才覚(長編2)



「姉上、今日はお体よろしいようで。」

「ありがとう、グリーン。今日は何を考えていたのかしら?」

鈴のようにころころと明るく軽やかな声が簾越しに聞こえてくる。
しかし、軽い調子の声は傀儡のようであった。中身のない、ただ典雅な音に仕上げたカラクリの動く音であった。こんな音では、グリーンの心は呼吸を始めない。心臓は拍動しない。朝は始まれど、ちっともグリーンは始まったと実感できやしなかった。

「一族の繁栄を、願っておりました。」

だから、グリーンは心ない様子で、返した。
未だ一度も見たことのない、ナナミ様の姿を拝みたいとは思わない。出来ればそんな機会来なければ良い。姉に対して、何の感慨が沸く気もしないのだ。詰まる呼吸が安易になるとも思えない。
グリーンは、最近は自身の妄想が真実であるかのように感じていた。
傀儡を拝んで何になると言うんだ。

なんで傀儡相手に…、──。



「ばあさんっ!」

夜も明けたばかり、朝霧のたゆたう森の奥、しらたまを掻き分けた先の小さな社にグリーンは向かった。足取りは軽い。
都を北東に抜け出し朝日を体に受ける。霧に拡散された淡い光が草木を照らす、優しい風景にグリーンは僅かに心を和らげた。

「なんだい、グリーン。誰も来いなんて頼んでないよ。」

古ぼけた社の前にいた厳しい表情の老婆が、森によく浸透した少年の声に応える。貴族であるグリーンとはとてもではないが釣り合う様ではない。彼女自身からは気品を感じるときも有るがきている服はボロの麻。只の少し知識の有る庶民、というのが妥当な見解だろう。グリーン自身、彼女の身の上を知っているわけでも知ろうとしたわけでもなかった。

「んなこと言うなって。ほら、桶持つから。」

「式神を使う腑抜けなんて必要ないね。」

嫌みの絶えない老婆からグリーンは水の入った桶を取り上げ、自身の腕で持ち社へ向かって歩き出した。老婆は抵抗を見せず大人しく取り上げられ、グリーンの後をついていく。

「ちゃんと飯は食ってきたのかい。」

「まだ腹減ってねぇよ。使い誰も起きてねぇし。」

火をおこしながらグリーンは答えた。呆れた眼差しに加え溜め息をついた老婆は更に「貴族ってのは優雅で羨ましいもんだよ全く。」と悪態をつくが、グリーンは寧ろ嬉しそうにした。

「どうせ、キクコばあさんも貴族だったんだろ?」

「ハンッ、こんな身形のババアがそんなもんに見えんのかい!」

「そんなもんに見えるぜー。」

グリーンは、キクコという老婆の素性に興味はない。だから、この発言も言うなれば挨拶の一部である。
けたけたと一頻り笑った後、ふと沈黙が訪れる。キクコは静かな表情でグリーンを見詰めた。

「で、どうしたんだい。さっさと本題に入りな。」

「なんだよ、用がないと来ちゃ駄目な──」
「嘘つくんじゃないよ。」

朝飯の支度をしながらグリーンは笑ったが、ぴしゃりと厳しい口調で遮られる。キクコをみたあとグリーンは諦めたようにポツポツと話し出した。

「…レッドって奴がな、住み始めたんだ。あいつ、不思議な感じがする、おかしいんだ。人間じゃない。けど、ちゃんと人間で。」

これは、百戦錬磨と言える今や大陰陽師にまで上り詰めたグリーンにも解らないことだった。
グリーンは、霊の気配を感じ気配のもとに行ったのだが、そこに霊はおらずいたのは人間であるレッドだけであった。屋敷内一、霊の気配に敏感であるグリーンが、存在を間違えるなど、話したところで使用人に下世話な井戸端会議の題をやるだけだ。
詰まる所、グリーンは、レッドの気配と霊の気配の区別がつけられない。
しかし、霊はレッドを人間であると認識している。その為に最初からレッドを人間と認識できていた。
霊が教えてくれなければ、気が付くまでに時間がかかっていただろう。空恐ろしい事だ。人間は信用してはいけない。信用すれば失脚させられる。それはグリーンにとっては良くないことだった。なんとしても祖父に利益をもたらしたいのに失脚ともなれば損害に繋がる。

