お前が俺をダメにする





 金曜日。それはうちのリーダーが絶対に逃亡を図る日だった。単純に週締めの書類からの逃亡だったりとか、噴火でぐちゃぐちゃになってしまったグレンの様子見だったり、はたまた「別の理由」だったり。

 圧倒的に多いのは、その「別の理由」だ。

 今週締め切りの書類は提出されている。カントーのバッジを7つ集めてないチャレンジャーは突っ返しているから、滅多に来ないし。連れ戻す理由も特にないので「逃亡日」の今日くらいは、ジムトレ全員「今日はいいだろう」というノリなのだが、一応体裁がある。「真面目」な様を見せておかなければ、運営予算がおりない。だから、形だけでも探しておかなければならなかった。ボードに何も書いていないのだ。もしかしたら書き忘れただけで、サボりではなく、分布調査やパトロールに出ているのかもしれない。そもそも挑戦者が来たと連絡があったなら、パネルとトレーナーを攻略している間には戻ってくるつもりなのだろう。ジムを閉めずに出ていっているのがその証拠だ。だからヤスタカもグレンを探していなければ、「 探したが、見つけられなかった。きっと調査だろう。」ということですぐに帰る予定だった。大体、かのリーダーの怪鳥と違って、牛で海を渡って探しに行くのは、だいぶ…というかかなり骨が折れる。しかもこの牛、誰に似たのか、短気なやつだ。戻るにしたって、休ませないと確実に拗ねる。休ませてから帰路につけば日は落ちるだろう。まあそんなわけで、そう様々な場所を探せるわけじゃないのだ。仕方がない。日が暮れつつある時間に探しに出たのは、執務室にいると思っていたからだ。断じて、「いつも頑張ってるし、今日位リーダー休みでいっか」なんて全員が思っていたからではないのだ。

 心の中でリーグ本部への言い訳を述べながら海を渡っていると、グレンについた。
 パッと見でいなければ帰ろう。なんて、思っていたのに。今日は随分と分かりやすい場所にいてくれたものだ。そのせいで俺は、心にもない言葉を言わなくちゃならない。

「リーダー」

 そう言うと、来訪には気づいていたらしい。驚くことも無く「挑戦者でも来た?」とこちらも見ずに聞いてくる。
 視線は空に向いている。つられて見ても、暮れつつある橙色の空と雲があるだけだ。別に、心動かされそうな風景でもなかった。

「だったらギアで連絡するって。ジムに戻ってください。まだ就業時間内です。」

「…ギリギリで来たくせに。」

 小さく返ってきた言葉に思わず笑う。そうだよ。連れ戻す気がないから今来たんだよ。ポーズだってわかってるんだよな。リーダーも。
 しかし、肯定だとわかるような笑いを浮かべたヤスタカを未だ一瞥もせずに、暫くの沈黙の後、グリーンは「…そうだよなぁ」と呟いた。ここで、ヤスタカは「おや?」と思う。
 失礼承知で言うが、ヤスタカがリーダーと仰ぐ少年、グリーンは素直な性格ではない。だからポーズの言葉にも突っ込んできたのだが、部下からの指摘に「そうだよな」なんていうような少年ではなかったはずだ。こちらを見なかった分、「こっちを見ろ」という勢いで眺めてはいたのだが、ヤスタカはグリーンをよくよく観察する。その眼は、憂いを帯びていた。このグレンの現状に対してではない。それによって思うところもあったのだろうが、彼は何か自身の心の裡にあるものを憂いていた。表情を落とした、覇気のない様を見て、そう判断できるくらいには、長い時間を彼の下で過ごした。
 彼のように容姿の整った人間の憂い顔は、アンニュイといった感じにとても様にはなるのだが。今の彼は、このままグレン海峡の荒波に呑まれて海底に消えてしまいそうだった。「儚い」という言葉が一番近いのだろうか。儚いというには、彼はしっかりと存在しているが。それでも、何かに存在を掻き消されてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。

「日が暮れる前に帰るか。」

 一息つくと、リーダーの顔になったグリーンが気持ちを切り替えて言うが、今度はヤスタカがそれを引き止めた。怪訝な顔を浮かべられる。

「もうすぐで日が暮れるから、待って。」

「は?暮れるから帰るんだろ?てか、そもそも帰れっつったのお前。」

「そうなんだけど、」

 今日はリーダー調査に出てて見っかんなかったってことで。っていうと、呆れたように溜息をつかれる。が、海岸まで歩き手招きして、隣に座るよう促すと彼はおとなしくついてきて、横に座った。リーダーのスイッチが入った状態、ましてや就業時間外の彼でも普段なら、絶対に座らなかったろう。これは、相当ナーバスになっていたようだ。距離が普段よりわずかに近い。甘えるには少し遠いが、離れている分けでもない。俺からたった40センチくらいしか離れてない場所に座った。

 これが、この人の不器用な甘え方だった。

 プライドだったり、相手を慮った結果だったりとで、「助けて」の一言がいえず、つらい事をひた隠しにしてしまう彼は、こうして相手が気付かない程度に、「癒し」を求める。それは、何度も迎えに来て、様々な距離で接してきたヤスタカが最近になって気づいたことである。わずかに人との距離の取り方が変わるのだ。リーダーとして立っているときは、こんなにも人に近づくことは無いのだが。やはり、いまいちリーダーのスイッチが入り切ってない。一回スイッチを入れたのに、入り切らないほどに、滅入っていたのだろう。

