束の間(長編7)
「おはようございます、姉上。」
「おはよう、今日も穏やかな朝ね。」
「えぇ、巫女の占いでは梅雨入りはもう少し後だそうです。」
「そうなの。グリーンあなたは今何を考えているのかしら。」
「都と一族の在り方を考えていました。」
淡々といつも通りの会話が過ぎていく。最近は時間の無駄だとも思わなくなってきた。至極、どうでもいい。
外で待っていたアキエを一瞥し、グリーンは廊下の奥へと消えていく。
レッドは昨晩、枕元を誰かが通りすぎる気配に意識を浮上させた。体を起こし眠い目を擦りながら辺りを見渡してみても誰も見当たらなくて、思い違いかと再度眠りにつこうとしたとき、見たのだ。
川の中に、淡い髪を月光に晒しながら水と戯れる少年を。
桜も散り、初夏に近づいたとはいえまだ夜は冷える。なのに、少年は半身を河に沈めていた。
あのような髪色は、今までの人生において一度しか見たことがない。
グリーンだ。
グリーンは、薄い寝間着のまま体を水に浸している。あまりの寒々しさに思わずこちらが身震いしてしまった。
グリーンが、手を水中から出し高く掲げると、手を伝って水が肩へと流れ、グリーンの肌が透け月光に煌めく。
水が、浮いた。
グリーンの周囲に水が球を成して浮かぶ。そして、グリーンの動きに呼応するように弾けていった。
「綺麗…」
思わず、口に出してしまうほど眼前の光景は美しくレッドを魅了する。こちらを振り向いたグリーンと目が合う。
「グリーン?」
目を見開いたグリーンは、なんというか、グリーンとは違う雰囲気を持っていた。本当にグリーンなのか、一抹の疑念が生まれる。よく確認しようと思い直した時、既にグリーンの姿はなかった。
目を逸らしたつもりはない。強いて言うなら、意識が少し思考にそれた。その瞬間にグリーンは消えた。
おかしい。
レッドは疑念を抱くも睡魔には勝てずそのまま再度眠りについた。
夜が明けてから河に体を沈めて何をしていたのだとグリーンに聞けばいいと思っていたが、うまくいかない。二人の時間が合わずにいるためだ。グリーンの寝床は、レッドに部屋を貸してくれた時に「絶対に入るな」と言われた奥の間である。そのため、グリーンが寝る際にはレッドの寝床を通るのだが、外回りから帰ってくると食事、食事が終わればグリーンはそのまま総会に出てしまう。そして総会を終えていざ話だと意気込んだ時に今度はレッドが幹部に我先にと話しかけられ拘束されてしまう。ずっと、話し掛ける機会を得られずにいた。
興味のないことには疎い流石のレッドでも、最初の頃自分は周りから面倒事と扱われているのは解っていた。自分としては居候の身の上であるし、都合がいいから黙っていたが、そんな彼らが掌を返して自分に構い、技を教えたがるのはなんとも気持ちが悪い。寄って集ってくる肥えた老人達が、見たこともないけれど妖怪にすら見えた。対処が解らず、困って総会から最後に出てきたグリーンを見るも、グリーンはこちらを見た後ぷいと顔を背けてしまい、すがれもしない。
レッドは欲求不満が溜まる一方の生活を強いられている。
代わりに、グリーンの周りにはいつの間にやらついてまわる人間がいて、自分の居場所を取って代わられたような気がしてレッドの不満は更に強いものとなっていた。
てんやわんやとレッドの周りは売名行為に精を出す老人で埋まり、忙しそうだ。これは俺の出る幕はないなとグリーンは早々にその場を離れた。レッドの人気には目もくれず離れる足音はもうひとつ。アキエと名乗った陰陽師。どうやら、レッドへ興味はあまりわかないらしい。
この、アキエと名乗る女を始め、サヨとテン、ヤスタカ、ヨシノリは自身に御執心なようだ。彼女ら全員、実力を認められ一族への依頼にも駆り出される人物ではあるため、ある程度の地位は確立されている。
しかし、個別で行動はしようとしない。五人は団体行動を取りたがる。確実に一人一人の休みをもぎ取りたいためらしい。そして、今日休日なのはアキエだと言うわけだ。
彼らと初めて話したとき以降、自身の霊力が尽きた時何が起きたか、情報を得られずにいた。
「アキエ、お前は俺が夜に帰ってきたときの事、見てたのか。」
「とてもその事を気にされていますね。見られてはまずかったのですか。」
「…別に。」
アキエ達はどうやら俺が自身の術式で帰ってきたのだと思っているらしい。生憎、そんな術は作ってはいない。
「…私は見ていませんが、ヨシノリは見てます。彼なら詳しく話ができると思いますよ。」
濁したにも関わらず、アキエは求める情報は確かに伝えてくれる。そして、気付かない内に手回しまでされているのだ。
ゆっくりと屋敷内を移動しているとそれはやってきた。
「グリーンさん。」
背後から呼び止められる。それは、呼び止める声としては先日にも聞いた声だった。
「参上しました。」
ヨシノリ。
いつの間にやらアキエは式を飛ばし、ヨシノリを呼び出していた。やはり、想像していたがこいつらは自分勝手に考え行動するため扱いづらい。
「俺達の住まいで話しましょう。ヤスタカがもてなしますよ。」
「…お前、仕事は。」
「そう依頼なんて頻繁に来ませんよ。ましてや上司が一族の仕事大体片付けちゃうので。」
にこりと笑いながら吐かれた嫌みに頭痛がしてきた。額に手を添える。
立ち止まったグリーンを、アキエがそのまま通り越す。そして彼女もまた極上の笑顔を浮かべた。
「私、あなたを出し抜いてでも話をお聞きしたいので。いやなら油断しないで下さいね。」
