潜んで見る岩
!!ローレライ伝承にない、捏造部分が多分に含まれています!!
ここの川には亡霊がいる。
その噂を聞いたときは半信半疑だった。シルバーはいまだに信じ切れていなかったが、確かにここの区域は不気味で、噂が立つのはおかしくはない。
だが、噂は噂。
このルートを選んだのは父だ。大きな貿易会社を取り仕切り今回も船に同乗し商品を市場に回すまで彼が見届けるはずだったのだが、騒ぎがあったようで息子である俺に仕事を回してきた。
しかし、船を動かすのは航海士、つまりは下っ端であり、俺は商品を見届ける係。あまりいる気はしない。どうせ下っ端どもには横領しても俺から隠ぺいしておく頭はないのだ。
日が暮れる前に急流が発生しやすい地域は既に抜けておきたかったのだがどうやら間に合わなかったらしい。遠く太陽が消えていく。
美しく切り立つ岩山が見えてきた、夕日の沈む直前の光を戴き金剛に輝く。
朝から起きていたのだし、俺が寝ても文句はないだろう…。
そう思い俺は日が暮れた途端自室へ戻ってベッドに入り込んだ。
帆も畳んでいるし、特に問題は起きないはずだ。
歌が、聞こえた。
とても、美しい…、どこか泣いてるような…。
歌声に誘われるようにデッキへ出るとやけに静かだった。
いったん、歌声がやみ我に返る。
船員が誰もいない。
おかしい、昼間の奴がいないにしても交代で夜勤の奴らがいるはずだ。
しばらくあたりを見渡せど気配すらしない。
あたりは完全に夜に呑まれていて海はただただ空と岩と同化して黒いばかり。船のカンテラのみが頼りだった。
――――――――ッ!!!!
頭を抱えた。
いきなり頭に強く響きだした金切声に平衡感覚が正常に機能せず、デッキに倒れる。
ヒステリックな叫び声はやまない。
「……ッ」
大きく船体が揺れたと思うと体が妙な浮遊感に襲われる。
遠くに船体が見えた。
しまった、投げ出された。
把握した時にはすでにどうにかなるような状況でもなく、俺の体は頭痛も止まないまま冷たい水に沈むことになった。
船は暗礁に乗り上げたようで艦隊に大きな穴をあけていた。ああ、あの中には奴隷がいるのに、拘束されていては逃げ切れないじゃないか。
静かな、水滴の落ちる音が聞こえる。
優しく美しい、けれどその中には悲壮も含まれていて魅惑的な声になっていた。
目を開けるとすっかり頭痛はひき頭は冴えわたっていた。
洞窟か?
美しい鍾乳洞が青白い光を受け輝いている。
「起きたか?」
体を起こすと、声をかけられた。
橙の髪色をした少年が笑いかけてきた。しかし、彼との距離により見えた姿の全貌に唖然とした。
「鳥…?」
「半身な。」
彼の体は下半身が鳥のようだった、美しい尾が生え垂れている。そして鳥脚、しかし局部までは人間のようで、象徴は見えていた。彼自身隠す気はないらしい。
あまりの非現実的な事態に既に頭が若干麻痺しかけている。自信の現状を把握しようにも、いきなり見知らぬ地で目の前に半身鳥男だ。
いや、俺はいきなりというより、船から落ちてここで目が覚めた。
そうだ、あの時に既に異常は起きていた。歌が聞こえ外に出たら船員たちがいなかったのだ。
「俺のほかに船員を知らないか?」
そう問うと目の前の俺より少し年上らしい少年は後ろに向かって指をさした。振り向くと、今回市場に回すはずだった奴隷が横たえられていた。ひとまず、商品になった者たちの無事は確認できて安心した。正直、俺は売られようがこいつらが逃げ果せようがどっちだっていいのだ。生きてさえいればよい。人間生きるに越したことはないのだから。
しかし、他は見当たらない。
「他にも、商人たちがいたはずだ。」
「地獄に行ったよ?」
口が開いた。何をケロッと言っているんだこいつは。地獄?バカバカしい。
しかし、実際部下の姿は一人として見当たらない。
「どういうことだ…」
