長編8 結界
「おはよう、グリーン。」
「おはようございます、姉上。」
悪霊が寄り付くのは、陰の気が陽の気よりも強いから。
俺が憑かれて死んでないのは、生まれ持った力が強いから。
解っている。
…解っているから──。
「…あまり、無理はしないでね。」
──だから、どうか、腫れ物を扱うように触れないで欲しい。
以前、忍に呪いをかけられた。
あの呪いは、気門を強制的に開く呪いで、開かれたのは陰の気門だった。悪霊が寄って集って来ていた原因だ。
しかし、今
「はぁー、凄い量だ。」
「グリーンさんの力が強いからですかね?」
サヨとテンが驚嘆の声を挙げる。今日、ついてまわる係らしい彼らがグリーンの夜の巡回に同伴するのは初めてで、グリーンに憑かんと攻撃を仕掛けてくる悪霊の多さに驚いていた。
そう、悪霊はグリーンが呪いを解いた後も寄ってきていた。もう言い訳の仕様がない。
悪霊は、グリーンの仄暗い感情に集まっている。
自身の魂が汚く澱んでいるのは承知している。ヘドロのような穢れた感情を持っていて、それが人一倍に強いのも解っていた。
しかし、これほどとは…。
最近は、一気に量が増した。それも、呪いを解いてから少し経った頃に。
「悪霊を探す手間が省けていい。」
「俺たちじゃまだ捌けないね。」
そのまま後ろでサヨとテンはどうすれば捌けるようになるか議論しだす。先日、自分につきたいと申し出た奇妙な5人は、確認すればそれぞれ秀でたものがあり、一派の中でも優秀だった。今のところ、その5人で力を合わせれば現状でも対処しようがあるらしい。しかし、十日はもたないというサヨの見解にテンは唸る。
それもその筈、グリーンとてこの量を捌き続けて持つのはせいぜい一月。この生活を続けるには限界がある。どこかでまとまった休みが取れればいいが、そうもいかない。
陰陽には五行という属性の関係を示すものがある。水・木・火・土・金、水は火に勝ち、火は木に強い。更には、金は水を生み、水は木を生む等、この属性の関係は悪鬼にも通じるものがあり、理解していれば容易に鬼へ対応できる。逆に、理解できていなければ対応は困難。
鬼の種類を分別し、属性を記すのは鬼を詮索する余裕のあるものの役目だ。彼らが記した情報のお陰で対応できる者が増える。
その大体の役目をグリーンは引き受けていた。総会に出ているものは、実力が認められ大城戸の中でも力を得ているものだが、そういうものは現場で鬼と相対しない。全く以ておかしな構造だ。
おかしな構造のしわ寄せは全て実力もあり、現場に出ているグリーンに回される。
だからこそ、グリーンは休めないのだ。少しでも多くの鬼の情報を経て情報を記し、少しでも多くの陰陽師が対処出来るようにしなくては。
しかし、どこかで休まなくては先日のように霊力が底をつきぶっ倒れるという失態を近い内にまた起こす。そんなものは目に見えていた。
「ピジョット、ゴッドバード。」
百鬼夜行を西国から共にしている鳥が蹴散らす。最近の百鬼夜行は、段々と陰の気が増え、遂には全て真っ黒な魂しかいなくなった。もとの澄んだ魂でただ霊界と往復していた百鬼夜行は彼らの存在にその身を潜めた。
先日は、本気の式にもあまり霊力を割かない代わりにサカキは大量の鬼をばらまいてくれた。あれは、サカキ自身の仕業だった。
今回の鬼は、精度にばらつきがあるが、サカキの式と構成が同じだ。それはつまり、あいつの部下が式を用いて百鬼夜行を形成しているという事だろう。
最近はこの都に向かう商人が山賊に襲われている。そのせいで都に入ってくる食物が減少し、人々の不満は増大し悪鬼が増え、空気が淀んでいる。
おかげ様で都には不穏な空気が満ち満ちていた。
全てサカキの仕業だ。彼の仕組んだ都を弱体化させる罠だ。解っている。解っているのに、後手に回っている。それが己の無力さを示されているようでグリーンは気にくわなかった。
ヤスタカが、結界が得意な素振りを見せていた。彼に頼み、屋敷内だけでも霊力の消費を抑えサカキを潰す力を蓄えるといいかもしれない。
そんな考えが一瞬頭に浮かび、そしてすぐに否定した。
そんなことをすれば総会に出ている狸どもはなんというか。決まっている、「自分の身も守れぬものが当主でよいのか。」そう言ってくるに違いない。
当主と言う座は、本当はどうでもよいのだ。しかし、当主にするために拾ったのに、当主になる器ではないと自ら示してしまえば、祖父はなんと思うか。
祖父が、安心出来るように、自身に居場所を与えてくれたことに後悔しないように、
「お前を拾って良かった」と、言ってくれるように。
俺は大城戸の当主にならなければならなかった。
!
