いっそ忘れてしまおう


人は俺との会話をすぐに忘れる。
俺との会話を忘れるのは俺との記憶が当人の中でかなりどうでも良いことかもしれないし、単に幸せな思考に浸れば他の事でもポンポンと忘れているのかもしれない。

それが発覚するのはどうでも良いときばかりで、他人との会話を何気なく聞いてたときに俺に言ったのと真逆の意見言ったり、自身の意見曲げたりで、俺は嘘を吐かれた気分になる。

なんでだよ、全部大事な記憶なんじゃねーのかよ。
思い出を忘れるのって楽でいいのかもな。楽だからなのか俺のせいなのか俺がおかしいのか兎に角俺の周りにはそういった人が多い気がした。
辛いことも何でも忘れてケロッとして都合の良いことしか覚えない。
忘れられる側の気も知らないで………………


アレ、何考えてたっけ俺。思い出せない、思い出せない。
何か大事な事だった気がする。
アレ、ここどこだっけ。そもそも何しに来たんだココに。
ちょっと待て、今だって何時だ?目の前にいる奴等は誰だ?
ボケーッとしちまってたおかげで頭パニクってんな。よし、まず深呼吸しよう。で、当たり前なことから確認してだな………。今何考えてたか鎖状に思い出していこう。
まず、俺の名前は……………

何だっけ?

ちょ、マジで落ち着け自分!どうしちまったんだよ!?

深呼吸をした際にチラリとコチラをみたやつは不思議そうな顔をしていた。

「おい、」

彼の名前を思い出せずに失礼な呼び方になったがこの際仕方ない。事情を全部説明しよう。

「なんですか?」

年上らしい男は失礼な呼び方にまゆひとつ寄せること無く俺の元に小走りにやって来る。

「俺って誰なんだ?」

俺とコイツの間柄はそこまで遠くない筈だ。年下に偉そうにされて平然としてるから、あとなんかそれだけじゃない気もするけど思い出せない。
いきなり突飛な質問をぶつけられたからかボケッと呆けた後に彼は「ジムリーダー?」と疑問符付きで返してきた。

「そんな変な名前なのか?俺」

どこで区切るんだ?そう思っていると目の前の人物は明らかに怪訝な表情を浮かべる。お前が言ったんじゃねーか。
少し悩んだ表情を浮かべてから彼が口を開く。

「俺の名前、解りますか?」

そう言われた言葉に喉が詰まった。聞かれたくなかった。解らないから。知っていたことは解る。思い出せないんだ。
どう返事を返すのが正しいのか、それすら解らなくて言葉に詰まってると彼は他の人に呼び掛け、回りに呼ぶ。

「この中で名前解る奴居ますか?」

そう言われて俯き気味だった顔をあげる。真っ先に目に入った女性は記憶にあり、解ると思った。

「コイツがア…」

そこまで言って言葉に詰まる。今確かに覚えていた筈だ。
だが、名前を復唱しようとしたら頭の中から無くなった。
度忘れなんて、ポケモンじゃあるまい。ましてや、俺は年寄りでもない。ここまで来て嫌な予感がよぎる。

「記憶、喪失………?」

トレーナー達が驚きの声をあげる。「朝来たときは普通だったのに!?」「頭ぶつけたんですか!?」など色々な言葉が飛び交うが俺はどこぞの聖人じゃないんだ!頼むから一人ずつ喋ってくれ!!!!

みんながリーダーと一緒にぎゃあぎゃあ騒いでる間、最初にリーダーに呼ばれたヤスタカには嫌な考えが巡っていた。最近グリーンは特にナーバスになっていた。ライバルの彼の事で悩んでいるように思えたがもしかしたら脳が防衛本能で記憶を消していってるのかもしれない。プラスな思考が得意ではない彼が頭の中で良くない勘違いをしてしまったのかもしれない。

「リーダー、今日はもう閉めましょう。家まで送りますよ。」

最初に呼んだ男が俺に視線を合わせて言ってくる。子供扱いかよ。
しかし、どんな記憶が失われているか解らないから仕方ない。なんだか俺がこの空間の頂点に立っているっぽいから俺が閉めないといけないんだろう。