俺の呟いた言葉に、男は息を思い切り吸い込み、うたいだした。
答えになっていない、そう思ったが言葉にはならなかった。
言葉を失うという形容をここまで最もだと思ったのは初めてだ。異常が始まった時に聞いた美しい歌声、その歌声が今まさに目の前で奏でられていた。
「…いい歌声だろ?」
妖艶な笑みを浮かべた男が、こちらを見ていてはっとした。見惚れていただなんて、…目の前の男の笑みはそれを察したうえでの笑みなのだろうが。
「この声は人間を魅了し、船をも引き寄せる。」
船員たちも可哀想だよな、こんな日にココを通ったばかりに船は岩山の虜となり沈みましたとさ、
愉快に語る男の何もかもが信じられなかった。
あの美しい歌声を目の前の「男」が奏でていたことも、彼の容姿も、…彼の話すらも。
彼の話はあまりにも似通っていたのだ。ローレライ伝説に。
「お前…何物だ?」
「ローレライのセレネ、グリーンだ。」
セレネ、発音の違い。つまりはセイレーン。正真正銘の化け物だ。ローレライ伝説。
今、俺の目の前に現実として存在していた。
ただ、こいつの見た目からしていささか理解しがたいところはある。
「なぜ男なんだ…?セイレーンは美女の筈だ。」
「なんだよ、美女が良かったか?」
笑いながらグリーンと名乗った化け物は問い返してきた。まあどうせなら男よりも美女が良かったというのは否定する気にはならない。応えずにいるとさらに高笑いをしながら「悪かったな」と露とも感じてぬ言葉を吐き笑う。
もうひとつ、気になっている点がある。セイレーンというのは海の化け物。鳥脚だなんておかしい。
「俺の先代は死んだよ。俺が生きちまったから。」
岩に背を任せてグリーンが言った。
頭に疑問符を浮かべたままである俺に対して彼は言葉を足し説明をしてくれた。
「セレネってな、歌聞かれて生き延びたやつが居たなら死んじまうんだ。俺は、商船に乗せられて座礁した船から投げ出されたんだ。そしてローレライに頭ぶっけて気絶しちまったわけ。それで死ななかったんだよなぁ…まさかローレライの足もとで生き延びるなんてな、多分先代の死に際に呪い掛けられたんだろ。」
気づいたらこの姿ってわけ。で、ほかに質問は?
一応、律儀に答えてくれる気らしい。
腕を組んで終始笑顔だ。
「何故俺を助けた?」
「助けたっ?」
反芻したと思えば、目を大きくし、これ以上はないだろうというまでにグリーンが爆笑する。
俺は何もおかしいことは言ってないはずだ。突飛ではあるが、こいつの言い分では俺の部下は地獄に行ったはずだ。そして俺と奴隷たちは生き残ってる。筈なのに、グリーンは涙を流すほどに爆笑している。
「いいか?ここを人間は幽世っていう。あの世とこの世の間って奴だ。お前たちは死んでも生きてもいない。ただ、俺の気紛れに付き合わされてるだけっ!!」
こんな世界に連れ込まれて助けられたなんて、おめでたいな。涙を流しながらいう男の冷血さにひいた。父の部下には自称冷酷がいるが、あいつは相手への絶対的優越に陶酔しているだけだ。だが、目の前のグリーンという輩は他人の意志を無視する。だから、生かして苦しめるなどではない、生殺与奪の権を握っているのではない。暇つぶしにされている、飽きたら恐らく捨てられる。その時は俺の部下と同じ末路を辿るのだろう。
「…言い方を変える。なぜ商人は地獄に行ったのに俺たちは幽世にいる?」
「奴隷商人を殺しちゃダメ?」
質問を言い直した途端にグリーンの纏う空気が一変した。氷点下の世界にいるような、冷たいまなざし。しかし、怯んだのも事実だが、俺が負けず嫌いなのも事実。後ずさることはしなかった。
静かに原因を探る。セレネといえば悪魔の一種ともされている。いつ殺されるかはわからない。とかく、自身が、奴隷が、ここで終わるのは惜しかった。
