2013ハロウィン




満月の夜だ。
満月の夜は必ず客が来る。しかも、今日は世間ではハロウィンという祭りのようなものまで有った。

お菓子をくれなきゃイタズラするぞ

如何にも、我が主の好みそうな口上である。
ヤスタカは、今日も今日とて己が主の気分を害さぬよう、上々の気分を埃ひとつとつまらぬもので下げてしまわぬよう掃除に励んでいた。
そろそろ来る筈なのだ。主も思いもよらぬ収穫だったと笑いながら嘯いた、彼の獲物が。彼は、主の「満月が昇ったら会いに来い。」という命に逆らえないのだから。

玄関近くを入念に磨き上げているとそれはやって来た。鈍く金属が扉にあたる音。
鈍く城内に響いた音を主が聞き逃すはずがないから、あと数分で降りてくるだろう。つまり、それまではヤスタカの粗相が許される。

「開けろ。」

暫く沈黙を守っていると、向こうから地響きのような唸る声が響いた。
開けなければどうするんだ?と問えばなんの躊躇いもなく返事は返ってくる。

「扉を破壊する。」

成る程、確かに狼男となれば、老朽化した城の門扉を破壊するなんて造作のないことかもしれない。たとえ、この扉が大砲を打ち込んでもろくに破壊できないという事実があってもこの怪力には関係ないことなんだろう。
主の城を壊されては堪らないので仕方なく閂を外す。その途端に扇のような軽やかさとスピードで門扉は動き、間一髪で避けたヤスタカの反射神経を嘲笑いながら髪の毛をかすっていった。ヤスタカがなんとか回避したことに安堵し詰めた息をはいた瞬間、喉元を抉らんと鋭い爪が伸びてくる。月影から不意に伸びてきた手は、扉に意識がいっていたヤスタカの首を力任せに掴み、床へと叩き付けた。

「お前を殺すのなんて簡単なんだぞ。」

俺を苛立たせるな、単刀直入にそう言えば良いのに。ヤスタカは思うが、口を破ってその言葉が相手の耳に届けば本当に首を持っていかれそうだと沈黙する。
この沈黙は正解だった。沈黙はよい、彼を苛立たせないのもあるが、城内の音がよく聞こえる。
沈黙は金だとヤスタカは一人納得し、顔に爽やかな印象を与える笑みを浮かべ口を開いた。

「俺の気持ちだよ。」

「そこまでだ、レッド。」

ヤスタカからのささやかな挑発を耳に入れた瞬間、レッドは血走った目を見開き、ヤスタカの首を抉ろうと腕に力を込めた。しかし、脳から脊髄を通過し腕へと命令を伝達させる時間も惜しかった。
その時間さえ無ければ、確実にヤスタカの事をレッドは殺せていただろう。ゆったりと、気品溢れる声がホールに響く。
何度でも言おう、沈黙は金だ。
二階から、石造の床を叩く靴音が響いてくる。
主の命令は絶対。それは反射に等しく、脊髄から脳を経由する行程を一切省き、脊髄からそのまま己の意思以上に肉体に働きかけるのだ。

