ネグレクト



「アイ……?」

初めて聞いたグリーンの口調はそれはそれは拙くって。
正直、初対面のグリーンは残念ながら頭がおかしかった。と言うのも教育上そうなっただけで、グリーンの中では至極全うな世界観の持ち主だったようだ。俺も、変わってるなと思ったくらいで、異常性は共に成長する過程で理解していった。今思えばゾッとする。

まずグリーンには「愛される」という概念が存在していなかった。グリーンの中では自身が「蹴られる為の人間」で、ナナミ姉ちゃんは「大切にされる為の人間」だったらしい。5歳までその認識で居続けた。父親が、酷かったようだ。母親とはどうやら不和による離婚をしたが男は女を愛していたようだ。ナナミ姉ちゃんは元妻である女に似ていたようで大切にされたみたいだ。逆に、弟はそうでなかったらしい。詳しくは俺だって知らないけれど、喋れば怒られ、何もしてなくても暴行を受け押し入れに詰め込まれたと言っていた。挙げ句には性欲処理の道具にもされていたようだ。
彼の家での居場所は押し入れ横の隅。

「おれ、がいてはらだたないのか?」

意味が解らなかった。腹立つとは、なぜ。そう思って首をかしげるとグリーンも首を傾げる。

「なんでなにもしないんだ?」

暫くしてから違う質問が来て、今度は何をして欲しいのか訊くとまた首をかしげられる。今度は俺が続いて首を傾げた。

「けらないのか?」

もう意味が解らない、お母さんには仲良くねと言われたが降参だ。諦めて隅で体育座りをしているグリーンを置いてお母さんを呼びに行った。




「レッドは、お母さんがレッドを意味もなく叩いたらどう思う?」

「え、イヤだよ。」

「そうよね。だけどね、グリーン君は殴られるのが普通だったの。」

衝撃だった。グリーンは、殴られるのが普通だった?痛くないのか。怖くないのか。悲しくないのか。
僕は、叩かれたら痛いし悲しい。それに、また叩かれたらって思うと怖い。

「イヤだよ、そんなの。」

僕がそう呟いたのに満足そうに母は頷いた。

「流石、お母さんの子ね!レッドはグリーン君に怪我させないわね?レッドが遊びを教えてあげなさい。」

「うん。」

ほら、と背中を押されてグリーンを置いてきた部屋に戻るがグリーンの姿が見えなかった。

「グリーン?」

かくれんぼかと部屋中を探す。いや、探すまでも無かったが。押し入れの中のものが出されてる。
引き戸を引くとひっそりと入り込んだ姿が目に入った。
もそもそとグリーンも出てきた。

「なんではいってるの?」

「フツウじゃ、ないのか?」

首を傾げて、聞いてきたグリーンに口調を少し似せて「フツウじゃ、ないよ。」と言った。

「グリーンは、たたかれなくていいんだよ。」

「なんで、」

諭すと、理由が解らず聞き返されたが、叩かれてた理由も解らないから「りゆうがないもん。」としか答えられない。
すると、指折り数えるようにしたあと、グリーンから口を開いた。

「けるのは?」

「しないよ。」

「ふむのは?くびしめるのは?しずめるのは?れいぷは?やくのは?」

「しないよ、グリーンがいたがることはしない。」

ひとつ解らないのも有ったが、多分グリーンが嫌なことなんだろう。されるのを想像したときどれも痛いからいやだし。
しかし、安心させるために言ったのにグリーンは不安そうに眉尻を下げた。

「おれ、すてられるのか?」

「すてないって。」

少し、うんざりした。
しないって言ってるのに、しつこい。

「だって、なにもしないって、いらないってことだろ、おれ、じゃまなんだろ、やだ、じゃましないから、すてな、すてないでくださっ、」

途端にグリーンが錯乱し出した。挙動不審になっている。なんて言えば良いのか解んなくて、呑気に考えてたらまたも開いていた押し入れに入ろうとする。

「グリーン、」

服の裾を掴んで引き留めた。そしてグリーンが振り向いてから首を横に振った。

「とにかく、遊ぼうよ。」

グリーンが固まっている間にさっさと自分の部屋へ連れていって、コントローラーを手に持たせて、自分はドアから階下の母に向かってお菓子が食べたいと声を張り上げた。
お菓子を食べながらゲームをしていたが、グリーンの価値観がずれまくってるのは理解の範疇だったので、ゲームに関心を示さないのは不思議じゃなかったが、お菓子に関心を示さないのには驚いた。少なくとも、レッドはお菓子に関心を示さない人間を見たことがなかった。
しばらくして、お菓子の味に驚いて沢山食べていたグリーンに「なんではじめてのときはあまりたべなかったの」と聞くと、「あじしなかったから。」とサラリと言われて頭にいくつものハテナが浮かんだ。だって、グリーンが今食べてるのは初めてグリーンが我が家に来たときに出されたものと同じだったから。

