が溢れかえる。
息が、出来ない。傷口から腐敗していく。ふやけた白い皮膚が宙を泳いだ。
ああ、空気が出ていく。
まだ、何も、
まだなにも思い出せてないのに。
コポリ、
最後の気泡が俺の口から逃げ出した。
何も思い出せないまま
メメント・モリ(死を、想え)
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