「にっくき敵のシモベその一が倒せなくてご不満か?」

靴音が鈍くなり、真っ赤な絨毯の上、中央階段の踊り場に主は現れた。薄暗い城内で、僅かな光を受けて蜜色の瞳がドロリと輝く。

「…グリーン。」

憎々しげにレッドは城主の名を呼ぶ。自身の名を呼ばれ益々グリーンはご満悦のようだった。表情を見ただけで上機嫌なのが解る。恐らく、彼は今狼男の次の発言を予測し当たりかどうか検証するために今もなおにこやかに階段の上に君臨しているのだろう。いつも用件を端的に伝えては直ぐに最上階の閉ざされた部屋へと姿を眩ましてしまう為、長く姿を拝んでいられるのはこの城に居座るものとしては嬉しいものであるが、それがこの自身に跨がっているレッドによるものだと言うことがヤスタカは堪らなく嫌だった。
グリーンは、ヤスタカをはじめとした城に居座る人間の血を飲まない。なのに美味くはない筈の狼男であるレッドの血は大量に飲むのだ。以前、星空を見上げているレッドに出会い、グリーンが天敵である吸血鬼という可能性を全く考えず隣を許したが為、レッドはグリーンに血を飲まれた。吸血鬼に血を飲まれるというのは、血の情報を全て掌握され支配されると言うこと。つまり、レッドは間抜けなことに星空を見て話ながらグリーンに血で以て服従を誓わされた。これはヤスタカからみても、血を吸ったグリーンからしても、吸われたレッドからしても実に間抜けな話だった。それでも、ヤスタカはその間抜けな話が羨ましくて仕方ない。グリーンからこの話を聞いたときヤスタカは人知れず歯噛みしたものだ。いくら言ってもグリーンはヤスタカ達の血は吸わなかった。愚鈍な狼男の血をグリーンは選ぶ。

「いい加減、解放しろ。」

ヤスタカが城に居座って三年、そろそろグリーンでなくても言葉の予想が容易になってきた。予想通りの発言はずっと繰り返されてきた問答である。それほどまでに二人は頑なであった。主も、その願いを全て断り続けている。

「ところでレッド、知ってるか?今日はハロウィンだ。」

問いかけを無視し上機嫌な主は客人に問いかける。
客人は眉を寄せる。当然だ、レッドからすれば浮世離れの生き字引のようなやつがいきなり俗世のお祭り事を話題として持ち上げてきたのだ。違和感しかない。

「だからなんだよ…。」

「トリックオアトリート。」

穏やかな笑みのまま、グリーンはいい放った。浮世離れしている主が言うのは想像しがたかったろう、不可解だとでも言いたげな表情だ。
そこからはもう、速かった。
ポケットをダルそうに確認したレッドの眉がピクリと一瞬動いたのを視認した時には、グリーンは大きく綺麗なフォームで振りかぶっていた。

銃弾のような勢いで投擲されたパイは見事レッドの顔面に当たる。余波を真下にいたヤスタカも被るわけだが、飛び散ったパイの中身を認識し、勢いのまま上から退く羽目になったレッドから即座に離れた。今のレッドは相当危険であるとみなした為だ。
赤いパイの中身は唐辛子だった。
下手したら失明ものの凶悪なデザートは、間違いなくレッドの沸点へ到達している。

「………ゲッフォ!!!!ゴホッうぇっげほっ」

後ろへ転倒したレッドが少しの沈黙の後、盛大に噎せ始める。そりゃそうだ普通に苦しい。しかも綺麗に顔面に当たったせいで回避は出来ない。流石にこれはヤスタカといえどもレッドに同情してしまう。

「最上階で待ってるぜ、レッド。」

イタズラの成功に一層気を良くしたグリーンは言い捨てて姿を眩ましてしまう。完全にへこたれた鳴き声をあげるレッドに濡れたタオルを持っていき、のたうちまわるのを抑えて拭いてやる。しかし、ヤスタカの手から乱暴にタオルを奪い取った狼男は途端に凶暴な唸り声をあげた。

「待ってろよグリーン!!!!」

吼えるように叫ぶレッドの声はホールに谺し、まるで呪詛のようだった。




最上階には、グリーンと獲物以外が入ることを許さない部屋があった。グリーンの私室である。

豪華な装飾のあしらわれた椅子に腰掛け、客が現れるのを待つ。
彼は間抜けだ。まんまと唐辛子パイを顔面に受け、服従させたときなんて一緒に星を眺めたのだ。自慢の鼻はどうしたのかと問えば、鼻づまりだったという。初めて出会った時に自慢の武器が使えない状態だったのにも関わらず、彼は流れ星を眺めることを優先したのだ。アホの極みとしか言えない。一目見れば、吸血鬼なんて一目瞭然だったのに。
更には、「敵と思えなかったんだ。」なんて宣う。さぞ、あいつは過去の自分を殴りたいことだろう。

