しがらみの紋様(長編3)



「今日は、あまり優れないようですね。」

「けほ、ごめんなさい。私の可愛い弟、嗚呼あなたを慰めてやれそうにない。」

傀儡は、ゼンマイの調子が悪いようだ。呼吸の音すら苦しそうだ。当然だ、動くための器官が鈍れば苦しいだろう。人間でも、傀儡でも。

「心遣いありがとうございます。しかし、覚えがないので大丈夫です。」

俺の何を、知った気になっているのか。
俺の何を、知っているのか。
傀儡は俺が慰められることを必要としているなどと判断した。全く身に覚えがない。そのような憐れな存在になった覚えはない。

「今日はご療養なされてください。」

簾越しにまだ何か言いたげな様子を「姉上」は見せたが、口に出される前に挨拶し部屋をあとにした。
どうせ、表面上の言葉など意味をなさないのだから。
渡り廊下を歩きながらグリーンは昨日の事を思い出していた。
祖父から世話係を任命されたグリーンは、一応一向に帰ってくる気配のないレッドを気にかけていた。垂れ桜の下、川のせせらぎを聞きながら様子を見ていたのだが、遥か前方に、黄色く小さな式を連れたレッドが、世界が夕闇に沈む直前フラフラと姿を現した。

「…何してんだ。」

折角祖父が使いの者に卸させてきた着物がボロになっている。こんなことなら最初のボロを洗いでもすれば良かったのだ。
問い掛けた俺に、やっとの思いで門まで辿り着いたレッドはにへらと気の抜けた笑みをたたえて宣った。

「グリーンの見よう見まねだったけど、悪霊を、倒せたよ。」

レッドは、戦いに巻き込まれて怪我をしたのだろう。しかし、式を使った際に現れる疲労は見えなかった。
レッドは、霊が見えない筈だ。コイツがそう言っていた。相手が見えないと言うことは式に的確な指示は出せない。マサキは見える人間ではあるが式が使えない。マサキが見たものを更にレッドが式へ指示だとしてもリスクは然して変わらない。式神とて使役には対価が求められる。霊力や、巫力、異国ではマナやチャクラとも呼ばれる妖力だ。技を無鉄砲に放てば、式はそのぶん力を奪っていく筈。なのに、レッドは疲れた様子がないのだ。
どういう事だと思考を巡らせるべきではなかった。このときの事をグリーンはひどく悔やんでいる。
考え込みすっかり黙ってしまったグリーンをレッドが怪訝そうにのぞきこむ。そこに声がかかった。

「どうしたんじゃ!」

祖父の声だ。
たまたま通りかかった祖父が、レッドに声をかけ慌てて駆け寄ってきた。レッドは俺に話したように祖父に話したが、祖父もグリーンと同じ考えに至ったのだろう。
祖父の家来や、屋敷の人間が何事かと考え込む祖父の下へ集まってくる。祖父の姿を認め、グリーンの姿を認めた人間達は一瞬、居心地の悪さを表面に出したが、祖父の「ふむ、面白いのう。」という言葉を耳にするやいなや意識が逸れたようだ。次々と矢継ぎ早に祖父に続きを煽る言葉が飛ばされる。

「レッドは、悪霊に憑かれやすいという話で預かっていたのじゃが、レッドに霊たちは見えないという。しかし、どうやら式を使い見えない相手を倒せる能力はあるようじゃ。」

レッドは、真剣な祖父を緊張した面持ちで眺め、確認する言葉にどもりながら答えた。一方、グリーンはまるで精神の軸が腐り死んでいくようであった。
グリーンは、祖父にあのように見られたことなど無い。興味を持たれたことすら無かった。初めて港で出会ったときすら、遠目で俺を見たらしい祖父が使いをくれた程だ。自身の眼で姿を捉えようとされた記憶すらない。目の端に入るように、片手間に視界に入れて貰える程度だ。俺では、祖父を喜ばせられない、小さく膿んでいた疑念が軸を侵食していく。

