悪意(長編4)




「グリーン、調子はどう?」

普段の鈴のような声色ではない。少し、切迫したような、そんな厳しさを持つ口調だった。

「変わりありません。姉上こそお変わり─」
「嘘つかないで。」

遮られる。ナナミが人の言葉を遮るのは非常に珍しいことだった。そのためグリーンは虚を突かれた。

「あなた呪いを受けたでしょう。気がとても乱れてるのが御簾越しでも解るわ。」

「気のせいではないでしょうか。」

「グリーン、」

「気のせいです。」

断定し、会話を切り上げ部屋をあとにした。やはり、ナナミも大城戸の血を引く女。気の流れを読むのは得意なようだ。
事実、グリーンは首に刻印が刻まれてから悪霊が寄ってきて仕方なかった。自身の気と霊気にあてられて、霊が寄ってきているのも悪霊と呼ばれる類いのものしか寄ってこない理由も解っている。しかし、認めるわけにはいかなかった、ずっと目を逸らし続けている。
式の組み立て方が根本から違っている上、複雑な式なのだ。解読に時間がかかる。大城戸にこの式を解読する知識がないのも知っている。大城戸の式はナナミのみが使えるという奥義以外は全て会得していた。

どうしようも無くなった時は、切り札を使う。



「あ、グリーン!」

何やら小難しい顔をして考え込んでいたらしいレッドが曲がり角から現れた。

「ねぇ、お化けって悪い奴じゃないの?」

みっともなく唸るもんだから仕方なく、どうしたんだと聞けば問いが帰ってきた。
なぜ、そんなことを聞く。
レッドは先日、霊は全て滅するべきだと宣った。当主である祖父はいざ知らず、他の門下の人間は皆その認識だからレッドもその類いだと判じたのだ。なんで、そんなことを聞く。

「…いいか。お前のいうお化けってやつは、簡単に言えば二種類いる。」

それは、誰にでも視認できる霊と不可視な霊。
存在し得ないものが誰にでも見えると言うことはつまり、それだけ力があるものだ。そして、異形の形をしているため、目撃したものは恐れて「鬼」と呼ぶ。
が、鬼だから悪いかと言われればそうではない。ただ霊が集積し融合した存在であれば、そろは自然そのものである悪意をもって人を襲うことはない。問題はもうひとつの派生からなる鬼だ。

「あいつらは人の感情によって形を為す。それを俺は悪霊って呼んでる。」

「感情から?」

「おう。例えば、憎しみ…恨み辛み、そういった相手への執着が周りの霊に作用して害悪としたり、生き霊を生んだりするだ。」

そいつらは人を悪意でもって襲う。

「だからって、不可視の奴等が全部、人畜無害ってわけでもねーし、力が弱いってわけでもねーけどな。ただ圧倒的に自然な奴等が多い。」

もっとも、グリーンには全てハッキリ見えてしまうためこの2つの区別がつかないから別の区別をしているが。
対するレッドは「ふーん…」と生返事するとまた考え込むように黙り込んでしまった。あまり長くは関わっていないが、これはレッドの習性だと既に理解している。明るく溌剌とした負けず嫌いな少年だが、更に興味の有ることに没頭して周りが見えなくなるという習性を加えたのがレッドだ。何を考えているのかは皆目検討がつかないが、新しい環境で根幹をなす霊の存在に興味を示すのは必然だった。
何をするでもなく、考え込むレッドを眺めていると空が翳る。上を見上げれば竜が円を描いて飛んでいた。どうやら、帝殿がお呼びらしい。御霊会として御内裏に配置し守らせている竜だ。急な呼び出しの時は彼を使えと帝に言っていた。

「…帝様の所へ参上してくる。」

「僕もいく。」

「お前は入れねーよ。」

バッサリと意見を切り捨てたつもりだったが、レッドは構わないようだった。仕方なしに牛車で大人しくしていると言う条件で、同乗を許す。






「グリーンは、特別なんだね。」

狭い牛車の中で、レッドがぽつりと呟いた。返事を求めたわけでもなく思考の海にあったひとつの流木程度なんだろう。まっすぐ牛車の外を見るような眼差しが真剣みを帯びているのがおかしかった。一体、牛車の外に何を見ているのか。視線の先は牛車の壁だと言うのに。


宮の前には明らかに貴族の中でも高位とわかる牛車が止まっていた。そして、近づくにつれハッキリとわかる霊力にグリーンはワタルが呼んだ理由を認識する。

今、宮には陰陽道の使い手がいる。

そして、意図までは解らないがワタルはソイツと対峙させようとしている。
レッドに釘をさしてから降り、敷地へと入る。



ワタルの部屋の前まで行くと何やら話し声が聞こえた。ワタルの声には重みがあり、帝として対峙しているのが解る。空気も緊張している。が、相手は意にも介さないといった風だ。だからワタルも腹を隠している。
なかなか食えない相手のようだ。

