長編13 雨の足音
運が悪かった。
そうとしか言いようがない。もうこれは運命だったんだろう、ならば仕方がない。
仕方がない、で片付けるには随分と承服しかねる事態であるが。
ヤスタカが、最初に発見したそれはふらりと現れ、相対することとなった。そしてヤスタカは顔面蒼白になり、仲間に事態を告げる式を飛ばそうとした。
結果、式は薙ぎ払われてしまった。
『お前も、おれがにくいか。』
口を開いた小さな生き霊は、本来白であるはずの目が黒くなっていた。暴走したときのグリーンさんそのもの。年齢がより一層幼い見た目である以外本人と何らかわりない童子は、纏う雰囲気が異質であった。
『ヤスタカ。』
あ、これはまずい。
『ずっと一緒にいてくれるよな。』
懇願するような、すがるような声と共に手が延びてくる。多分、この腕に捕まれば最期、
誰か異変に気付いてくれ。
「伏せろヤスタカァッ!!」
轟音と共に風が吹き荒ぶ。舞い上がる砂埃にヤスタカは目を瞑った。
「……っ、グリーンさん?」
ヤスタカと生き霊の前にたち塞がったのは、記憶よりは少し華奢になったが、違いない。確かにグリーンさんだ。
「すみません、俺どうにも運が悪いみたいで。」
赤獅子から降り立ったグリーンは、ヤスタカの言葉には何も応えず、前を見据えていた。
前にいたのは、確かに幼いグリーンさんだった筈なのに、気付けば黒く巨大な牛頭の姿をした鬼。表情は顔面を隠している紙のせいで見えない。ただ、鬣のようなものが存在し、グリーンさんと同じ綺麗な橙をしているからやはり、グリーンさんの霊なんだろう。
「随分と、でかいな。」
河原の近く、比較できるものが柳しかないが、見事に育った柳をもゆうに超えているため、いまいちでかいとしか解らない。比較対象がなくなる程大きい。更に鬼は屈んでいるから立てばもっと大きい筈だ。
見上げたグリーンが一人呟く。冷ややかな目だった。
地面が震えるような唸り声をあげ、鬼が腕を振り上げる。
振り下ろされる腕の風圧が凄まじく、地面に座り込んでいたヤスタカは踏ん張りが効かずに吹き飛ばされた。
「グリーンさん!!」
急ぎ見れば、グリーンは札を使い結界を張っていた。拳は届いていない。
『邪魔だ…消え、ろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ…。』
「憎いのか。」
『憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。』
「…俺もだ。」
再度、振り上げた拳をつきおろす。今度は両手で、繰り返し。力強い殴打なのは、空気の揺れで解るが結界はびくともしない。
攻撃を繰り返す鬼をグリーンは結界の中からただひたすらに冷ややかな目で見ていた。
『寄越せッ…寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せっ…!』
「あげねーよ。」
式紙を懐から出し、鬼を召喚する。かつて、榊と相対したときに出したナッシー、そしてバンギラス。すでに出ていたウインディ。
「しんそく、サイコキネシス、ストーンエッジ。」
三匹に指示し、彼らも即座に従う。ウインディが神速で腕を払い除け、地面から現出した岩が勢いを増し、出来た空間から頭部を殴り付ける。しかし、効果はいまひとつのようだった。
「……。」
聞き慣れない命令に、効いてない様子に動揺するでもないグリーンに、ヤスタカが目を白黒とさせる。
「フレアドライブ…、!」
獅子の身体が燃え上がり、その状態で突っ込んだのを鬼は無視した。グリーンが舌打ちする。
鬼は、グリーンが指示を出す瞬間にナッシーを捕えた。
握り込まれたナッシーが苦しそうな声をあげる。
「ナッシー、だいばくはつ。」
抜け出すのは不可能と判断し、即座に切り捨て、爆風が辺りの物を吹き飛ばす。
それで不利になったのはグリーンの方であった。
爆発に紛れ、鬼はバンギラスを叩き崩し、ウインディを踏みつけ式を破る。
呪いは、強力なほど破られたとき、跳ね返された時の術者への負担が大きい。舞い上がった粉塵が収まる前にグリーンの体は結界の中で切り裂かれ苦悶の声をあげ、地に膝をつく。間髪入れずに鬼は弱ったグリーン目掛けて再度拳を振った。
結界が破れ、拳をもろに受けた小さな体がいとも簡単に吹き飛ぶ。
痛々しい音を立て河原に落ちた体躯へ、鬼がゆっくりと猿のような動きで近付く。
『頂戴。』
低く色々なものが混ざったような声で鬼がグリーンに話し掛ける。その様子をヤスタカは見て、そして確信した。
あの鬼は知能がかなり高い。力が強いのは見ての通りといった風貌であるが、あのグリーンさんを出し抜いて式神を一体自爆へ追い込み二体は破り、そして結界をも破った。ただの鬼ならがむしゃらな攻撃を繰り返す単調なものが。
