共生 (長編14)
自分が懐を少しでも許したのがいけなかった。
結界で遮断されていた敏感な感覚は、細やかに様々な気配を拾い上げる。曇天の空は光を通さず薄暗いため、住民は引っ込んでいる。しかし寝ている者は少ない。不穏な気配に身を潜めているようだ。
川原の近くでは、色んなものがごちゃ混ぜになり汚い色になった魂が、ひとつの魂に近づこうとしている。その、ひとつの魂が、グリーンのよく知る人物だから、グリーンは焦っていた。
俺が、気を許したばかりに危険に晒されている。
屋根を駆け抜け、漸く姿の見えた男は、鬼に捕まりかけていた。
「伏せろヤスタカァッ!!」
叫び、詰め寄る鬼に立ちはだかる。一撃で決められないかと札を貼ろうと試みるが、己の手の内は流石に読まれているようだ。寸での所で避け、距離をとられてしまう。化けの皮を剥ぎ、鬼と化した本来の姿を現した。
「……っ、グリーンさん?」
ヤスタカが驚いたような声を出す。悪いが、反応は出来そうにない。気を抜けば即座に致命傷を受けてしまいそうだ。
「随分と、でかいな。」
鬼は、想定を大きく上回った身の丈をしている。魂の継ぎ接ぎもいいところだ。死んだ人間の霊を端から食べていったんだろう。俺の一部が基となっているが密かに力を蓄えたそれは最早異質と言える。力も同等か上回るほどか。随分と、碌でもない奴を生み出してしまった。
唸り声をあげ、鬼が腕を振り上げる。
穢らわしい。
鬼は、己の汚点そのものだった。
目掛けて飛んできた拳を遮るように結界を張る。
『邪魔だ…消え、ろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ…。』
思ったようにいかなかったのが不服なんだろう。恨みがましい声をあげた。
「憎いのか。」
『憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。』
「…俺もだ。」
俺も、お前が憎いよ。
お前みたいなのが俺の中に住んでいなければ姉ちゃんは死なずに済んだ。
ただただがむしゃらに拳を打ちおろす姿は恐ろしく滑稽で見苦しい。
『寄越せッ…寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せっ…!』
「あげねーよ。」
何も、これ以上お前には奪わせない。ヤスタカ達の命も、この立ち位置も、じいさんも、
レッドも。
三匹に指示し、弱点を探っていく。土の攻撃が利かないなら火はどうだ。ウインディに指示を出すが、鬼はウインディを無視した動きをする。疑問に思うのも束の間、標的はすぐに判った。
ナッシーだ。
素早くはないナッシーが捕まり、叫び声が辺りに谺する。
「ナッシー、だいばくはつ。」
ナッシーにかなりの負担をかけるが、爆発の衝撃は相手には距離をおかずに届き、爆発による粉塵で目眩まし出来るなら体勢は立て直せる。あいつに目があるかは解らないが。
しかし、そんな手の内は知っていたとでも言いたげに魔手が伸びてくる。
身体が悲鳴をあげた。
切り刻まれ、血が噴き出す。一度、二度。出していた二体ともの式神が破られたのを激痛で悟る。
手を抜いた式では勝てそうにもない為に霊力を込めたせいで、呪詛返しで激しく切り刻まれ、赤い飛沫が飛んだ。
はやく、体勢を直さないと。
顔をあげた時、粉塵を裂いて目掛けてくる大きな手が見えた。
身体が宙を舞う。
事態に頭が追い付かない。気が付けば空を舞い、下に河川敷が見えた。
直後強い衝撃に襲われ、視界が揺らぐ。身体が、うまく動かせない。まずい、鬼が近づいてきてるのに。鬼を、倒せるのは俺以外いないだろうから、俺が倒さないといけないのに。
『頂戴。』
「何あれ…。」
遠くから、アキエの声がして鬼の意識が移る。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!アキエは殺させない、これ以上俺から奪ってはいかせない!!
「ドサイドン、ストーンエッジ!!」
鬼の意識の逸れたことで隙が出来、なんとか式を出すが、それも一撃で戦闘が出来ない状態まで追い込まれる。また血が体から溢れる。
『何で…。』
なんでも何もねえよ。俺から奪っていくくせに。
『相変わらずだなぁ、グリーン?』
暫く聞いてなかった声がした。
僅かに視界を上に向けると覗き込んでくるそいつと目が合う。久し振り、そんな様子で手をひらひらとさせる。
『自分を殺すの大好きだよな、グリーン。』
違う、あんなの、俺じゃない。
『何も違わんよ。あれは確かに色々混ざったけどお前が生んだ鬼だ。お前が、今まで押し殺してきた物の姿だ。』
あれを追い出すついでにお前の姉ちゃんに俺まで追い出されちゃったけど。
へらりと、この場に似つかわしくない笑みを浮かべる。
『あいつ、ずっと独りぼっちなんだぜ。お前の中でもずっと目を背けられてた。ついに追い出されちゃってあいつには何も無いんだよ。苦しいものしか。』
わかるよな?グリーン。
『独りぼっちの寂しさも、何も無いって苦しみも。』
今まで苦しんできた事だ。周りから恐れ疎まれ、憎まれ、ずっと独りだった。
わからない訳がない。
俺にはそれしか無かったんだ。俺の中に満ちていたもの。
『俺は、あの感情を引っくるめてお前が好きだよ。ずっと一緒にいたんだ。これからもずっと一緒に居るさ。』
『だからさ、あれを認めてやれよ。体ちょっと貸してくれたら俺がこっち向かせてやるから。』
俺は…。
「わかっ、た…。」
