歪の音




 寒い、暗い。
 …ここはどこだ、誰もいない。
 意識が深く沈んでいるような、全く機能していないのが解る。体との接続を絶たれたように身体は動かないのに、その奥底で意識だけは覚醒していた。

 周りには何もないようだった。存在が、何も。命や物、空気さえ何一つ感じられない。

 完全に独りぼっちだった。

 寂しくて、喉を震わすことも叶わず、泣くことも出来ない。なのに孤独だという意識だけは一丁前に存在し、己には何もないのだと突き付けてくる。
 解っていた。誰からも理解されず見えないものが見え鬼だと嘯かれ、蔑まれ遠ざけられ人間に馴染めず鬼にすらなれない、
 ──外れ者なのだ。
 何かと一緒に居られる筈がない。そんなの解っていたことだ。

 解っていたことでも、寂しかった。
 独りになりたくなかった。
 自分が必要だとしても、相手にとっての自分は不必要な存在なのだ。邪魔なのだ。足掻いて、自分の居場所を作ろうとしたがダメだった。祖父も、帝も、俺を必要としていない。
 寂しくて自分の力を分け与えるかわりに友達になってくれた式神達も、今や彼らの声が解らなくなった自分など煩わしいだけだろう。

──レッドだっていつかは、

 …いや、既に──



「おはよう、グリーン。大変だったみたいね。」

 誰、誰だ。

「からだの怪我は大丈夫かしら?見せてごらんなさい。」

 優しく誰かに抱かれる。懐かしいような、けれど味わったことのない感覚に疑問が生まれる。
 突如として現れた誰かは鈴のような声で軽やかに笑い、話し掛けてきた。ゆったりとした声に酷く落ち着いた。思考が、ゆっくりと凪いでいく。

「身体は大丈夫そうね、休めばその内治るわ。」

 機能していなかった体の感覚が僅かに戻り鈍重であった瞼を押し上げると、柔らかく笑いかける、明るい髪色の上品な女性がいた。

「ナナミ…様?」

 見たことはない。彼女の本来の姿は一度も見たことはなかった。直感だ。

「様じゃないわ。お姉ちゃんって呼んで?」

 いたずらっぽく笑む彼女は正しくナナミであった。彼女には、身があり容姿があり命がある。
 傀儡などではない、ひとつの命だった。

「ナナミ…姉さん。」

「なあに?」

 膝枕をしてくれる彼女を見上げ、慣れない呼び方をする。

「なんで、ここに…?」

 そうだ、ここには何もない筈だ。長く連れ添った友達も、全て。グリーン以外存在しない世界の筈だ。

「グリーンとお話したかったの。いつも御簾越しじゃない?たまには顔を合わせてお話ししたいもの。」

 軽くいうがそんな気持ちひとつでどうにかなる問題でもない気がする。しかし、これ以上言及してしまえば今感じている安心感が消えてしまいそうだった。
 この安らぎは、…何にも替えがたい。

「みんな、グリーンとちゃんとお話しないでしょう?こんなに優しい子が寂しがってるのに。それなら皆の分お姉ちゃんが話したいわ。」

「寂しがってない…。」

「あら、強がらなくていいのよ。今ここには私達以外いないんだから。」

 確かに、周りには誰もいないが…。いや待て、何で今俺は周りに人がいないか確認した。つまり、今自分は強がっているのか。

「ずっと頑張ってきたのね。」

 髪の間を細い指が通っていく。何度も、通っていく。初めての事だった。撫でられるなど、初めての事だった。

 今だけ、今だけは。

 涙がぼろぼろと零れる。ナナミはそれを見ても何も言わず優しく接してくれて、止められない。
 それから他愛の無いことを話した。異国でグリーンが見てきたこと。今総会でふんぞり返っている大人達のちょっとした失態。どんな鬼を見てきたか。イーブイの様子。日頃の些細な出来事を沢山話した。