「何あれ…。」
爆音に駆け付けたのだろうアキエが牛頭を見て唖然としている。そりゃそうだろう、こんな大きい鬼、見たことない。
鬼が、アキエを見た。
「ドサイドン、ストーンエッジ!!」
腕がアキエに伸びたのを、グリーンさんのだろう、岩で出来た獣が弾く。
弾いたはいいものの、標的はドサイドンと呼ばれた式紙へ移り、殴打を受ける。ドサイドンはなんとか粉砕を耐えるもひびが入り、次に攻撃されれば崩れるのは明らかだ。
『何で…。』
度重なる呪詛返しでグリーンの体は血にまみれ、立つ事すら叶いそうにない。
鬼は、言葉を発しながら再度アキエ達の方へ向き直る。今や、ヤスタカとアキエだけでなく、ヨシノリやテン、サヨは勿論他の陰陽師までも騒ぎに気づき、グリーンと鬼の戦いを見守り、そして絶望していた。
皆、グリーンを疎み、気味悪がってはいたが、彼の才能が本物で現代最強の言葉を冠してもおかしくないと深層で感じていた。その彼が鬼に負けようとしている。それではあの鬼に敵う人間はいるのか。いや、いる筈がない。帝を守っているだろう当主様も年を取った。この鬼に匹敵する強力な式神を召喚できないだろう。
『頂戴。』
鬼の腕がヤスタカに伸びる。誰もが、彼らの死を覚悟し都の終わりを確信した。
「グリーン。」
よく通る、存在を主張する声が鬼に向けられた。一斉に視線が川原へ向けられる。
「俺のかーわいいグリーン。いっぱい食べたと思ったら今度はヤスタカ達か。なんだよ?俺よりヤスタカがいいのか。」
ずっと寄り添ってやったのに、薄情な奴!
少年は確かに立ち朗らかに笑った。彼は、血塗れで己の名を鬼へ向けて呼び、笑った。
鬼の動きが止まる。
グリーンは、両手を鬼へ伸ばし言う。
「これからもずっと一緒にいてやるから。お前だけ除け者にされることないんだぜ。」
鬼の標的が、変わった。
ヤスタカは確かに見た。グリーンの目の色を。それは、つい先日陰陽師を襲い高笑いをした時の残虐の色。暗黒の目。
あの目のグリーンさんは、わからない。目的が見えない。前回は陰陽師に矛先を向け、今の行動は明らかに陰陽師の盾となる挙動。まさしく矛盾だ。
しかし、今回はあの黒い目はすぐになりを潜めた。
「 ──…。」
グリーンさんが、何かを言った後、鬼は消えた。
まるで最初から存在しなかったように、暴れた痕跡以外何も残さずに。
鬼は、消えた。
「グリーンさん!」
アキエが一目散にグリーンのもとへ駆けていく。
グリーンさんの様子は痛々しかった。結界と、式神二体を破られ、体に重い一撃を受け、落下したのも川原のせいで顔は少し腫れているし裂傷や、擦過傷が多い。
「…何ともない。」
「はぁ!?」
何ともない筈ないでしょ!起き上がったグリーンさんに声をあらげるのも致し方ない。全身血塗れで左腕はひしゃげている。明らかに骨から曲がっているだろう。顔面蒼白で額には脂汗やら血糊で髪が張り付いている。
どこが何ともないのか教えてほしいものだ。
「当主様は今日はどこって?」
声だけは平坦に。恐らく精神的な体力は十分だが、体がついていかないという状況だろう。前回とは逆だが、流石に従属していたアキエ達には丸分かりだ。この人は、大丈夫じゃないときほど大丈夫だ、何ともないと言う。
「…恐らく、帝様の元ですよ。」
「テン!」
「だって意思押し通すでしょ、この人。言わなくても自分の体力削って探すんだから。」
隠しても無駄だよ。観念した風にテンがわざとらしい溜め息を吐く。アキエも白状したテンを非難がましく睨んだが、それもそうねとテン同様溜め息を吐いた。
「オドシシ、」
ヤスタカが、珍しく牡鹿の式を召喚する。
「グリーンさんお気に入りの獅子は、さっき破られたでしょ。コイツが、邸まで連れていきますよ。」
オドシシと言われた牡鹿を撫でる。
撫でる手つきが、己を見る瞳が、何故か夢の中のナナミ姉ちゃんと重なる。
その瞳が、むず痒く、眩しくてグリーンは目を逸らすようにオドシシに跨がった。
グリーンさん、
出発しようとしたグリーンをヨシノリが引き留める。
「忘れないで下さい、俺達は好きであんたに付いてってるんだから。」
真剣な目で、唐突に言われた言葉の真意をグリーンは理解しかねた。難しい顔をしたグリーンをヨシノリは「ほら、行った行った。」と急かすようにして送り出した。
「あ、雨。」
見送ってから暫くして、サヨが最初に気付き、空を見ながら手をかざす。
ぽつり、ぽつり、地面に黒い斑点の量が少しずつ増えやがて、ざあという音と共に雨脚が強くなり本降りとなる。
じとりと肌にまとわりつく空気は雨に当たる人達を嫌な気持ちにさせた。
足音が、近付く。