きけない。
「なあ、努力ってなんなんだろうな」
「何だよ、急に。」
「べっつにー?」
チャンピオンの座をかけた闘いは、俺の勝利で終決した。一番、最後まで苦戦を強いられる闘いだった。血肉沸き踊る、なんてものじゃない。己の全てを賭けて戦い、血肉を削いでいくような、そんな戦いだった。
そのチャンピオン戦を終え、旅がひとつの終着を迎えた、そんな時。旅へ出る前のように、グリーンの部屋に押し掛けたときだった。
グリーンは、ポツリと呟いた。
季節が巡り、旅立ちの季節。
時刻は午後となったのか陽気な陽射しの陰となる室内で、窓から射し込む淡い光がグリーンの輪郭を象る。
穏やかな風がカーテンを揺らした。
if I didn't go to trip.
「お前に負けて、みっともなく泣いて、今まで積み上げてきたプライドも何もかも無くして、努力は何の意味が有ったのかって話。」
そう、グリーンはチャンピオン戦の後泣いた。大号泣だった。嗚咽も殺さず、彼の普段からは想像がつかないような、喚き散らし方をした。
俺との闘いで泣いた訳じゃない。グリーンは、現実を見ていた。いつだってグリーンは現実を見ていた。だから、俺に負けたこともグリーンは悔しそうにしながらもしっかり認めていた。……かなり不服そうではあったが。
だが、その後やってきた博士の言葉にグリーンは、逆上した。
『だったら、俺はどうすれば良かったんだよ!?』
グリーンが叫んだ言葉が脳裏に蘇る。
俺は、殿堂入り登録を果たすために記録室に入ろうとしていたために瞬間の表情は見ていなかった。
だが、振り返った時のままの表情で叫んだのだろう。
「なんだろな。」
簡単には、努力とは何なのか、俺は答えるべきではないと判断し言葉を濁した。咄嗟の判断だった。
「天才に訊いてもわかんねーな。訊いた俺がバカだった。」
もう、「びっくりして驚いた。」の世界だった。「天才」なんてグリーンのためにあるような言葉じゃないか。そのグリーンが、俺を天才呼ばわり?有り得ない。
もう興味はないという表情のグリーンに、腹が立った。なんでかは解らない。それでも心の底が煮え出したのだ。
「天才はグリーンだろ。」
つっけんどんに言い返す。自分でもしまったと思うくらいには棘のある口調だった。
次にムッとしたのはグリーンだ。
「幼馴染みの一人にも勝てなかった奴が?
お前、人の事バカにすんのも大概にしろよ。」
自嘲と共に言葉が返される。が、とんだ間違いだ。
「お前、俺以外には全勝だろ。」
そう、グリーンは、俺以外には全勝をおさめているのだ。完膚なきまでに相手を負かしきっている。それに比べて俺はどうだ。マチスには負けたし、旅だった最初では短パン小僧に虫取少年達にも負けた。
ただ、俺との相性がグリーンは、良くなかっただけだろう。
「ああ、お前だけに勝てなかった。それで、それだけで、」
努力は全部、水の泡だ。
吐息のように、吐き出した言葉はそのまま空気中に霧散する。
グリーンは何ともないように、言うが。
違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。
グリーンは、研究所にポケモンを全て預けていた。バトルしようぜと言ったら、全部預けていると返されたのがさっき。
なんでと訊いたら「傷付けるから」と言われたのが今。
なんて言えばいいか解らない。
グリーンは、なんて言っていた。チャンピオン戦の日、あの日。そして、今。
彼はなんて言っていた。
『じゃあ、俺は…どうすれば良かったんだ!!』
グリーンの悲痛な叫び声が薄暗い場内に谺した。
これには、その場にいた全員が固まった。誰も、肩を揺らして息をする、感情をさらけ出したような苦しげに涙するグリーンなど見たことがなかった。
皆が知っているのは、何を言われても歯牙にもかけない傲慢不遜な大層な自信家でありまたその能力も伴った少年であったからだ。
『どれだけ頑張っても、何をしても、あの博士の孫だから、オーキド博士の孫だから………』
『誰も見ないじゃないか!!』