 ふと、自分が笑っている事に気づく。
 自分が笑うなど、何年ぶりか。心から笑うことなどいつぶりか。果たして有ったのか。祖父の前では溌剌とした少年を演じていたが、笑うことなど出来なかった。



「あら、もう時間なのね。私いかないと。ごめんなさいね、グリーン。もっと話したかったのだけど。」

 何かの気配を察知したらしいナナミが言うが、自分には感じられない。そして今まで覚醒していた体の感覚がまた段々と遠退いていく。声が、出せない。

「グリーン、体はその内癒えるわ。でも心は、簡単には癒えてくれない。だから今はゆっくり休みなさい。」

 ──おやすみ、愛しい私の弟。

 聞こえたのを最後に、意識までも遠退いていった。







 グリーンが目を覚ました時、外は襖越しでも解るほど騒がしくなっていた。
 しかし、魂の気配がうっすらとしか感知出来ない、恐らく結界が貼られているのだろう。記憶は無いが、あいつに体を明け渡した時点で碌でも無いことになるのは解っていた。今思えば、浅はかで軽率極まりない。
 そういえば、件のあいつがいない。姿を眩ましているのか、どこか遠くに散歩にでも行ったのか。
 頭の中が余分なものを取り除いた様にすっきりと軽くなっている。

「だから、お引き取りください!!先日、帝に意志を仰ぐという事になったじゃないですか!」

「若僧が何を呑気な事を!今すぐ呪殺すべきに決まっとる!」

 今の声は先の声に比べ、より鮮明に聞こえた。グリーンから対面した状態の声の通り方だ。それをグリーンは至極冷静に聞いていた。

「目覚めぬ内に呪い殺さねばまた他の者が殺される!」

 また?…俺は誰かを呪い殺したのか。さて誰か。殺すならば幹部の人間だろう。誰が死んだのか。

「あなたの論で行けば、グリーンさんは目覚めぬまま人を殺したことになる。そのような方に、呪いをかけ、返されぬ自信はおありですか。」

「当主様がおられる。」

「当主様が進んで孫を殺すと。先生、それは話にならない。」

「実の孫娘が殺されているのだぞ!!血の繋がらん餓鬼を殺すのに何を躊躇われよう!!!!」

「なら当主様はなぜここにいない!」

 冷静に話していたヨシノリと彼の師事していただろう男との会話にヤスタカの激昂が割って入る。相当苛ついているのが解る声音であったが、グリーンはそれよりも会話のせいで彼の激昂も些細なものとして頭に入らなかった。

 俺が、姉さんを殺した?

 目覚めるまで見ていた夢を思い出す。優しい手付きはまるで現のようで、長い時間をゆっくりと穏やかに過ごした感覚。あれは尊いものだった。彼女は、確かに俺を大事にしてくれた。あれは、なんだった。

 あれは、夢でしかなかったのか。

 解らない。ただ、俺は人を呪い殺し、殺した人物の像を自身の都合に良く作り替え夢に見たのか。

「疑う必要などない。」

 第三者の声が入ってくる。意識が弾かれ反射で顔をあげた。

 話にのぼった当主・ユキナリの声。

「グリーンは、殺しなどしておらん。」

 男共がどよめく。しかし、グリーンは何故ユキナリが断言出来るのか解らない。信用できなかった。

「ナナミは、己で死を選んだんじゃ。」

 声が、悲痛だ。絞り出し、意気消沈しているのが伝わってくる。やはり、大事な孫娘だったのだろう。唯一の血縁であり才もあったから。

「レッド、聞くがナナミはこの襖の前で倒れていたのだろう。」

 レッド、いたのか。

「えっと、はい。僕が寝ちゃって起きたら、女の人が…。」

 レッドにしては、おどおどとした声だ。お前が困惑する必要ないだろう。

「グリーン、起きておるか。」

 突如の名指しに肩が揺れる。なぜ、お祖父様は自分が起きていると解った。

「………はい。」

 寝起きの少し掠れた声が出る。レッド達も口々に自分の名を溢し驚いた。体は起こしていたが、それ以外身動きしていなかったから皆気付いていなかったのに。

「皆、席を外してくれぬか。」

「当主!話し合いなど意味ありませぬ!」

「席を──」

 外してくれぬか。
 食い下がった男に、ユキナリは威圧した。普段温厚な男が行う威圧は恐ろしくそして効果的である。続けようとした男の言葉は尻すぼみになる。

 さて、

「グリーンには、説明せねばなるまいな。」

 襖に近づいた当主は座り込み、説明をはじめた。
 姉であるナナミは、グリーンに呪術を施し死に絶えたこと。その術こそナナミのみが会得している呪術であり、それでグリーンから暴走に至った要因を引き剥がしたこと。

「邪な心、病んだ心、憑いた鬼、悪霊…。それらを無理矢理体外に引き剥がし追い出す。」

 故に術者にはかなりの負担がかかる。体のあまり強くなかったナナミは、堪えきれずに息絶えた。しかし、ナナミは自分が耐えきれない事を解っていた。祖父も知っていた。だからこそ禁忌にしていた。
 それでも、命を賭してでも──。

「ナナミはお前を守りたかったのだろう。」

 気付けば、涙が溢れていた。本当に流していることに気付かないことがあるのか。
 ナナミ姉ちゃんは、死んだ。
 死んだ要因は自分で、恐らく成仏したのだろう。もう会うことは叶わない。

 己を想ってくれていた人物は、気づかせると共にこの世を去った。

「意識の中で、ナナミと話したのだろう。ナナミは、なんと言っていた。」

 悲しいのだろう。声がまっすぐ飛んでこない。下を向いている。俺には血の繋がった人間がいるのか解らないから、実感はないのだが今俺が悲しんでいる以上に悲しいものなんだろう。最期の言葉だって知りたいのだろう。けど、……。

「…お話出来ません。」

 大切な一時だった。彼女は恐らく祖父の事を一言も話さなかったのはグリーンへの気遣いであろう。彼女の作ったありのままであれるあの空間は、死んだと思っていた心を掬い上げてくれたあの時間は、他者に介入されたくない。例えそれが、帝であろうと祖父であろうと。誰からの命でも話したくはなかった。

「…そうか。」

 寂しそうにしつつも、当主様はそれ以上は言及しなかった。声をあらげていた男の言う通り、俺とは違って血の繋がった孫だったのだ、ナナミ姉ちゃんは。だから、無理矢理にでも訊かれると思っていたからグリーンからすれば言及されないのは意外である。

「…あの結界は、全部己で作ったのかのう?」

「はい。」

 分かりやすく話題を変えた祖父の言葉に合わせる。

「あれは凄い。凄まじい結界じゃ。作れるものはそうそう居らんだろう。」

「………。」

 そんな大層なものではない。あれは全ての霊を消し去る。位牌や収まるべき所にいない魂は全て消え去った。今の都は静かすぎるほどだろう。民の守護霊ですら殺したから。

「しかし、欠点もあったようじゃの。」
「霊がこの世に残るには何かしら理由があるものじゃ。そこから紐解き原因を無くさん限りは同じ理由で霊はまた生まれるじゃろう。」

「心得て、おります…。」

「ならよいが…。」

 随分と含みのある言い方をする。こんな俺に気を遣う必要なんてないだろう。被害を出さず迅速に解決する方法があれ以外解らなかったのだ。無能だと、はっきり言えばいい。罰だって、俺に憑いた本人がいないから知らないが打ち首も当然なことをしたんだろうに。じいさんは何を躊躇っている。

「そろそろワシはお暇しようかの。」

 襖の向こうで立ち上がる祖父に、心の内を言ってしまおうかと口を開きかけるが立ち去るまで音が発せられることはなかった。






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