「そんなに重症か?」

そう尋ねると即答で肯定の意を返される。
その時はそのままヤスタカという奴に送ってもらって家に帰った。
帰ったら大切な人物が出迎えてくれる。ねーちゃんだ。
俺の大切な大切な姉弟。
はて、大切な人物は他にもいた気がする。
モヤモヤした気分が嫌で上にある部屋にかけあがる。階段を登ってる最中に姉とヤスタカという人物が話している声が聞こえた。

自室に入り、扉を閉め、一息つく。
アウターをさっさと脱ぐと手首に走る赤い痕。リストカットの痕。
なんで俺はこんなことしてんだ?
ほとんど治ってるソコからは出血の心配はもうないだろうがつけた時には相当深かったのだろう。痕ですら生々しく痛々しかった。
ちくしょう、何で忘れちまったんだよ。自分自身を傷付けた、姉を悲しませるような行為をした理由がさっぱりだ、わけわかんねー。
ぼやっと顔をあげると本棚が目に入る。
少し、頭の中がスッキリした気がした。そうだよ、わかんねーなら本見ればいーだろ。自分が集めた奴なんだからある程度なら解るじゃねーか。ったく俺としたことが。

趣味は見るまでもなく解ってるから、と下の段に目をやるとシックな格調高い装丁の本が何冊か目に入る。
開けばそこには沢山の写真が広がる。
ポケモンや、旅先の風景、出会った人物。ねーちゃんに言われて撮っていたものだが、旅から帰ってきたらねーちゃんがアルバムにしてプレゼントしてくれたモノだ。
ははっ懐かしいな。そういえばこんな時期もあった。

心を弾ませながらページを捲っていくとふと、何回も写真に写っている俺以外の男子に気づく。
黒い髪に深く被った帽子からたまに見える赤い瞳。
なんだかとても大切な人物なんだろうが、誰だ。
さっきまで解消されスッカリ頭の中がクリアになっていたと思ったのにモヤモヤの再来だ。
ちくしょう。多分、モヤモヤはこの赤い奴が原因なんだ。ここまでわかんねーんならもうねえちゃんに聞いてやんだからな。
階下に降りると既にヤスタカって奴は居なくなっていた。

「グリーン…大丈夫なの?」

降りるとねえちゃんも上にあがろうとしてたのかリビングの入り口で話しかけられた。

「よくわかんねーけど多分な。なあ、コイツって誰?」

モヤモヤを解消したく、さっさとこの人物の詳細を姉に訪ねる。
そういえば、この肩に乗っている黄色いポケモン、コイツも思い出せない。
アルバムをのぞきこみ、俺が指差す人物をみると、ねえちゃんの表情がなくなった。

「ねえちゃん?」

そう俺が訪ねたのは怖かったからだ。表情のないねえちゃんが。
すると、ねえちゃんは笑顔を俺に向けながらこう言ったのだ。

「さあ、…グリーンと同じペースでたまたま旅してたんじゃないかしら。」
嘘だ。
一瞬でそう感じた。また俺は他人から嘘を吐かれるんだ。みんな俺に隠し事をする。
前だって、…あれ、何時だ?また俺は忘れてしまったのか。
なんで俺がこんなに苦しめられなければいけないのか。

「そう、か…。なんか、疲れたな。俺もう寝るよ、おやすみ。」

引き留めようとする姉の声から逃げるように階段をまた駆け上がる。
別に寝てしまいたくは無かったけど、こんな気持ちから解放され忘れたかった。
そのまんまベッドに潜り込みめをとじる。
寝る頃には涙が静かに染みを作っていた。


なんだか、不思議な夢を見た。
誰かは解らないような曖昧な赤い輪郭の人物が俺に笑いかけるんだ。
ソレに対して俺は酷く不安で、彼に対して拗ねていやみな態度をとるんだ。
何年もどこいってたんだよって。
すると、赤い奴は静かに俺を抱き締めてくれる。そんなしょうもないことを凄く幸せに感じてしまうんだから俺は単純なんだろう。

「───。」

今俺は何て言ったんだ。彼の名前か。ああ、今どうしてるんだろう彼は。
夢の中で優しいのならわざわざ事実と向き合わなくてもいいのに。心の奥底で思っていたら、

「もう全部忘れていいよ。」

と赤い奴が言ってくる。俺の心から生まれた偽りの甘言なんだろうが、俺はのっかる。
そうしてまた静かにめをとじた。


緑に落ち着いた部屋にはカレンダーの上をマジックがこする音だけが虚しく響いた。




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