ああ、本当に厄介だ。笑顔のアキエは、笑顔でもって威圧してきた。解りやすい笑顔。こいつら全員恐らく同じ姿勢なのだろう。自分のしたい事は押し通す、しっかりと伝わってきた。
「グリーンさんっ!」
大人しく彼らの拠点に招かれると、ヨシノリの言った通りヤスタカがここぞとばかりに持て成しに入った。嬉々とする声音でお茶はいりませんか、茶菓子を今出しますね、お疲れではありませんか…気持ち悪いくらいの対応に辟易してしまう。
「で、あの時のお話ですよね。」
隣に当然のごとく座り甲斐甲斐しい世話を焼き始めるヤスタカの制止に入った所で、ヨシノリが本題に入った。
「俺だって、遠目だったのでよくは解りませんが、問いに答えるくらいなら出来ますよ。」
「その時の俺の様子は。」
仕方ないこういうことは今後無いようにしようと、今回ばかりは観念して座り直し、口を開いた。
「うーん、楽しそうだったとしか、いいようがないですね。」
「楽しそう?」
「え?はい。とても上機嫌であられましたよ。終始笑っていました。あとは、…足元は少し不安でしたね。」
グリーンはてっきり死体が動くような不気味さを伴ったものだと思っていた。だから、屋敷の人間が尚更奇異なものを見つめるような目を強くしたのだと。しかし、グリーンが上機嫌というのも屋敷のものからすれば残念ながら異常になるのだ。
言われて少し思い当たるものがグリーンにはあった。
「その笑い方、覚えているか。」
「けたけたといった風ですかね?」
確定だ。
後方を睨み付ける。黒い羽をバサリとはためかせた彼はそっぽを向いた。
ヨシノリは後ろを睨み付ける俺を見て、妖怪かと少し警戒を見せたがグリーンが溜め息をつくと杞憂と悟ったらしい。
「彼」というのは、西国に居たときからずっとグリーンと一緒にいる存在だ。彼の名前はグリーンとて知らない。靄として存在し、形をまともに形成していなかったが、先日からずっと形容のしやすい形を留めている。それはそれは、とてもグリーンと似た容姿だった。グリーンと出会ったときは赤髪で全くの別人だったのが徐々に似てきたのだ。
「解った。」
彼は、この国で形容できる存在とはまた少し違っていた。通訳するならば「鬼」が当たるが、またそれとは組成が違う。そして可視不可視を彼は自身で選択できた。レッドのように見えないものだろうと関係ない。特定の人物に絞って姿を見せるもこいつ次第だ。だからグリーンは説明を省いてきた。グリーン以外に姿を見せるのを頑なに拒むから、妄言だとあしらわれてしまうためである。
「引っ掛かりはとれましたか。」
「ああ。」
「それは良かった。」
……、
………。
「…何もねーの?」
見返りも、何を気にしていたかも訊ねも求めもしないものだから、ついグリーンから聞いてしまった。勘違いしたらしいヤスタカが「お口直しですか!?」と聞いてくるから無視をして、ヨシノリを見遣ると、とぼけた面と対面してしまう。
「…ああ、見返りでしたら特にありません。気にされていた事をお話頂けるならお伺いたてたいでいですけど。」
いやなんでしょう?と含みを持った響きに安心する。
彼の事を話したくはなかった。恐らく説明して問題扱いされ俺の地位が危うくなっても彼は他人に姿を見せるのを厭がるだろう。それで失脚してしまっては、折角居場所を与えてくれた祖父に恩返しも出来ない。
だからと言って、借りをそのままにしておくのはグリーンの気が済まない。しかしヨシノリへ返すものの見当がつかず、結果じとりとヨシノリを睨み付けるだけとなる。そんな様にヨシノリは苦笑した後へらりと笑って言ってのけた。
「お礼がしたいなら、今度今の俺でも使える術教えてください。」
「わかった。」
即座に了承したせいか、他に控えていたアキエとヤスタカの目がぎらりと輝いた。
「私は、有力な情報をヨシノリが持っていると助言しました。」
「他の奴等が近付かないよう呪いを部屋にかけました。」
言いたいことは解る。予想は外れないだろうが一応、次を促した。
「その術、私達にも教えてください。」
予想通りの解答にグリーンは空を仰いだ。してやられた。術を教えることに関しては一向に構わない。
しかし、一人ならともかく、3人ともなると面倒だ。加えて今日は出ているらしいサヨとテンが大人しく抜け駆けされるのを良しとするようには思えない。仕方ない。
「…お前らの都合がいいときに5人で来い。」
諦めて、全員で来るように指示してしまう。言いくるめられたという自覚はグリーンにもあったが、恐らく断る理由を無くしに来るのだろうこいつらの相手が一番面倒だった。
「グリーンさんみたいに式を一気に沢山だせるようになりたいなぁ!」
嬉しそうにヤスタカ達相手に話すアキエを尻目に退室した。
俺は、一気に出したところで扱いきれるようなタマではない。一体、己の力を過信したが為に見殺しにした。なんで、こいつらはそんな奴を尊敬するのか、
グリーンには到底理解できそうになかった。
「準備は整ったか。」
悠然とした口調に、声を発した男の周りにいた男衆が猛る声をあげる。それはまるで獣のようだった。
「大城戸の小僧は今なら消耗している。追い討ちをかけてやれ。」
猛々しい輩はまた勇ましく声を挙げ、東の都へと歩みを進める。
「サカキ様。」
サカキの後ろに控えていた4人の人間の内一人が進言し、それを片手で制し、小さく微笑んだ。
「そう急ぐな。お前達には小僧が退場して貰ってからしっかり働いて貰うからな。」
満足そうに、進言した男も微笑む。
今晩は月が大きい。