静かに目を閉じ、入ってくるものに身を任せる。柔らかな布に埋もれるように意識が遠退いていった。
すぐに意識は浮上し、前を見据えれば鬼はこちらに向いていた。
「おかえり──…。」
鬼が中に入ってきた。ずしりと、心に錘がつけられたように感じる。
周りを見れば、皆唖然としていた。唖然としながら、彼らは俺を得体の知れない何かとして恐れている。
ああ、やはり、今までと何も変わらない。
グリーンは、決意した。
「グリーンさん!」
アキエ達が駆けてくる。大丈夫かと問い掛けてくるのに平気だと返すと、明らかに有り得ないと言う顔をした。
でも、本当に平気なんだ。体の痛みなんて気にならないほど、心が滅多切りにされたように痛む。なんで、この感情を忘れられていたのか。
「当主様は今日はどこって?」
祖父の居場所を聞けば、明らかに誰が言うかという顔をする。しかし、即座にテンは折れた。
「…恐らく、帝様の元ですよ。」
よくも言ってくれたな!とでも言いたげな表情でアキエがテンを睨み付ける。
「だって意思押し通すでしょ、この人。言わなくても自分の体力削って探すんだから。」
テンの言い分に同感する様ようにアキエも溜め息を吐いた。恐らく、みっともない俺に呆れたんだろう。
「忘れないで下さい、俺達は好きであんたに付いてってるんだから。」
そういって送り出した物好き達の顔は、理解できなかった。変な奴等なんだ、こいつらは。
ヤスタカの召喚したオドシシという式神は、かなり丁寧に、そして軽やかに俺を運ぶ。首を少し撫でれば目を細めた。
雨が降りだしたが、お構い無しだ。動じる事もなく、ただ静かに運んでくれた。
「じいさん。」
確かに、帝と共に祖父はいた。当主と帝として。
それでも、己はそこに解っていながら孫として声をかけた。オドシシに「悪かったな。」と告げれば、頷くように首を傾げた後、主人の元へと走り出す。彼は、いい式だ。
血塗れな衣服を見て二人は目を見開いた。傷口に雨がしみる。
「どうしたんだ、グリーン。」
ワタルが先に口を開いた。やはり、祖父は己との距離を測りかねている。祖父には、グリーンという人間が解らない。生きざまに目を向けていなかったから。
「鬼なら、もういない。」
この一言が、与えられた問いかけ、勅命にも対応する返事だ。鬼はいなくなった。代価がこの傷。
ワタルは人の機微に聡い。普段なら突っ込まれたくない事だと気付いた上で突っ込んでくるが、仕事もこなしてきたのだ。邪魔するなと言う意思を尊重してくれた。「ああ、この式使うことは無かったよ。」と言って人型と鳥型の二枚の紙をグリーンに返すとさっさと姿を消す。
この、一連のやり取りにすら祖父は驚いていた。
「鬼は、どうしたんじゃ。」
ああ、祖父が恐ろしい。
なぜ、この一言に恐怖せねばならないのか。
たった一言、
たった一言なのに。
「鬼は…、俺だよ。」
祖父の顔が見れない。脳が凍てつく。どんどん凍っていって思考ができなくなる。恐怖が冷たくにじりより心をも凍らす。
「声が、止まないんだ。みんな俺を疎ましく思っている。それが伝わってくるんだ。」
ずっと、ずっと、
グリーンは、全てを告白した。
自分の唯一の友達の事も。
信じて貰えなくたって良かった。自分は、祖父のようにはなれない。祖父の期待通りにはなれない。
今までだって、信じて貰えなかったし、期待なんてされなかった。変わらないから、俺の心は傷付かない。
「じいさん、俺、友達がいるんだ。」
凍らない場所があった。周りが恐怖に凍りついた中、そこだけ凍らない場所があった。
そこには、何もなかった。
「ずっと、俺と一緒にいてくれるんだ、そいつは。海の向こうではこいつらの種族はデーモン、デビルって呼ばれてて、鬼や霊とも違う。」
「こいつだけが、無条件で側にいてくれるんだ。」
握ってくれた手を握り返す。彼は、俺から霊力を吸い取り力とするが、大城戸という居場所を手に入れてからは滅多に力を得ようとしなかった。
自分が縋りつける唯一の存在。
そして、こいつらの種類は、人間と同じように個別に名前がある。他人に教えてしまえば名前は縛り付ける呪いとなる。
彼は、俺に名前を教えない。俺を殺さない為らしい。確かに、名前を知っていれば己を殺すよう命令だって出来る。有り得ない事ではない。
「俺は、一族を恨みながら当主を務めたくない。だから、」
俺は、都を出ていくよ。
祖父は、驚いたような顔をした。首を気だるげに横に振り、次第に項垂れていくのを見ると申し訳なさが募る。
「拾ってくれたのに、役目を果たせずに申し訳ありません。」
深く床にぶつかるまで頭を下げた。
「グリーンよ、顔をあげなさい。」
憔悴した声で祖父に言われる。声色のままの表情だった。
「お前は、ワシが当主にするためだけにお前を拾ったと思っておるのか。」
「…それと身寄りのない自分へ居場所を下さりました。」
結局、ここに自分の居場所はなかったけど。
ユキナリは、眉間に皺を寄せ難しい顔をする。やがて、考えた顔をしていたが、顔をあげ「そうか。」と呟いた。
「ワシが、悪かったのかもしれんのう。お前を構ってやれなかった。」
自己完結したユキナリは、酷く後悔しているような顔をする。
グリーンには、何故彼がそんな顔をするのかわからなかった。ユキナリは沢山色々なものをくれた。強いていうならば一番欲しかったものが貰えなかっただけで、言わなかった自分も悪いし、他に色々なものを貰っておいて贅沢が過ぎると言うものだ。
「充分だよ。」
今までありがとう。