ああ、そうか。
後手に回るのが嫌なら今すぐにでも王手を打ち、この局面を終わらせればいいのか。
不意に歩みを止めたグリーンの後ろ姿をサヨとテンが、不思議そうに眺める。くるりと上機嫌に振り返れば驚いた表情をした。
「おまえら全員ならこいつら対処出来るんだよな?」
「えっ、まあ。」
「俺、野暮用思い出したからこいつら任したぜ。」
帝用とヤスタカ達へと式紙に文を書いて飛ばす。そして自身は呼び寄せたピジョットに股がり呼び止める声も無視して闇に姿を消した。
「誰だ、お前?」
林道の拓けた空間に突如として現れた少年に、たむろしていた男の一人が問う。少年は問いには応えず、宵闇に身を潜めたまま笑った。
少年が、口元で印を結び何かを唱えた途端、周りの岩石がボコボコと集まり鎧を纏った怪物の姿を成す。少年の口角が満足そうに上がる。
歪んだ笑みは底のない恐怖を与え、男は少年の正体を本能で悟った。
「お前、大城戸の次期当主だなぁっ!?」
「どうだろうな?」
辺りに緊張が走る。抑えるように笑う少年が月光のあたる所まで歩み出る。蜜のように煌めく髪、飴玉のような瞳に、人形のような白い肌とこの国にはいない梁の通った高い鼻、話に聞いていたよりも壮麗な姿に、男は息をのみ確信した。
コイツが、大城戸の抱える天才だと。
榊さまが敵わないとふんだ、凶悪な少年。
「気付いたんだけどさぁ、」
少年がまた一歩、ゆらりと歩み出る。それに合わせて少年にいち早く気づき対話していた男は一歩下がる。
「お前達の出方を窺ってればそりゃあさ、後手に回るよなぁ。あの式って術者が消えたら消える?今回は消えなくてもさぁ、」
「次」は無くなるよな?
言葉が終わるのが合図だったかのように岩の鎧を纏った怪物が暴れだす。木は倒れ、当たった人間は吹き飛んだ。一瞬の出来事に反応する間もなく呆然とする。この術は大城戸にはないと言っていた。海の向こうの国で使われているゴーレム。ゴーレムの見た目は違うがサカキ様が使っていたゴーレムと同じ術式に見えた。なんなんだ、コイツは。規格外すぎる。
「退きなさい。」
あまりの圧倒的強さにもはや恐怖すら感じられず吹き飛ばされるのを待っていると、背後から声がかけられた。
「方陣」
目の前にまで迫っていたグリーンの式が消える。一枚の紙がヒラリと舞い落ちた。やはり、形は多少違うが似たような模様が描かれていたのを確認する。そのまま、紙の向こうへ視線を動かすと、
地に平伏したグリーンが、いた。
「よくやりました。あなたの功績はサカキ様にお伝えしておきます。」
こちらをちらりと一瞥した幹部が言う。しかし、返事を待たずしてすぐに興味を平伏している少年へと向けた。少年の周囲にはぼんやりと発光している陣が見える。つまり、少年はこちらの罠にまんまと嵌まったのだ。
「残念ですが、我々を殺しても鬼は止まりませんよ。鬼は鬼を呼び、我々の配下でない鬼も今やあそこには集まっている。」
グリーンは、方陣を張った男を睨み付ける。背後がこの結界の維持をしている男で、声を発したのは発動を補助したのだろう。サヨとテンが二人で術式を行うため見ていて解った。
だから、目の前の男を叩いたところで意味はない。
「術者を叩こうとしても無駄ですよ。あなたを結界で遮断させて頂きました。なので、都の結界にもアナタの力は及んでいない。今頃入れずに都の周囲をうろうろしていた鬼も侵入していることでしょう。」
粛々と告げる男が方陣の前まで寄る。重い何かにのし掛かられているようでまるで身動きが取れない。屈み込んで顔を見せたのはサカキについてまわっていた男。そうか、こいつをワタルに引き渡せば、サカキが賊と繋がっている証拠になるな。