「今日は仕事はないのかい。」

キクコが採ってきていたのであろう筍を小さくしながら問いかけてきた。残念ながら仕事をしなくて良い日はない。大内裏にて開かれる歌会すら祖父に投げて自身は仕事を入れる。歌会は得意ではないため、詠むのが好きな祖父に任せて自身は護衛に回っているがいつまでもつか。じきに暇の日を探しだしてその日に開かれそうだ。

「今日は外れの岬に住んでいる絵師の所に行かないと。最近、一条の百鬼夜行の量がおかしいんだ。質も、変なのが紛れてる。」

見覚えのない妖が紛れ込み、何やら他の気とは違った。
基本的に陽の気で動いている彼らの中に、陰の気配が紛れ込んでいる。入り乱れたそれは決して元の気と混ざることはないが、一体のみならず明らかに百鬼夜行全体に影響を及ぼしていた。その原因を追求せねば、人は襲われ続け俺は妖を殺さなければならない。
そろそろお暇しようと立ち上がると、キクコがグリーンを呼び止めた。

「あんたが腑抜けのために踏ん張る必要はないんだよ。いつだって来て良いんだからね。」

その言葉にグリーンは「知ってるよ」と返した。グリーンが、キクコになついているのを理解した上でグリーンに進言したのであろう。グリーンは笑顔でその意見を退ける。

「また遊びに来るよ。だって、ばあちゃんの魂、真っ黒だもんな。」

グリーンは、笑顔でそういった。
さて、笑顔のグリーンの長閑な気持ちが急速に凪いだのは一度邸に戻ったときである。
待ち人が、いた。

「お帰りなさいませ、グリーン様。」

不慣れらしい敬語が辿々しい。
先日、その身をグリーンが預かる羽目となったレッドが、邸の入り口でグリーンの帰りを待ち伏せていた。グリーンは男の笑みに辟易する。
こいつとは、既に一度森の中であっている。精霊の領域を荒らしそうであったコイツを止めた。それだけだ。決してこのレッドの為ではない。為ではない、が、なんて澄んだ魂か。改めて彼の魂を見て思う。精霊が興味を持つのも解る。ここまで澄んだ魂なんて人間では初めてみる。大抵の人間は濁った魂をしている。自身に至っては、濁りすぎて、底に沈殿して尚濁らし最早淀んでいた。

「グリーン様、どこに行かれるんですか?」

無視しても気にしないといった風に後ろを付いて回る。慣れない敬語が耳障りだった。

「調べ物。」

小さく、呟くように言ったが、しっかり聞き取ったらしい。「調べ物?」と反芻した後、突如弾かれたように「僕も行く!」と声を張り上げた。
突然の声に嫌悪を露にして後ろを振り向くと爛々と輝く瞳とかち合った。

「僕、ずっとグリーンがどんな奴と戦って、退治してるのか気になってたんだ!姿は見えないから、」

瞳を輝かせて語る無邪気過ぎるレッドは滑稽であった。滑稽で、無知だった。

「退治、ねぇ…。お前本気でそんなこと思ってんの?」

妖怪達が悪い奴等だとでも?
この問いにレッドは不思議そうに、しかし迷わずに答えた。

「え?うん。」

悪は無くなるべきだ。俺に悪戯をする「あいつら」は悪に違いない。ならば、奴等は滅するべきである。これが、レッドの考えであった。レッドは、悪が許せない、正義感のとても強い男であった。
しかし、レッドは当然である筈の事を言って、肯定したのに目の前の貴族様は呆れたと言わんばかりの嘆息を漏らした。

「でも、グリーンも…あ、グリーン様も昨晩蹴散らしてたでは御座いませんか。」

「敬語が耳障りだやめろ。」

辿々しい意味の伴わない敬語はやめろと先に文句を言い、言った後に言われた内容を考えた。確かに、グリーンは、昨晩馬頭の鬼を式を用いて殺した。しかし、一族への依頼を遂行したまでである。
グリーン自身は快くなかった。
どちらかと言えば、鬼と化したモノが人間を襲う場合憎悪やら過ぎた愛が原因である。なれば、グリーンは鬼が復讐を果たすことを望んでいた。習性として鬼は真っ先に発生してから恨みの対象、執着した者を殺しに向かう。恨みを果たした後は無節操に襲い出すため成敗も仕方無しではあるが、恨みを果たした状態の鬼を殺すことを望んだ。
恨まれるような、心ぎたない衆生を生かしておいて何になる。恨まれるようなことをして報いを受けないで良いのか。それが、グリーンの、魂の波長を感じとれ、憎悪嫉妬政略の中で育った少年の考えだった。