神経を澄ませば、城内の気配は察知できる。ここ暫く、人間の生き血を吸ってはいないがこの感覚は鈍ることが無かった。恐らく、吸血鬼の習性ではなく、長年慣れ親しんだ空間と適応していった結果なんだろう。
まだ来る気配のない彼との邂逅を辿る。あの日は、偶然の外出だった。この時すら久方ぶりの外出だった。
あの日以来、城の敷地から出ていない。レッドと出会った日は新月で星がよく見えた。
寒くなり、空気が澄んで星がよく見えた。だから、湖が凍ってしまう前に満天の星空を水面に反射して映し出されたものと一緒に眺めておこうと、散歩に出た。
そしたら居たのだ。
小さな小さな少年が、体育座りで湖のほとりにちょんといた。ふらりと何気無しに近付けば、獣臭く、彼の種族を理解した。
長年に渡り敵対し、遺伝子に敵と刷り込まれた存在、狼属。
獣臭い野蛮な種め、そう思っていたが、ふと好奇心が湧いた。

「隣座っていーか?」

聞けば「おにーさんも星を見に来たの?」と視線も逸らさずに言う。ああ、そう言えば確かにこいつは鼻を何度も鳴らしていたな。
適当に返し、彼の無防備な首もとを眺めた。少し、土がついており美味しそうには確かに見えない。少年は何かを宣っていたが、全て無視して優しく頭を撫でるように固定し頸動脈に噛み付いた。
やはり、不味い。
少しは期待したが予想通りの…予想を下回る不味さに思わず顔をしかめてしまう。
一気に飲み干してしまおうと下品に音を立てた時、耳元で喉元を鳴らして少年が鳴いた。くぅん、と犬がしょぼくれたような鳴き声に毒気を抜かれる。
首から離れ、少年の顔をみやると惚けた目と視線がかち合う。少年は何かを言いたげに口を開いたが、そのまま寝てしまった。

「グリーンのバカヤローッ!!!!」

今では、グリーンの見た目に追い付いた容姿をしている。
グリーンは、窓から現れた来客に閉じていた瞳を露にする。

「こっちにおいで、ワンちゃん。」

唸り声をあげていた狼は、室内へ飛び込むと同時に姿を人へと変容させ勢いのまま、城主であるグリーンに飛び掛かった。しかし、余裕の笑みを崩さずにグリーンは、レッドの攻撃を受けた。

物事は非常に絡み合って複雑だ。

「今日こそお前を殺してやる!!」

そう言っても、グリーンは怯まない。幾度と連ね実行されなかった言葉だからではない。最初からだった。

「殺しても良いんだぜ?」

挙げ句の果て、そう宣ってくる。レッドには解らない、なぜ自分を服従させた鬼はそのようなことを言うのか。下にいた物好き達には解るのだろうか。
グリーンの手がのび、髪の毛を撫でて行く。優しい手付きは心地が良かった。柔らかい仕草で肩口に顔を埋める。本当に、グリーンは柔らかい仕草で、ごく自然に噛み付いた。やはり、皮膚を貫かれるのは痛い。

首の後ろ、

レッドの肩に顔を埋めながら脊髄系を晒し殺して良いと宣う男は、あまりにも無防備だ。今すぐ瀕死に追いやることも出来る。
今、彼の首に、爪を立ててしまえば、───…。
どれだけ想像しても、どれだけ憎いと思っても、どれだけ意気込んでも、
レッドはグリーンを殺せずにいた。