「上様、そちらは。」

襖を音無く開け、口許を扇で隠し静かに牽制する。

「こちらは、東都で左大臣を務めているサカキ殿だ。」

「上様は強欲だなぁ?俺と言うものがありながら、他の奴にも手を出して。わかるぜ、式を使う人間だ。」

和やかに紹介するワタルの横へ衣を翻しながら近づき、一睨みくれてやる。しかし、紹介にあずかった当のサカキは面白いとでも言うように瞳を細めただけだった。

「君の事は知っているよ、大城戸のグリーンだろう?噂はこちらにもよく届く。」

鬼の子か、呪いを受けた間抜けか、はたまた末代当主とでも流れているのか。サカキの含み笑いは大変不愉快だ。

「サカキ殿の部下には大変お世話になった。今度お礼をしようと思うんだけど如何か?」

「はて、部下?何のことだか。それはともかく、うなじの紋様は西のまじないか?」

一気にグリーンの機嫌は低下した。挑発であることは明白だが、挑発にのるのらないに関わらず内容は気持ちの良いものではない。この容姿が国の人間で他にいないことを明らかに虚仮にされた。どうやら、グリーンとはとことん反りの合わない人間らしい。いかにして借りを返してやろうか、考えを巡らそうとして当のサカキに遮られた。

「天才と名高きグリーン殿、私と技比べをしてみないか?私も陰陽道を少しかじっていてな、天才の実力を直に見てみたい。」

向こうから、絶好の機会を与えられる。それを断るわけがなかった。
ワタルの許可をとり流鏑馬などをする厩舎の前で向かい合う。残念ながら死合いではないらしい。死合いなれば、即座に呪詛をかけたと言うのに余興といった程度らしい。
広い空間を所望したのはサカキだった。この場で百鬼夜行を繰り出すわけにはいかないだろうに、他にも式がいると言うのか。

「先手はくれてやる。」

貴族とは思えない少々汚い言葉遣いにつられ、前を向くと視線が交わる。真っ直ぐな、瞳だった。あまりにもまっすぐで、レッドととてもよく似た強い瞳だった。

「じゃ、お言葉に甘えて。ウインディ!炎の牙!」

「ほう、式神を使うのか!」

心底楽しそうな瞳で式を眺めるサカキに炎の纏う歯牙が襲いかかる。しかし、いきなり終わりを迎えるのかと騒然とした周囲が沸き立った。
ウインディの牙が、届かない。
サカキとウインディの間には紫の鎧を持つ獣がいた。
土からなる獣らしく、下から形成されたのをグリーンは目撃した。
そして、獣を形成するのは円陣だった。
やはり、大城戸とは式がかなり違うようだ。

「実によく見ている。俺は土を扱うのが得意でな、土で呪詛を形成する。」

西洋にも、古代から伝わるものがあった。どこの文明かまでは覚えてないが、舌に呪符を貼り土人形を動かすと言うものだ。札は口内に見えないが、恐らく類似したものだ。

「ナッシー。」

新たな式を繰り出す。大きく伸びる針のような葉に、その付け根には人面実をつけている。ナッシーは、名を呼ばれると葉の嵐を作り出し、そのままサカキの作り出した獣へとぶつけた。

「っ……!」

嵐が収まるよりもはやく、サカキが膝から崩れ落ちる。膝をついた振動で、流れ出した血が飛び散り、彼の衣服と地面を汚した。
グリーンには、ひとつの疑問が生まれる。
鬼に鬼をぶつける事を御霊会といい、この御霊会も呪詛の一種だ。当然、破られれば呪いは跳ね返る。些細な呪詛であれば、跳ね返るのも小さな呪いだが、サカキのそれは明らかに小さな物ではなかった。手合わせだとか、余興だとか宣っておきながら本気の式を出してきたのは、単純にそうでなければこちらの実力に見合わないと踏んでのことかもしれないがあまりにも手応えが無さすぎた。

「やはり、王都の守護を一手に引き受けるだけある。流石だな。」

従者から渡された拭いを受け取り、自身で血を拭いながらサカキは笑った。不敵な、笑みだった。
何を企んでいる。
ウインディがグリーンの強まっていく警戒心に呼応し、唸りをあげる。が、サカキは敵わないと言う風に両手をあげ笑うだけだ。これでは、手も出せない。
妙な、重役につきやがって。内心で舌を打つ。
グリーンには、魂に色がついて見えた。そのグリーンには、サカキの魂が真っ黒に見えた。レッドの魂は澄んだ色に見え所謂例外ではあるが、他の人間は濁った魂の色をしている。それが普通だ。
しかし、目の前の人間はどうだ。
澄んだ黒だ。真っ黒な闇の色をしている。そこから感じ取れるのは悪意。
まるで、レッドと対極をなすような男だった。故にグリーンは、警戒する。
この男は純粋な悪意により構成され、その悪意を発揮するのみの男だ。その男が、本領を発揮した。つまりは、本領を発揮するだけの悪事をなそうとしている。


「…─リーン…」

気づけば宮廷内に、ざわめきが広がっていた。迷走しながらも徐々に近付いてきている。
騒ぎの元は、よく知る人物だった。

「グリーン…!!」

騒ぎの中心人物が、息も絶え絶えに叫んだ。

「どうしたんだ、レッド。」

「鬼が!見える方の…!えっと!」

近衛兵がレッドが侵入したことで騒いでいたらしい。従者だといってなかば無理矢理納得させる。近衛兵が追いかけるのをかわし、なんとか辿り着いたレッドは、待機といったにも関わらず来たと言うのに要領を得ない。
落ち着くよう促すと深呼吸を一度だけして叫んだ。

「僕でも見える百鬼夜行が!一条で暴れてる!」

「は!?」



サカキの笑みが、深まった。




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