喉が潰れてしまうのではないかと心配するような声音。いつもの高らかな、よく通る声からはかけ離れていた。
振り返れば、荒く息をするグリーンの向こうでいい大人のワタルですら目を真ん丸にしていた。それほど、グリーンが取り乱すのは異常事態だった。
『いきなりどうしたんじゃ、』
博士まで焦っていた。慌てて駆け寄ろうとした博士をグリーンは一喝し制した。あの、博士に何を言われても平気そうにしていた、博士に優しかったグリーンが。
『いきなりなんかじゃない!!』
博士も常とは違うグリーンに完全に気圧されていた。思わず足を止める。
『いきなりなんかじゃない…。ずっと、ずっとだ……。いつもいつもいつも博士の孫博士の孫博士の孫!!何をしても当然扱い、別に嫌じゃなかったよ。出来なかったらじいさん悲しいんだろ、だから出来るならじいさんは悲しまないだから必死に勉強したのに、意味の解らない話だってそのまま覚えたのに、何も…、俺には何も無い。』
『落ち着くんじゃ……』
『違う、』
震える声に一気に場の空気が張り詰める。バトルの時のようだ。
いや、バトルの時の緊張とは違う、少しでも解し方を間違えれば全てが瓦解するような、そんな緊張感だ。
『何が、無いんじゃ。』
『違う…』
グリーンは、首を横に振るばかり。
博士が、優しく問いかけても否定しか唱えない。
『何が、違うんじゃ。』
『違うそんなんじゃない…』
『すまんの、ジジイには何が違うのかわからん。説明してくれんか?』
博士が手を伸ばそうと、近付こうとしたとき、遂に瓦解した。
博士が伸ばした手をグリーンが叩き落とした。
『そんなんじゃない!!』
『レッド……レッドレッド…レッドレッドレッドレッド!!!!なあ、俺は!?俺の名前解る!?レッドが好きなのは解ったよ!!それでも、俺の名前は解らないの!?好きじゃなかったら名前も覚えて貰えないのかよ!!』
グリーンは、泣きながら、嗚咽を溢しながら、それでも笑っていた。
決して、楽しそうな笑いではなく、狂ったような、ただただ苦しげな笑いだったけれど。
『四天王を倒してもワタルを倒しても俺、一言が欲しかっただけなのに、それすら許されないのかよ!!』
『ははは…。……なあ、俺って…さあ、俺って』
グリーンが次の言葉を吐こうとしたとき、グリーンと俺達の間に赤い閃光が煌めいた。
『………勝手に出てくんな。』
グリーンが唸るように、腹立たしげに言い放つ。
俺達とグリーンのあいだには、リザードンがいた。グリーンのリザードンだ。たった今、バトルで戦闘不能なレベルにまで弱った、リザードンだった。
今度は彼が唸る。そして、首をしならせ思い切りグリーンをぶった。
思いもしない攻撃に、グリーンの体は吹っ飛び、壁に強かに打ち付ける羽目となる。
『グリーン!!』
床に転がったグリーンに叫んでも返事がない。力無く体を横たえさせている。
恐らく、グリーンは気絶した。
足を引き摺りながら、グリーンにリザードンが近付く。まずい、今グリーンは動けない。
『ッカイリュー!!』
咄嗟に反応したのは、ワタルだった。
トレーナーへの反抗。それがまさかチャンピオン戦を繰り広げるほどのトレーナーとポケモンの間で起きるなんて誰も予想していなかった。そのため、対処が遅れた。
『…え?』
カイリューが間に合うか、間に合わないか。
リザードンは、今度は大事そうにグリーンの身体を抱えあげ、その大きな体に抱き込んだ。
リザードンは、鋭い瞳を愛しそうに悲しそうにしてグリーンを見つめていた。
次の瞬間、壁に大きな穴をあけ、リザードンはそのボロボロな体で空へと飛びだった。
ワタルはそのままグリーンを追いかけていって、俺は「すまんかったの」と謝られながら記録室に通された。
そこに、殿堂入りの記録に、グリーンの名前は無かった。
記録を済ませ、記録室を出るとワタルと、四天王のキクコがいた。
俺は、ワタルからリザードンはグリーンを故郷の家へと連れていったと報告を聞き、傍目で博士が杖でキクコに何度も殴られているのを見た。
『殿堂入りはね、レッドを倒してからじゃないと意味がないって、しなかったんだよ。』
殴られてオロオロする博士を尻目に苦笑しながらワタルは言う。
グリーンは、どこまでもストイックだった。
そうだ、グリーンはどこまでもストイックだっただけで、ポケモンを愛さなかった訳ではなかったし知識を元にポケモンを徹底的にケアしていた。彼のポケモンはとても戦いやすかっただろう。
けれど、どこまでもストイックだったために自分の努力を認めることが出来ない。
「……天才は、グリーンだよ。」
そう、グリーンは天才なのだ。恐らく、俺も世間からは天才だと言われる部類なんだろうが、そんな俺よりもストイックに天才であるのはグリーンだ。
別にグリーンは最初からこんな性格だったわけではない。心配をかけまいとする姿勢は前からだったが、ある日突然、彼は猛勉強しだした。遊ぶ時間が減って退屈した俺は、グリーンの知識をおこぼれとして貰っていただけ。猛勉強の理由は知らない。
「俺は、努力しない奴を天才なんて思わない。」
グリーンは訳が解らないという表情をする。当然、努力したからって天才になれる訳でもない。他の人よりその能力がちょっとだけあって、それが好きで、ひたすら努力出来て努力の仕方を間違えない奴が、そんな奴が天才なんだと思っている。
俺は、それに当てはまっているんだと思う。じゃなかったらチャンピオンにはなれなかったろう。けれど、グリーンほどではなかった。同じ環境だったときにグリーンのような努力は到底出来そうにない。恐らく、自身の境遇を傲り、七光りに満足し怠惰したと思う。第一、俺は自分のしたいことばかりだ。グリーンみたいに周りに目を遣る事が得意じゃない。
「グリーンの努力が、無かったって言うんなら話は別だけど。グリーンが頑張ってたの、俺知ってるし。」
グリーンは、俺の言葉を聞いて、どこに反応したのかはさっぱり解らないが静かに涙を流した。そして小さく笑った。
「お前に言われてもな、」
さっきまでの怒りは凪いだらしい。相変わらずの皮肉っぷりではあったが、小さな微笑みは酷く穏やかで優しかった。
「…泣くなよ、」
「泣いてねぇよ。でも、サンキューな。」
照れたように小さく。
本当に、惜しみ無く涙を流すグリーンが何に反応したのかはさっぱり見当がつかないけれど。それでも、グリーンは、喜んでくれた。それが、俺は嬉しかった。
調子に乗って再度、「じゃあ後でバトルしようよ!」と言うと、「だからポケモンいねぇって言ってるだろ。」とあえなく返されてしまったが、乱暴に涙を拭ったグリーンは「そうだな、」と呟く。
「あいつらが俺を許してくれたら、バトルしようぜ。」
あいつら。
きっと手持ちの事だろう。彼らはグリーンに対して怒った素振りなんて知る限りない。しかし、一番長い付き合いのリザードンは反抗した。あれがレッドには何故あんな事になったのか解らないが、もしかしたらこの事をグリーンは言っているのだろうか。
「そういや、なんでリザードンはお前を攻撃したんだよ!」
「…いいだろ、別に。」
グリーンは、痛いところを突かれた、というように唇を尖らせる。どうやら、許す許さないはここからきているようだ。これは、グリーンがまずった時の表情だ。
しつこく更に問い詰めると観念したらしい。
「あいつら、俺を心配してくれたんだよ。」
なんで、心配して攻撃されるのかは解らないが、リザードンとグリーンの間ではしっかり意味が通じてるらしい。俺なんかピカチュウが何を言ってるのかさえたまに解らないから、少し羨ましい。
それに、
「グリーンバトルしようぜ!」
「だぁから!」
「ポケセンはやく行くぞ!」
全く問題ないではないか。
グリーンの仲間がそんなの、攻撃した理由をグリーンが理解しているのに尚も怒り続けるわけがない。彼らのグリーンへの忠誠は本物だ。そんな中、何を心配しているのか。
急いでグリーンの手を引き階下へ降りると、目を丸くしていたナナミ姉ちゃんはグリーンの顔を見るなり笑顔になって
「良かったわね、グリーン。」
と、何でも知っていると言いたげに一言だけ呟いた。