更に暫く、グリーンの父親が僕のお母さんによって通報されてから、つまりグリーンが我が家に来てから3ヶ月経った頃。
お母さんに連れられて買い物に来ていた。ナナミ姉ちゃんは、たまに帰宅が許されフラりと帰ってくる父の対策として、自身も我が家に避難するのを頑なに拒んだ。だから3人での買い物だったのだが、お母さんまでも困り果てる発言をグリーンはしてくれた。

「おれの、いえだ!」

ポケモンショップの前を通りかかった時だ。ぼくがポケモンに夢中になっているとき陳列棚の方からグリーンの嬉しそうな声が聞こえた。僕もグリーンのおかしさに慣れだし、あまり言動を気にしなくなっていたのだが嬉しそうな声は珍しく、僕の関心はグリーンに移った。
見ると、どうやら犬小屋を指差しながら嬉々としていて、珍しさにお母さんも歩み寄ってきた。

「レッドのお母さん、これ買ってください!!」

珍しい。
本当に珍しい。グリーンが自らせがむなんて。
ただ、我が家にポケモンを買う予定がなければ、グリーンにもない。ペットハウスだけ買ったところで意味がない。しかし、ピンときた。

「グリーンにはちっちゃいよ。」

言うと、眉を垂れ下げ悲しそうな表情を浮かべられる。

「でも、とーさんが、かってくれたから……」

はじめてだったんだ。小さく呟かれた声に知った。グリーンは、確かに価値観がずれまくってるが、人間だったのだ。父が好きで、父に何か買って貰うのが嬉しかったのだ。
ただ、父は違っていたようだが。
きっと、グリーンが「家」に興味を持っていたのだろう。そして買ったのだ。
しかも室内用に目もくれないから、グリーンは多分外で首輪に繋がれていたのではないか。その発想に普通に至ってしまうほど、グリーンはおかしかったのだ。

お母さんも困り、遂にはナナミ姉ちゃんに対応を聞こうと電話をしたら、ぼくにまで聞こえる声でナナミ姉ちゃんは泣いた。
しばらく何か話してから受話器を置いた母はグリーンに視線を合わせた。

「お姉ちゃんはグリーン君に私達と同じ家でいてくれたら嬉しいって、」

そう言うと、グリーンは「ねえちゃんがよろこぶのか?」と確認して、母が頷くと簡単に「じゃあいらない」と答えた。



グリーン、

旅に出る直前、名前を呼べば「どうした?レッド」と普通に返せる程にグリーンは世間に溶け込んでいた。しかし、三つ子の魂百までなんて慣用句があるくらいだ。グリーンは、「普通」の真似をしていただけなのだろう。
自分が欲しがってもいい、そう知ってくれただけでもだいぶの進歩だった。

だけど、

グリーンを、折角人になったグリーンを、
壊してしまったのは俺らしい。
旅を終えて、家でのんびりしていた日のことだ。
ナナミ姉ちゃんが泣きながら家に駆け込んできた。「おばさん、おばさん、」と叫ぶように泣いていた。
次の瞬間、僕たち親子は硬直した。

父が、父が、

「帰ってきました…!!」

なぜ、
それが最初に出てきた。裁判で決まった筈だ。別居になると、定められた筈だ。

「グリーンが、喚んだんです…!」

訳が、わからなかった。




男が出掛けていくのを見計らって庭を覗き込んだ。かつては、覗くことの叶わなかった庭。
グリーンが、いた。
バルコニーの下、グリーンらしき腕が見える。
ただ、記憶よりも少し華奢な印象を与えられるが。

「グリーン、」

そっと呼ぶともぞりと影の奥で動いた。

「レッド?」

ひっそりと顔を出したグリーンは、にっこりと笑った。
顔だけですら痣だらけだった。頭からは血が流れた跡が凝固し生々しく残っている。

「何、やってんだよ…」

「なにって…?」

首をかしげられる。
まるで、六年前だった。初めてグリーンにあった日のように、首を傾けられた。

「痛いのは、嫌じゃないの?」

「やだよ、だけど、」

それが普通なんだ。
俺なんかが、人間になるなんて、おかしな話だったんだ。




そう言ったグリーンは、へらりと笑った。
遠くで、扉の開く音がした。



- 9 -


[*前] | [次#]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -