狂乱シジマ
体を振動させるほどの爆音はいっそ清々しく心地がいい。
階下では待ちわびたバンドの登場に熱気が躍り狂っていた。
現場の総指揮を任せられたグリーンも彼等が熱狂的になれるほどの空間を創れたことに満足している。自己採点をすれば100とはいかないものの、及第点は大きく上回っている。本当に、あの予算でよくやったものだ。
二階は照明や現場関係者の動き回る場所であって、客はいない。その為一階との温度差は随分と激しいだろう。コンクリート剥き出しの壁に手すりはパイプ、始まったばかりの今はまだ肌寒さすら感じる。けれど、階下の熱気に混ざる気にはなれなかった。
オーキド・グリーンは人混みが得意ではない。というのも、パーソナルスペースが広いためライブ会場という人がごった返す割に狭い空間は苛つきを与えてくるのだ。ただでさえパーソナルスペースを侵されるのに、ぶつかられれば一気に高揚していた気持ちも失せる。そんなものだ。だから本来なら階下でファンに混じっても良いのだが混ざらない。
ただ、ライブは好きだ。
空間を照明が彩り、音が支配し人々が一心に歓喜する。
だからこそ、こんな仕事をしている。本来、学業の片手間にバイトとしていたのだが、共に働いている奴等がどういうわけか主任になるよう策謀し、見事はまってしまった。面倒の押し付けなら辞めてやる。そう思っていたのだが、周りの奴等は「グリーンさんがやめるなら俺も辞める。」と全員が打ち合わせでもしていたかのように休む間もなく言ってくるもんだからそれでは次のライブがこちらの不都合で開催中止となってしまうので諦めた。それに、働いてみて実感したのだが彼等がどういった心理で俺を主任にしたのかは解らないが、今までよりもより自由に、より柔軟に、より迅速に仕事の精度をあげてきたものだから文句のつけようもない。
「グリーンさん、」
突如後ろからぬうっと手が伸びてくる。極度に体を緊張させた俺を他所に男は丁寧な手付きで足の上に手を置き組んでいた足を降ろさせた。
「足を組むのは良くない。骨盤が歪みます。」
体を覆うようにして離れない男を横目に睨み付ける。威圧し暗に離れろと言っているのが解らない筈もないのだが男は離れなかった。
「何のようだ、ヤスタカ。」
仕方無しに口を開けば、騒がしい中でもちゃんと声は届いたらしい。にこりと返してくる。
「言われていた資料、出来上がりました。ついでに今後のスケジュール。」
覆うようにした手の片手には確かにボードに纏められた資料があった。受け取り、礼を言おうと顔を向けると想像以上に近かった顔が更に近づく。
そのまま彼の男は唇を合わせ離す瞬間に舌でグリーンの唇を舐めていった。
ぞわりと嫌悪に背筋が粟立つ。
行為自体は実にあっさりとしたものだった筈なのに、この男がするとかなり粘着質なものに感じる。ライブは出だしの曲から変わり更に勢いを増していた。爆音とはいえ物音を立てるわけにはいかない。
「何しやがんだ。」
ギロリと睨むも男はどこ吹く風。にこりとした表情を崩しもしない。体勢もそのままに笑顔で言うのだ。
「誰もこっちなんて見ませんよ。」
そういう問題じゃない。
確かに、観客はバンドに夢中だしバンドもパフォーマンスをしている。前で確認をしているそれぞれの監督指揮をしている奴等も問題がないか確認するため前方を見ているから誰も見ていないだろう。しかし、再三言ってやる。そういう問題じゃないのだ。
何故、俺が、ヤスタカと、キスをしなければならないかが問題であり、誰かに見られる可能性なんて二の次である。
「ライブ終わったら楽しみにしとけよ。」
「そりゃ楽しみだ。」
晴れやかな笑顔で言って離れた男に疑問を抱きつつも、このあといかにしてあの男を困らせてやろうかを考える。
そしてふと気がついた。
ヤスタカはバイトを他にもしている。そして今日のミーティングで奴は確かに「今日は準備したら夜勤があるんであがらせて貰いますね。」と言っていた。つまり、あいつは資料作成という上乗せ業務までしたため残る理由がないのだ。最初からすぐにはやり返してこない、途中であがるため逃げ切れるという算段で仕掛けてきたのだ。
静かに席をたち会場を後にする。本来なら離れるわけにはいかないが、アキエ達がいる。問題あるまい。
今頃ロッカー室でのんきに着替えているのだろう男を追い掛けた。