「レッドよ、一族に入って修行してみんか?」

止めはその一言であった。
一族には、才の有るものは養子や門弟としてよく入る。純血など今では祖父と姉であるナナミのみだ。グリーンですら、違った。遠い西国より身寄りもなく日本へ独り降り立った所を見初められ、養子として迎えられただけだ。その為、大城戸の姓は名乗ることも赦され貴族としての地位も戴いているが、身分としては他の大城戸姓よりも、一族の人間から見られる地位も低い。ただ、実質的に能力がグリーンに敵うものが居らず、次期当主の任を与えられたが為に、反抗する人間がいないだけだ。
グリーンは、静かに一歩下がり踵を返した。兎に角、その場にいたくなかったのだ。
錯覚でもなんでもない、確かにレッドへ嫉妬している。しかし、敵視は出来なかった。
なんで、なんて考えるまでもない。澄んだ魂の持ち主、自分とは相対し決して相容れない人物であり、どれだけ足掻いても手に入れられなかった祖父からの関心を感心をたった一度式を使っただけで手に入れてしまった人物。確かにグリーンは、レッドに対して羨望の念を抱き始めていた。
遊んでいた式が、いつの間にか近くへ寄ってきていた。頭を撫でてやると、嬉しそうにする。

「俺は、魂が汚いから。」

決して、コイツ等のようにレッドの様には慣れない。彼らが、グリーンにとっては酷く羨ましかった。




昨日の出来事というのに気は晴れない。陽が昇りきらない早朝に門を開く。鬱屈とした精神はそのままに朱色の毛に黄金のたてがみを持った式に跨がる。牛車でのんびり移動する余裕は生憎今日の予定を立て直した時点でなくなってしまった。
一刻と変わらず軽やかに地を駆け辿り着いたのは、つい昨日訪れた変人絵師マサキの家であった。迎えるなりなんなり、昨日は大変だったと騒がれる。

「だから、それを調べに来たんだろ。」

伝えると、マサキの機嫌は転がるように変わり、襲われた場所へ案内しだす。霊の存在には気付いていたが、マサキが襲われようと関係無いと無視したなど、言っても仕方のないことだろう。

案内されたのは昨日と同じ部屋であったが、盛大に畳には穴が空き、巻物は駄目になったのだろうものが隅に山積みにされていた。部屋から見える庭もひどい有り様だ。
新たな式紙を取り出す。襲った霊の思念を読み取り、伝えてくれる妖術に長けた式。
彼から伝えられた思念は、憎悪など無かった。ただただ空っぽの、ただの悪意だった。そして、この式には覚えがあった。
大内裏に赴く用件もあった。ちょうど良い、聞いてみるか。

「はあ…、やっと見付けた。」

一度屋敷へ戻ると、息も絶え絶え、瀕死のレッドがあらわれた。
レッドは、何故か俺に付きまとう。確かに俺は仕来たりとか教えるように現当主の祖父より仰せつかっているが、最初から付きまとうなと突き放したのにである。好意をもって付きまとう男の真意がわからない。
他の奴等は「忌み子」として自分を見るのに、レッドだけは違った。魂が綺麗だからなのか。グリーンに真意は解らない。
少し、むず痒かった。

「お前って、変な奴だよな。」

「変?何が?」

明るく笑って、レッドは聞き返す。グリーンは、真っ直ぐレッドを見れなかった。

「俺、大内裏に参上しないとだから、部屋に居ろよ。変なとこ行くな。」

「行かないよ。宮の前で待ってるのは?」

なし。と一言で言い切ると不満そうにレッドは不服そうに唇をとんがらせた。

「術、お前が使えそうなの帰って総会した後に教えるから。」

言った途端に顔を輝かせるのを現金だなと思いつつ、話を切り上げ屋敷を後にする。きっと、じいさんもレッドが色んな術を使えれば喜ぶし、他の式も使役できればあいつ自身心強いだろう。恐らく今日の一族の総会は、レッドの処遇も内容に含まれている。
俺より、レッドはずっとここにいたかのようだ。じいさんは孫のようにあいつに接するし、あいつも屋敷に馴染んでいる。
俺なんかより…。




「百鬼夜行は悪霊ではありません。」

「へぇ?じゃあなんだい?」

囲碁の片手に話を聞く男は、指南役に痛い手を突かれたようだ。「ああ!先生なしっ、いまのなし!」と情けない声をあげた。

「この都の百鬼夜行は、民の心、物の心が成す形であります。故に怨念から成るものもいますが、異界への道のりを歩むだけなのです。」

対局が終わったのだろう。いくらか相手と言葉を交わした後、相手は退出し、男はこちらにへそを向けた。

「でも先日はその民が襲われている。」

「悪霊を紛れ込ませた者がいるからです。」

頭を下げたままでもわかる。男の目付きが変わった。

「……で?」

「最近、東の方に盗賊集団が屯しているそうですね。」

僅かに視線をあげ、男の表情を伺い見ると迷ったような表情をしている。恐らく、お前が退治するのは霊の筈だろう等と内心で思い考えているのだろう。しかし、都を陥れようとしている輩がいるのはどうにかしたい。