「お前も他の奴等と同じなんだな。…好きなように考えれば良い。」

グリーンはそう言って、レッドに背を向け牛車に乗り込み、簾を下げた。レッドは同乗させない、という意思表示である。流石にそれが解らないレッドでは無かったが、ここで折れる諦めると言うのもレッドでは無かった。
外は見えまい、と堂々と他の使いの者が呆れるのも気にせずレッドは牛車についていった。
グリーンは、ついてくるレッドに気付いていたが止めなかった。

岬に到着し牛車を降りると、見えていたのだろう、門扉から変人絵師が姿を表した。

「おぉ、グリーンやないか!どないしたん?」

「資料を見せろ、マサキ。」

マサキは、目に見えざるものの姿を描きたがる変人絵師だ。色々な人から伝聞した妖怪や幽霊、精霊を描き絵巻に話を記している。その為、グリーンは新しい妖怪の姿を克明に伝え、マサキはグリーンの知らない妖を見せる、いわば利害関係が一致した関係であり、両者とも利用しあうのを了承している。グリーンが会話を成立させる数少ない人間の一人である。

「牛の面の鬼?体は?」

「人間の男に近い。」

ズラリと壁一面に絵巻物の置かれた部屋に通される。つまり、この絵巻物の量が彼の知識の量であるため時折子供に怪談噺を聞かせているようだった。
特徴を伝えるとマサキは辺りを見回しおもむろに巻物の一角を漁り出した。

「この都の噺じゃないのでええんやったらこんなんどや!旅人から聞いた噺や、なんや隣の都で騒がれたらしいな。」

「姿は多少違うが、こいつだ。」

マサキの開いた巻物は正しくであった。噺を促すとマサキは、噺をした男の姿から噺口調も踏まえ、どの方角の都で、いつ頃の噺かまでを詳細に話した。
その様を外から隠れるように覗く男が一人。
レッドである。
しかし、塀の向こうから覗いているレッドに話している内容まで聞こえるわけもなく、レッドは妙に負けた気持ちになっていた。筋違いもいいところであるが。

何かを話し終え、グリーンが立ち上がる。そして出ていった。暫くして、牛車の動く音がして、一緒に帰らないのかと不思議そうにする牛車をひく付き人に一礼し、グリーンが通った道をなぞった。

「ひえええぇ〜〜〜っ!」

門を叩こうとしたときである。何やら中から情けない叫び声が聞こえた。
何事かと、急いで壁伝いに先ほど覗き見ていた部屋の方角へ移動する。すると何かを叩き付ける音や、物、というか絵巻物の大量に落下する音が聞こえてきた。

「どうしたの!?」

「あぁ!?誰や君!いや、今はそんなことどうでもええ!コイツの事どうにかしたってや!っひぃぃぃ…」

あわてふためくマサキには悪いのだが、一人で騒いでるようにしか見えない。コイツというのがどいつなのかさっぱり見当がつかない。

「なんや、もしかして見えへんのかい!ほな、なんで出てきたん!?」

とんだ言われようである。
しかし、騒いでいるマサキが不自然に床に転がり、マサキが急いで回避した所に盛大に何かを刺したような穴が一瞬で出来た様を見てしまい、マサキの言い様に白目を向いている場合ではないと悟る。
試したことも無ければ、グリーンの見よう見まねだ。それでも、試すしか無かった。

「見えざる者を蹴散らせ…出てこい!」

幸成に「使えるかはわからんがの」と言って渡された式紙に念じ命令し、放った。

「おお!雷獣やないか!君式使えたんか!」

出来た。
しかし、顕れた式神はグリーンの放った神々しい犬ではない。あれに比べてとても小さく、心許ない。
それでも、試すしか無かった。





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