心の檻





代わり映えしない風景
代わり映えしない空間
代わり映えしない日常



俺は所謂人質らしい。
家族や友人の微かな記憶を残して俺は人生の半分以上をこの塔の一室の中で過ごしていた。
人生がこんなに暇なものとは思っていなかった。
石造りの何もない部屋に閉じ込められて、遥か上に開けられた窓の日も直接届かないから部屋の色を僅かに変えただけで、俺は随分と陽の目も風景も見てなかった。壁と、時折飯を配当しに来る人間、その人間の向こうにある華やかな世界だけしか知らなくて、
最初は狭い空間を動き回って遊んでいたが、飽きてしまい次第にやめてしまった。
世話係の人間にいつ解放されるのかと聞いても帰ってくるのは代わり映えしない返事で、次第に聞くのは諦めてしまった。日付も途中までは壁に刻んでいたが、壁を一周したときにそれも諦めた。
することもなく、俺は想像で暇を補おうとしても補えるだけの知識も持たずに閉じ込められたために、想像も出来なかった。空想しようにも石しかない世界しか思い浮かばない。

だから、いつものようにただ終わりを待ちながら寝ていたときだ。
いつもより少し早いと思われる時分に男はやって来た。

「解放される日が来ましたよ。」

心なしか嬉しそうな世話係に俺はなんと返せばいいか解らない。
世話係は、この国の城下町に住んでいる俺と同い年の男の子だった。
要らぬ会話はするなと命令を受けていたようで、お陰で彼の素性は解らないまま。

「解放されて、嬉しくないんですか。」

訊かれて、答えようとしたが、暫く喋ってなかったせいで喉が詰まる。

「、っ、あ、だって、」

やっと声が出たと思ったが、しかし、なぜこうも俺は喜べていないのか。
理由は明白だった。

「本当、って感じが、しなくて」

すると世話係は笑った。
そして俺に手を伸ばした。

「本当ですよ、さあ、行きましょう。」

伸ばされた手を取った。踏ん張ってもなかなか立てず、世話係が引っ張ってくれてようやく立つ。
久々に立つとよろめいた。
同い年の彼は、俺より幾らか背が高かった。

「僕が、王子を国の城までお送りします。」

王子?
思わず聞き返すと、また彼は微笑んで貴方の事ですよと言った。
着なれない重い洋服に腕を通し、俺は自分のいた世界から出た。
色が、あった。
華やかな飾りだった。輝いていて眩しかった。
世話係も普段身に付けていない物を身に付けていて、何だと聞くと剣だと答えられた。

そうして、歩くがどうにも速く歩けない。世話係は普通そうなのに、多分俺が遅いと言うのは理解している。だが、息が上がってしまうのだ。

「しょうがないですよ、今まで運動出来なかったのですから。」

そう言って世話係は、俺が回復するのを笑って待ってくれた。
旅は全て徒歩になると言っていた。
まだ町も動き出さない夜分に出発したためあまり人もいなかった。
いや、あまりなんてものではない。いなかった。
噴水の前で、休憩していると、待っていてくださいと言い残して彼は、どこか朝霧立ち込める向こう側へ消えていった。一人、無音を確かめる。正確には微かに聞こえる音に耳を澄ませた。耳を澄ませば音が聞こえる。
世話係の声でも歩く音でもなく、遠くから聞こえる囀りか新鮮だった。
囀りを新鮮に感じる程俺の世界は世界から別離してた。

「お待たせしました。」

小走りに戻ってきた世話係を見てそういえば名前を知らないと思い至る。

「申し遅れました、私あなたさまの護衛を任命されました、シロガネ城下町のレッドと申します。」

「なにしに、いってたんだ?」

問えば、ちょっと用事を済ませに、と笑顔で答え、レッドは前を向き「さあ、参りましょう。」と歩くのを促した。レッドは前を向いてしまったため、俺からはレッドの表情が見えなかった。
レッドの表情が、ほくそ笑んでいるのを。