「……盗賊共の侵入を許した覚えはないんだがな。」

「現に侵入されてんだよ、ワタル。」

ワタルは、奇妙な男だった。宮の癖に、敬語を外させたがる。しかし、甘んじているのもグリーンであった。といっても他の人間が近くにいる場合は、皇と陰陽師の会話になる。姿勢を崩し対等な視線で話をしているのは、二人の秘め事であった。
ワタルが眉間に手を当ててうんうん唸っているのをグリーンは傍観していた。

「どこのどいつだ…。」

「だから、東の方が騒がしいよなって。」

「東?陰陽道の使い手なんか…」

ワタルは、いいかけて止まった。
どうやら、察したらしい。

「口を慎めよ、グリーン。あちらは、東都の重鎮でもあられる身だぞ。」

「で?」
「だから?心の中、真っ黒だぞアイツ。濁ってすらない、綺麗な黒。だから、騙せる。ワタルも欺かれる。人間のつけた人間の階級なんて知らない。上に就く奴でも真っ黒な奴なんて沢山いる。異国なんて殺しを趣味にしてる奴もいた。」

東都の重鎮だからなんだ。
再度問いかけた辺りで、ワタルは溜め息をつき、眉間の皺を伸ばした。

「…そうだった、君はそんな奴だった。忘れてたよ。」

再度深い溜め息の後、眉間を指で叩いてからワタルは空を仰ぎ呟いた。
恐らく、対応を考えている。あの男は東都からの遣いとして貿易や東都との関係を全て担っているような男だ。向こうは、戦力が高い。加えて異国との貿易もしており一度あそこを経由しなければ、都へは異国のものは届かない。その為、天皇のいる都にも関わらずある程度の友好関係を築かねばならないのだ。最近は、武士が台頭してきている場所もあるため下手に煽るのも得策ではない。

「……、まずは相手の狙いを探るべきか。」

ワタルが小さく呟いた。
下がって良いと言われ退室し、廊下を歩き薄暗いところへ差し掛かると人間がいた。天井裏とはお誂え向きな場所に隠れたものだ。全く意味がない。
予想通り、蝙蝠の式が天井から現れ襲い掛かってきた。が、無意味。
呪いには呪いを。
格下の呪詛なんて、倍に返せると言うもの。術を使う以上知らないわけでもない筈だ。

「ぐ、ぅ…!」

呻き声が天井から聞こえてきた。
古くなっている天井の隙間から血が一滴落ちてきた。少々、やり過ぎたか。
天井が、軋む。

けたたましい音と土埃と共に、人影が落ちてきた。
人影は、受け身を音もなく取り、土埃に紛れ姿が見えなくなる。姿が見えなくとも魂の位置が解るから、グリーンには然して問題がなかった。

ほんの少しの、油断。

男は素早い動きで、グリーンの後ろへ回り込み、頸に何かを叩き込んだ。術式だ。
反撃しようと衣を翻すも男は既に距離をとり、確認するように視線をまじ合わせたあと、姿を眩ました。

「何の音だ!」

近衛が騒ぎを聞き付けたようだ、足音が近づいてくる。あの男が消えた先は、…。

ワタル。

急いでもと来た道を引き返す。
男の消えた先には、先程の部屋があった。部屋は、宮のいる部屋だ。
天皇を直接狙いに行ったか。
あの男の速度は侮れない、恐らく距離は開くばかりで追い付けやしないだろう。

「カメックス、行け!」

式に念じ、ワタルの元へ飛ばす。

「皇様!」

叫び、戸を勢いよく開けばワタルはいた。但し、飛ばした式の頭を撫でこちらの緊迫感を大いに無視した気楽な様子で。

「どうしたというのだ。」

拍子抜けするグリーンに、厳かな態度でワタルは問い掛ける。
拍子抜けしたのも一瞬、グリーンもまた厳かに一礼し先程の出来事を伝える。

「ほう?左様か。」

「しかし、気配は去りました。」

去りましたも何も、入るなり四重結界を張り、呪詛返しまで仕込んだ状態にしておいて去らない方がおかしいだろう。内心でぼやく。
頭を下げるグリーンのうなじにふと、奇妙な紋様があるのに気がつく。

「時に陰陽師、うなじの紋様はなんだ。」

「紋様?」

解らない風にした男に仕方無いと立ち上がる。警戒心を露にしたのはわかるが、無視してうなじの紋様の位置を示す。
びくりと肩を跳ねさせた後、渋面をした、良いものではないらしい。

「…なんでもない。」

ぶっきらぼうに返される。

「なんでもないと言う反応ではないな。」
「なんでもない。」

苛つきが混じる。これは、何をいっても聞く様子ではないとワタルは諦めた。
挨拶も程ほどに、早急に歩を返したグリーンの後ろ姿を思いだし、ワタルはため息をついた。
あいつはもう少し、人に頼った方が良いのではないだろうか。自分の身の上を話したがらないが、誰かと一緒にいる様が全く想像できなかった。



火が沈み、本殿に灯りが点される。
次期当主であるグリーンは、無言で当主の右斜め前に座した。白々しい咳払いの後目の前の男が話し合いをする。確かに、男に不覚をとった次期当主がどのような呪いか確認していて遅れた、なんて身勝手な理由だ。

「最近の百鬼夜行、凶暴化しているそうですな?調べられていたのは確か…グリーン殿、貴方だった筈。」

探るような目付き、答えられるものなら答えてみよとでも言いたげだ。
なら、答えてやる。

「東都の男が一枚噛んでおりますゆえ、本日お内裏様に報告し意向を伺っております。」

魂の純度、色の話をしたところでこいつらには通じない。この感覚はどうやら自分だけのものらしく祖父とすら共有できなかった。だから、百鬼夜行の魂が掻き乱されたと言っても理解はされない。

「左様なこと、なぜ当主様にお声掛けしない?先に報告すべきは当主様、というのが筋に感じるが。」

「わしは構わんよ。」

呑気な声で、周りの男を黙らせたのは、話題にあがった「当主様」であった。
しかし、剣呑な眼差しが交錯するのは続いている。祖父は気付いているのかいないのか、別の話題を振る。

「そういえば、絵師の屋敷が霊に襲われたようじゃの。」

水を得たさかな。その言葉が男たちに似合った。
次々とグリーンを失脚させんとする言葉が飛び出してくる。

「直前までグリーン殿がいらっしゃったとか」
「まさか式の存在に次期当主ともあろうお方が気付かないわけが」
「実は悪霊を手引きしているのでは」
「そうだ、違いない」
「これは一大事ですぞ」

ああ、何も出来ない癖に。
式も三、四匹程しか使役も出来ない奴等が何を偉そうに。根拠もなく推測だけの妄言を盲信して…。
空気がざわついた。

「ひっ」

庭で待機していたバンギラス、ウインディが部屋に威嚇して上がり込んでくる。
ああ、このままこいつらの餌になるのもいいかもしれない。煩いのに力のない奴等だ。問題はないだろう、こいつらの仕事なんて俺一人で十分だ。

「グリーン。」

何故、祖父は話し掛けるときですら俺に一瞥もくれない。なぜ、こちらを見ない。レッドは何もせずとも見たのに、何故。
前を見据えたままの祖父の言葉に従い、ウインディ達に声をかけた。「下がれ」と、一言だけ。納得した風でない彼らに「いいから、」と言う。渋々、乗り上げた体を庭へ戻した。

「…俺は、悪霊の手引きなんてしてない。」

小さく呟いた声を果たして祖父は聞いたのか。定かではないが、祖父は新しい議題を振る。

「悪霊を退治したのは、先日住み込みとなったレッドじゃったな。」

レッド、純粋に近い魂を持った人間。

「あやつを、正式に修行させようと思っての。皆の得意分野を教えてやって欲しいんじゃ。」

賛同の声が次々とあげられる。狸共め。

「次期当主も、再度検討した方が良いかも知れませんなぁ。」

狸の誰かがぼそりと呟いた。





「どうだった?」

フラフラと血を吐いて帰還した忍びに問い掛ける。聞くまでもないとは思うが、転んでもただで起き上がらないこいつの事だ。何か仕掛けたに違いない。

「絵師の元に飛ばした式は何者かにより破られ、次期当主への呪いは返されました。」

やはり、そうか。
俺の呪いすら容易く弾き返した男だ。都にはとんでもない化け物がいるようだ。彼が当主になる前に大城戸は潰すべきか。

「しかし、」

忍は言葉を続ける。

「彼には大きな闇がある。霊媒しやすい気門を開いておきましたゆえ、悪霊が寄り付き自然自滅していくでしょう。」

…我ながら、なんて部下を持ったものだ。面白い、実に面白い。
これは今後も楽しめそうだ。

「くく、よくやった。」

「はっ、」

嗚呼!込み上げる笑いが抑えきれない!!!!




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