血で服従を誓わされているからではない。それを言うなら、バンパイアを憎み殺害したいという衝動だって遺伝子に刻み込まれている。
レッドはグリーンを瀕死に追い込むことを想像すればするほど、殺せなくなっていた。
個人の感情がグリーンを殺すことを拒む。
なぜかは解らない。けれど、グリーンのいない世界を想像する度に、この繋がりに終わりが来ることを想像する度に胸にぼっかりと穴があいたような感覚に襲われ呼吸ができなくなっていた。

物事は非常に絡み合って複雑だ。
レッドは、その事を強く認識する。
血がだいぶ吸われたのだろう。頭が軽く、ふらりとする。察したのかそこでグリーンは吸血行為をやめた。
そうして、にたりと笑う。この顔を見る度に、レッドはグリーンを理解できない存在だと再認識する。

「噛め。」

レッドはこれをグリーンの性癖だと思う。倒錯しているとも思う。自分が吸血するときのように、優しい手付きで今度は自身の肩口にレッドの頭を持っていく。そして自分が吸血している時のように噛み付くことを要求してくるのだ。
レッドは、日頃の怨み辛み、遺伝子の欲求、先ほどの仕返しを全て乗せて首に噛みつく。
このまま首をへし折ることも、噛み千切る事も可能だ。あとすこし力を入れれば実現するだろう、その余力だってある。

「っん、……は、ぁ。」

うっとりとした声が頭上から降ってきた。
いつも考える、会う度に憎んでいる相手に首を噛ませ悦に入る彼は何を求めているのか。
殺されることか。
いや、それは流石にないだろう。もし、仮にそれが本当だとしたら、彼は

グリーンは、変態でしかない。

ふむ、やはり物事は非常に絡み合って複雑だ。





複雑だ、そうレッドは思っているのだろう。目下にある頭を努めて優しく撫でる。

物事は確実に単純だ。

レッドの考える複雑さなんて今のところ存在していない。
名だたる狼属の人間を屠殺してきた。自身が神童と謳われるほどであったがために歴代の頭も何匹か相手取ったこともあったが、命が危機に晒されることはなかった。気付けば、神童と讃えた吸血鬼は皆死んでいた。人間に殺られたのか、狼に闇討ちでもされたか知らないが、報復には興味が湧かなかった。
同胞の死を悔やまないといけないという決まりは無かったろうに、報復にご執心だった生き残った奴等は、一緒に戦うのを拒むと集団で殺そうとしてきた。
だから、籠城したのだ。
同族の血を洗い流し、自身の生まれた村の近く、今は誰もいなくなった城に住み着いて静かに死を待った。長く生きすぎた。長く生きると、物事がどれも同じに見え、平淡になり色は失せていった。そんな世界は酷く詰まらないもので悠久を生きるにはあまりに苦痛だった。
人間の血すら飲むのをやめて、ひたすらに死を待った。

身体能力も著しく低下し、そろそろくたばるのだろうと思いつつ、空を窓から見上げれば満点の星空だった。
美しい星空だった。
だから、ふらりと最後を迎える前に拝んでおこうと。散歩に出たときだ、レッドと出会ったのは。
一心に空を見上げる少年は、自分に無いものを持っている気がして
欲しいと思った。
だから、血を飲んだのだろう。

彼は吸血鬼である俺に血液を掌握されていること以外は至って健全に育った。よく、他の狼に悟らせなかった。
悟られていれば、レッドは確実に今頃肉塊だったろう。
俺は、コイツに殺されたい。そう切に願っている。だから、レッドが殺されることも自身が他者に殺されるのも今のグリーンにとってはとても許しがたい事だった。
長らく敵対した狼の中で、レッドはまだ最強じゃない。だが、すぐに最強になるだろう。レッドの底知れない瞳が好きだった。
いつ才能を開花させ、俺の首を歯牙にかけるのか、噛み砕くのか、それが待ち遠しくて仕方がない。

俺だけのレッドだ。
他の誰にだってくれようとは思わない。
血の服従に、果たしてレッドはいつ勝つのだろうか。
レッドは、いつ俺を殺すのだろう。
それが、楽しみでならなかった。







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