「地元は海が遠くてなかなか見れた風景じゃなかったんで、俺のお気に入りなんです。」

 日が落ち、水平線の彼方に沈んだ太陽の代わりに、海底から赤い光が浮かび上がる。ぼう…、ぼう…、とあっちで淡く光っては、今度はこっちで光って。
 メノクラゲの群れだ。仲間との連絡に赤い光を明滅させていて、まるで、イルミネーションだった。

 まだ僅かに空も明るい今は、水面と海中からの光が乱反射して、赤い光の周りは青く光りとても幻想的だった。

「ね?綺麗でしょ?」

「お前さぁ…俺の出身地知ってるだろ。」

 いわれて、「ああ、やらかした」と思った。リーダーの出身地はマサラ。完全に海沿いの町だ。しかも、この島の対岸。ここもそうならば、向こうも当然メノクラゲの分布だし、住まいはそうではなかったが、入り浸っていたという研究所は沿岸沿い。これは、見飽きるほど見てきた光景なんだろう。そんな簡単に想像がつくことを失念していたなんて。

「でも、」

 しょうもない失敗に頭を抱えていると、横で小さく笑ったグリーンが言葉を接いだ。こちらを向いて、小さく微笑んだ。ばちりと目が合う。

「お前と見ると、これもまだ綺麗に見えんだな。」

「……」

 いたずらっぽく目を細めた彼の言葉に、言葉を失う。
 ああ、もう、この人は…。本当に、この人は!!

 どうせ、「部下」と見る光景も悪くないとか!「気を遣ってくれてありがとう」を遠回しに言った結果とか!失敗のフォローとか!どうせそんなんなんだろう!
 彼が女であれば、これはもうキスをしていい雰囲気だ。だが、リーダーは男だし、愛を紡ぐ言葉でもないんだろう!

 こんなに思わせぶりな発言なのに、思わせぶりなだけとはなんとも酷い人だ。


「ったく、迎えに来て一緒にサボるとか…。最初はそんな事なかったのにお前をこんなにダメにしたのは何なんだろうなぁ。」

「…誰のせいでしょうねぇ。」

 火照る頬を悟られないように必死に平静な声を繕いながら返事をする。ちらりと視線を横に窺い向ければ、グリーンは小さく笑っていた。目はまだ少し寂しそうな気配をたたえていたが、少しは気晴らしになったようだ。



 俺をこんなにダメにしたのは、あんたでしょうが。リーダーがしょっちゅうここに来なければ、俺はこの光景を知ることもなかった。誰かの下についてバトルを楽しむことなんてなかった。
 あんたが俺をダメにしたってんなら、俺もあんたをダメにしたい。思いっきり甘やかして、愛情をめいっぱいに与えて。つらくなったなら逃げる手伝いをして。


俺があんたをダメにしたい。


「…じゃあ、そろそろジム閉めに戻るか。」

「そうですね…。もう「閉め」に戻らないとですもんねぇ。あーアキエに怒られそう。」

 リーダーのずる休みは許されても、俺は許されてない。そんな中、サボりを唆して一緒にサボタージュしたと知れれば、アキエだけでなく、全員からお叱りを受けるだろう。
 しかし、メノクラゲを見ていこうとした時点でわかってはいたが、もう海は暗い。ケンタロスの波乗りでは危険だろう。これじゃ、明日日が昇ってからでないと帰れないな。
 センターの部屋あいてるかなぁ…と考える横で、リーダーはピジョットを出し、帰る準備をしている。ああ、いつも置いてけぼりなんだよなぁ。ならちゃんと飛行できるやつを手持ちに入れろって話なんだけど、どうも空を飛ぶポケモンと反りが合わないんだよなぁ。

「ほら、帰るぞ。ヤス。乗れ。」

「え。」

 ピジョットに乗るよう、すでに跨ったリーダーの後ろを指で示される。ピジョットもクルルとないて、乗ることを承諾していた。
 唖然としていると、「これ以上暗くなったら流石に夜目がきかなくなるから早くしろ。」と促され、どぎまぎしたままグリーンさんに覆い被さるように跨る。これは、かなり、心臓に悪かった。ああ、心音は届いてはいないだろうか。流石に今の心拍数がばれては怪訝に思われそうだ。くっつきたいのにくっつききれないこのジレンマ。

 どぎまぎしたヤスタカにグリーンは何を思ったか、「ケンタロスで帰らせてドククラゲに海底に引きずり込まれでもして帰ってこなかったら、流石に俺でも寝覚めが悪い。」と心情の補足を入れてきた。ですよね、だからとってもありがたいよ。ええ。心音が届きそうで気が気じゃないけど。
 微妙に体を離してたら「ピジョットに負荷かかるからもっとくっつけ。」と叱責され、やけくそとばかりにリーダーごとピジョットを抱きしめるように前傾姿勢をとる。

 ああ、夜風と一緒にリーダーの髪の香りが肺に届く。ああ、風と心音がうるさい。トキワまでの帰路が、こんな生殺しものになるなんて。











 いつも優しく寄り添って、無碍にしてもついてきて。気づいて甘やかしてくれるのは、甘えさせてくれるのは今までいなかった。消えてしまいと思って姿を消したら、足をびしょびしょにしてまで迎えに来て。昔なら、絶対に置いて自分だけで帰っていた。
 気を許したつもりなんて無かったのに。気付けば――。


「俺もお前にダメにされてんだろうなぁ…。」

「え?なんて?」


 今は、この笑ってしまうくらい速くなっている男の心音が心地よかった。








/君が私をダメにする



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