レッドは、たびたび姿を消した。
そのたびに俺は休憩させて貰っていたのだが、ある日、レッドがいないとき、レッドが帰ってくるのを待っていたときだ。
茂みから男が現れた。
通りすぎた町でも男は何人も見ていたから男が成人している中でも体格がいいのを理解できた。
なんだと思っていたら、男はレッドと同じ格好で、腰にあるものをすらりと抜いた。
銀色の鋼が焚き火の光を受け輝いた。

そこでようやく自分の命が危ないということに気がつく。

剣が、降り下ろされた。

血飛沫が舞う。
体格の良い男が背中から血を溢れさせ倒れた。振り返り様に男は剣を水平に走らせようとしたがあえなく阻止され、地に伏した。

赤で汚れた男が静かに見下していた。
表情は何も映しておらず、倒れた男の外套で剣の赤を拭き取る。
異常に冷たい雰囲気の男は、見ているだけで凍りついてしまいそうで、生ぬるい風を肌に感じて、その時漸く俺は声を、彼の名前を絞り出した。

「れ、レッド……」

しかし、絞り出した声は完全に恐怖を表した声音で、
声に反応したレッドの表情は、柔らかかった。笑顔で、「驚かせましたね」と返した。その顔も声音もいつも通りで、俺は安心する。

「彼らは、僕の国の剣士です。アナタの命を狙っている。」

護衛と言っておきながら僕みたいな城下町の男をつけたのも、元から護らせる気もなく、道端で「不慮の事故」にあわせるためだ。
独り言のように、彼はただ事実を述べた。少し難しくて理解できない言葉もあったが、要は、俺を殺したいようだった。なぜ、

「僕にも判りません。彼らはアナタの国を滅ぼし、占領したがっている。だから、途中でアナタは死ぬ予定だ。」

なぜ、
彼はこんなにも平然といってのける。まさか、

「僕の帯刀も、本当はアナタを殺すためだ。」

静かに手にしている剣を男は見詰める。鳥肌が立った。

「でも、」

この男と一緒にいてはいけない。そう思ってばれないよう後ずさったとき、男は続きを紡いだ。

「僕は、アナタを守るためにこの剣を使う。」

少し照れたような、はにかんだ彼の表情が、初めて彼の表情を見たときと一緒だった。先ほどの何も写さない表情ではない。

「僕はもう、あの国には戻らない。一緒にあなたの国へ参りましょう。もう、決めたんだ。あなたと自分の為にしか動かないと。」

そう言うと、レッドは拭った剣を鞘に納め、俺の前に跪いた。
そして、手を差し伸べられる。

「この不肖シロガネのレッド、改めてアナタの帰国への同行お許し願いたい、グリーン様。」

限り無く、真摯な心に、レッドという俺を見続けた存在に、俺が見続けた存在に、
俺は迷うこともなく、応えた。

「グリーンでいいよ、レッド。」

そう言うと、顔をあげたレッドは嬉しそうに笑った。








ソレからも、刺客というヤツはしつこいほどやってきた。レッドが言うには当初の作戦よりも人数が多いようで、レッドが裏切ったことがばれたと言っていた。しかし、レッドは淡々と人を殺していく。
俺の歩行のペースに合わせてくれて、そのせいで刺客は追い付いてくると言うのに何も文句を言われない。
そんな日が続いていた時、遂に国境の目の前にまで到達した。
関所と言うところの人間にレッドが何か言うと男は慌てて建物の中に駆けていき、戻ってくると男は俺たちを建物の中へ招き入れた。

「なにしろ八年間そちらに奪われていたのですから本物かは解りません。迎えのものが来るまでは監視させていただきます。」

「まあそうだよね、しかも王子と同年の一人がお付きも怪しいし。勅書も信じないでしょ?なんなら僕の剣も迎えが来るまで持ってていいよ、それで迎えの人間にそのまま渡していい。」

さ、行こうか。そう俺に微笑んだレッドが俺の手をひいた。そのまま先導するレッドからは血の臭いがした。

二日後、外から馬の走る音とガタガタとけたたましいおとがした。馬がなくとともに騒音も止む。俺は外が気になって食べていた朝食も放って外に出るとレッドが後から付いてきた。
馬車が関所の前に止まっており操縦者が何やら関所の人間と話している。
すると、突然馬車の戸が開いた。関所の人間も操縦者も途端にあわてだす。
レッドが「嘘だろ…」と絶句した。

