希望も絶望もすべて壊した







自分の耳よりも少し上についた、他の人間にないものに手をかける。
こんな、こんなものさえなければ…
けれど、無くなるわけでもなくて血があふれ出して手を赤く染めるだけ。
ここのところ毎日繰り返していた。
自分の背骨と腰骨の間あたりから生えている房も同じで、凝結した赤黒く凝り固まった血が繰り返した月日を語るようだった。

こんなものがあるからいけないんだ。

自分を閉じ込める鋼鉄の檻に噛み付く。
こんな歯、あるのがだめなんだ。だからこんな檻に閉じ込められる。
出来ることなら全部壊れてしまえばいいのに。
こんな耳も尻尾もなくなって、こんな鋭い噛み千切るための犬歯だらけの歯列なんてボロボロに壊れて鋼鉄の柵だってガタガタになってしまえば、

俺は人として人と生きていけるのに。

こんな無駄に残った獣の証であるものなんて要らない、名残なんて要らないんだ。
名残なんて残さないで、人間として生きる道を残してくれたってよかったじゃないか。
人間に近ければ、こんな扱いを受けるはずもないんだ、
狼族の男として生まれた時点で叶うわけもないが。

金に輝く橙の毛を持つ俺は、狼族から疎まれた。
人間には狼族と野蛮だとののしられ、疎まれた。
吸血鬼の一族なんて、因果関係を考えればいうまでもない。

気づけば独りだった俺はヒトになりたかった。
だが、俺に近づく物好きな奴なんて、俺を剥製にしようとしたり聖職者だなんて偽善を振りかざす本当に物好きな奴らだけで、殺しにかかってくる奴らと仲良く出来るはずもなく、逃げるしかなかった。
俺は、それでもヒトと仲良くしたかったから、仲良くしたい種族を傷つけることは出来なくて、逃げるだけで人狼の中でも腕力がずば抜けていたのにてんで役になんかたちやしねー。

独りで満月におびえながら森でひっそりと獣のような生き方をしているとき、俺の目の前にやけに蒼白い同世代の男が現れた。

こんな夜に少年が独りで来るなんて、

茂みから静かに様子を窺っていた。俺が出て行けば無意味に怖がらせるだけ。

「人狼…隠れてないで出てくれば?」

人狼と自分で言う分にはいいが、言われると少し腹が立った。別に、好きで人狼になったわけじゃねー。
デリカシーのない少年に気を遣うなんて気持ちは消えうせて隠れるのをやめた。

「お前、俺が怖くねーのか」
「別に…、金色?、オレンジのオオカミなんて面白いね」

いきなりコンプレックスを指摘され返す言葉を見失う。
なんで、初対面の奴にこうもぞんざいに扱われないといけないんだ。

「…早く帰れ、こんな森近づくもんじゃない。獣臭いからな」

卑屈をいって森の奥にある洞窟に先ほど捕らえた狐をズルズルと乱雑に持ちながら向かう。
血を引き摺る狐は痙攣していた。


だが、次の日もそのまた次の日もソイツは来た。挙句、俺の洞窟にまでついてくるようになった。
黒の中に見える赤い虹彩の瞳は何を言うでもなく黙って俺を見つめる。
ヒトが近くにいてくれることを嬉しいとは思うが所在無くて、「なんだよ」とぶっきらぼうにいってしまうが、彼は気にした様子も無く「見てるだけ」と返してくる。

俺はあまり自分の獣臭い面を見られて気持ちいいわけではなかったが、おなかは減っていたから諦めて捕らえた食料の肉を裂く。
しばらく無言でいると、ふと上をみあげレッドと名乗った少年は呟いた。

「今夜は明るいな…」

そうか、あしたは満月。


だから、俺は明日は来るなとしつこく言ったのに、彼は来た。
あげく、洞窟に引きこもっていた俺を引きずり出した。

その瞬間に理性は吹っ飛んだ。

ただいつもと違ったのは理性は吹っ飛んでも記憶は残るもので、無差別に周囲を傷つける獣過ぎる俺に嫌悪をいだくのが、今回は笑うレッドの表情を最後に記憶が無かった。

気づいたときには、彼の屋敷、窓際の檻の中。

つまりは、こういうことだ。
俺がなついてしまったのは因果関係にある吸血鬼の血統の奴で、人間と仲良くしたいと思ってた俺は気づかずに近づいてしまった。
そうして理性の無い俺が冷静な判断が出来る吸血鬼にのされたってわけだ。馬鹿だな、俺。

俺の腕力でもいびつな形にしか出来ない牢屋は傷でボロボロと滑稽な見た目だが、壊れることはなかった。
それより先に俺の体に限界がきた、つめは折れてしまって血が流れていくし、体当たりしていたせいで骨がいたみ痣もできた。

だが俺の体にはそれ以外で出来た擦過傷、痣、…とにかく五体すべてに陰惨な赤が怪我として散らばる。

その傷の原因なんてわかりきっている。この屋敷の主だ。
噂をすれば、屋敷の硬質な石の上を歩く音が、カツン、カツン。

「グリーン、今日は何の日だかわかる?」

やけに上機嫌なレッドが訊いてくる。当然日付なんてものと無関係だった俺に理解できるわけも無い。現に今だって結局は無縁だ。
黙っていれば、上機嫌なままレッドはカーテンに手をかける。
サッと血の気がひいた。

「やっ、いやだやめろ、頼むやめてくれいやだいやだいやだいやだいやだやだやだやだやだやだやだやだ………」

懇願する。オオカミ族は確かにプライドが高いが、俺はそんなものよりも惨めな懇願を選んだ。
お前のカウンターは痛いんだ。痛いのは好きじゃないんだ。俺の脚はお前が腱を切ったからもう動かない。逃げられないんだよ。理性が吹っ飛んだらセーブできないんだ。檻に骨が折れるほど強くあたってしまうんだ。それでもお前に伸ばした手が届くことは無いけど、傷つけることは出来ないけど。

「…なーんてね」

にこりとレッドが笑う、それに俺は一瞬安堵した。ああ、俺って本当馬鹿。

次の瞬間思い切り開かれるカーテン、檻の中に影はない。窓の外には大きくまん丸な赤い月が俺の世界いっぱいに現れる。

「ぅあああああああああああああああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ」

閑散とした屋敷に俺の咆哮についで骨の砕ける音と赤い液体が飛沫をあげる音がした。



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