「あなた無しで、都は対処出来ますか?あなたが事を急いたばかりに向こうは大量の鬼の侵入を許している。中には、サカキ様の鬼だって…」
ふふ、と怪しく男は笑う。グリーンが目を見開き、自身の望んだ顔を見せたからだ。
彼は今、酷く動揺している。
「…この結界を壊せ。」
ぼそりと小さく言い放ったグリーンの言葉は誰に向けられたものか。わからない。わからない、が。
言葉に呼応し、土に彫られた方陣が上から手で掻き消すように外から消えていく。まずい。なんだ、この奇術は。こんなもの聞いていない。
方陣は、その図式が描かれていてこそ成り立つ術。それが消されては、つまり、
結界が消える。
力ずくで結界を壊し消費させるのが目的だった。なのに、結界が自然と消滅すればそれはグリーンには何も負荷がかからない。これでは目的が果たせないじゃないか。
一体何が、起きている。
あまりの事態に唖然としていると立ち上がったグリーンに胸ぐらを掴まれた。
「お前には、一緒にきてもらう。」
そこからは一瞬だった。復活したゴーレムに周りは薙ぎ倒され、己は抵抗をする間もなく拘束された。あまりの事態に反抗する気力も全て持ってかれて。
気付けば既に都だった。
「ウインディ、この文とこの男を帝のもとへ。」
獅子に己の連行を任せ、早々に餓鬼は背を向けた。それもそうだ、都に入る前から異様な空気は伝わっていた。彼は、焦っている。
「私は精々あなたの破滅を願っています。」
私が言い捨てると同時、獅子は走り出し、終ぞ少年は振り向かなかった。
ああ、まずい。グリーンさんに仰せつかったのに、数が多い。しかも何故かグリーンさんが都全体に仕掛けていた魔除けが一時消え失せ、大量の悪霊やら悪鬼が雪崩れ込んできた。
ヤスタカの結界も何時までもつか。日頃文句を言う忙しい口も黙って鬼の殲滅に励んでいる。そりゃそうだ、筆頭が不在なのだから。
この一族は、案外脆い。
そう思わずにいられなかった。
「サヨ、大丈夫か。」
「私は、大丈夫。だけどアキエちゃんが。」
大丈夫、と言いつつも、サヨの声には疲れが滲み出ている。しかし、彼女の心配は最もだった。アキエは、接近し戦う術式の使い手だから、下手すれば一堪りもない。彼女の能力の高さは認めているが、二人がかりの自分たちですらキツいのだ。
「ヨシノリは、ヤスタカの補助だったよな。」
なら、ヤスタカは問題ない筈だ。ヤスタカももとは攻める方が得意な男。二人で即席の結界は死守するだろう。
全く、鬼だけならまだしも悪霊が人に取り憑くのは厄介だ。引き剥がすお経は時間がかかる。しかも人に傷は負わせられない。アキエとヨシノリの分野であって、俺たちは得意じゃない。だから、悪霊には出会さないように民家は避け特に被害の出ているだろう郊外へ急ぐと、今最も望まれているだろう人物の姿があった。
グリーンさん。
呼ぼうとしたが、それよりも彼の近くにいた男が声をあらげた。
「お孫殿っ!」
「この非常時に今までどこにおられた!」
「なぜ結界を解かれた!おかげでこの有り様ぞ!」
「なんとかせぬか!」
ああ、幹部様だ。名前は自分が所属していたところではないが、確かヨシノリが前ついていた方だっけ。派閥丸ごとで寄って集って。
「グリーンさん。」
駆け寄ると、冷たい目と視線が交わる。
「サヨ、テン。結界をはりなおす。都の中心へ行くから、残りの3人も呼べ。」
見事幹部様たちのお喋りは無視して、背を向けた。その背中を慌ててサヨと追いかける。
ああ、なんだか昔のグリーンさんだ。酷く無感動な目をしていて…──
後を追っかけているとサヨに袖を引っ張られ耳打ちされた。
「ねえ、グリーンさんの袖に血が…。」
松明や蝋燭の頼りない灯りの中で洞察力に優れたサヨは見つけてしまった。
血飛沫のついたような染みが確かにそこにはあった。