中から現れたのは綺麗な女性だった。栗色の髪を静かに揺らし、蜂蜜のような瞳を憂い気に揺らす。まだすこし幼さを残しているが、俺より完全に年上の女性。
彼女が、こちらを見た。そして駆け寄ってくる。
反射的に、レッドから渡された護身用ナイフを引き抜こうと構えたが、レッドが耳元で「駄目だ。」と囁いた。

「グリーンの、お姉さんだ。」

「え?」

「グリーン!」

駆けてきた女性が優しくおれを抱き締めた。その温もりに確かに覚えがあって、本当に姉なのだと実感する。
そして、ようやくおれは解放されたのだと知った。
見た目は全く違ったが、遠い昔、無彩色に埋もれかけた記憶の中、柔らかい仕草でおれを抱き締めてくれた両手。

「ただ、いま…」

「えぇ、おかえりなさい。グリーン。」

ちらりと振り返りレッドを見た。
レッドは、ただ嬉しそうに笑った。
レッドがおれを石の世界から連れ出してくれたときの事が甦る。
途端、目頭に集まる熱。
おれは必死に姉の背中へ手を伸ばし抱き締め返した。

「帰りましょう、お家へ。」



レッドも、グリーンも。ましてや、姉のナナミや国王である祖父すらも、
色のある幸せな日々がこれからあるのだと思っていた。
しかし、それは幻想であった。

レッドは唯一の事情を知るものとして、亡命者として尋問ばかりでグリーンとの面会が許されない日々が続いていた。イライラの募る日々。しかし、精神を磨り減らしているのはレッドだけではなかった。
一週間ぶりに会うことを許されたグリーンは眉を八の字にして元気が無さそうだった。

「みんなを困らせるんだ。」

食事のマナーが悪い
言葉遣いが悪い
落ち着きがない
物事を知らなすぎる、学がない

「いいんですよって言うけど面倒そうだ。」

その元気のないグリーンを見ていると苛立ちが込み上げてきた。
そして俺は決意する。



「近衛隊長へ、決闘を申し込む。」

必死に止めるグリーンを尻目に近衛兵舎へいき開口一番に告げた。
勇んできた少年をからかおうとやって来た数人の兵。そのリーダーであろう奴の喉元に剣先を突き付けた。

「僕は本気だ。」

その言葉に、その行動に、兵舎の空気が凍りつく。奥の隊長が応じた。


勝負がつくのは案外早かった。
もとからレッドは弱いわけではなかった。町の一介の人間が、他国といえど容易に近衛兵に勝てるほど強くもない。しかし、勝ったのはレッドだった。彼は旅の間で成長していた。
レッドが隊長の剣を弾き飛ばす。そして足を掛けレッドの攻撃を避けようとした隊長のバランスを崩した。上体を戻そうとした隊長に肘鉄を食らわし遂に隊長は盛大な音をたて背中から倒れた。
レッドが首のすぐ横に剣を突き刺した。

「伝えたのか。」

唐突にレッドが口をきいた。が、誰も何を伝えたのか問われているのか理解出来るものはいない。

「俺は全て伝えた筈だ。グリーンは、ずっと幽閉され知ることは許されなかった。あの国は王子から能力向上を奪ったと、」

なのに、王子の無知を責めるのか。
この国は不可抗力の事態すら許さないのか。
レッドは静かに怒っている。レッドが隊長に股がり顔を近づけ何かを囁いた。隊長が目を見開く。

満足したのか冷たい雰囲気のままレッドは微笑むと、剣を引き抜きグリーンのもとへ戻った。

「ありがとう、グリーン。」

そのまま兵舎をあとにしたレッドが呟く。

「ここが嫌なら出ていこうか、」

誰も記憶の通りじゃない、王子への期待でグリーンという存在に落胆する、
僕は見てて辛いよ。
出ていくのが嫌なら旅に出るでもいい。マナーは教えられないけど、他は教えられる。
僕は、この国の王子のために在るんじゃない。グリーンのために在るから、グリーンが望むならどこへでもついていくよ。
その言葉にグリーンは静かに頷いた。









心を檻に閉じ込める








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テーマ「人外ファンタジー」
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