俺は、父を超え、今まで売られた奴隷リストの中から有能なものを買い直し、新たな世界を築く。弱いとされていた者たちが孤独に生き延び、耐え、強いとされていた者たちを下す世界を見たいのだ。だから、そう簡単に終わるわけにはいかなかった。奴隷が逃げても、俺は経路を終える手立てがある。逃げる能があるやつはぜひ欲しいからとった策だ。これは父には教えていない。父には、越えられるものならば超えてみろといわんばかりの態度をとられ、ハンデのつもりかリストまで与ってしまった次第、ここで終わりたくはなかった。
「殺して駄目なわけではない、なぜ分別したのか…、」
言いかけて思わず止まった。悠然と構えるグリーンの腕には手錠がはまっており、足にも枷がついている。手には重々しいのと、新たにかけられたもの。足のは、新たにかけられた手錠と同種のものだった。
それに、見覚えがあった。
父の所有している会社のものだ。
さきの会話のグリーンの発言を思いだす、そうだ、彼は「商船に乗せられて」といった。つまり、グリーンは自分の意志で商船には乗っていない。なぜ気づかなかった。
「奴隷、だったのか…」
「察しがいいんだな」
冷たい、そこの見えない冷え切った深海のような瞳を変えないままいう。彼の、次に起こすアクションが読めない。必死に、記憶をたどる。
「俺は、奴隷だったよ。浚われて売られて、飽きたらまた商人に売られた。その途中だよ。座礁したのは。
恨んでちゃダメかよ?」
思いだした。
「今から三年前、ロケット商船だな。」
グリーンの目が見開かれる。あたりだ。
息をついて、言った。これはけじめであり不始末の責任であり、これからの未来への懇願だ。
「聞け、その商船の元締め、つまり会社は俺の父の者だ。そして、俺は奴隷を売る側だ。だが、どうか奴隷たちを生かしてやってくれ。彼らには罪がないのは解るだろ。お前がそうなっておいて勝手かもしれないが…」
「無理だ。」
遮られた。
懸念していた可能性の、拒絶。
おかしくはないのだ。俺の条件を提示せずに奴隷は生かしてやってくれなんて、俺が八つ裂きにされてもおかしくないのもわかるし、彼らがのうのうと生き延びるのを許せないというのも考えられた。だからないことを願ったが駄目だったようだ。だが、食い下がらないわけにもいかない。
「駄目なんだって、さっき言ったろ。俺は次代のセレネって。生き延びたやつは次のセレネだ。」
つらつらとグリーンは駄目な要素を述べていく。それは、あまりにも絶望的だった。
第一に、幽世から解放されれば、解放されたのは、連れ込まれた瞬間の直後。生きるか死ぬかの世界。そして、その瞬間では座礁した船体の木材が、急流の中襲いかかり、暗闇のため受け身もとれない。
第二に、グリーンは本当に連れ込んだだけ。生きるか死ぬかは彼に頼ればどうにかなるものでないってことだ。
本当に、絶望的だった。
「まあ、生かしてだってやりたいけどさ。ここで悠久を過ごしたっていいじゃん。ここに馴染めば、時は流れだすし、人間には戻れなくなるけど、」
最後はぼそりと、小さく。
グリーンは丁寧に並べられた気絶している奴隷のほほを優しく撫でた。
突出した岩に座っていた彼はずり降りて、岩を背もたれにする。立とうともしない。
寂しい、のだろう。
彼は恐らく、三年前から突如化け物になり、この空間に一人でいたのだろう。やるせなかった。彼の傍にいてやりたい、そう思った。
「人間じゃないから、グリーンの手は冷たいの?」
突如きこえた第三者の声に俺もグリーンすらも肩をはねさせる。ほほを撫でていたグリーンの腕をだれかが握る。今、グリーンが撫でていた奴隷だ。
ゆっくりと起き上った奴隷を、グリーンは口を震えさせ目で追った。
「探したんだよ、グリーン。久しぶり。」
グリーンの目を驚愕に開かせ、優しい瞳でその様子を見つめる男をシルバーは鮮烈に覚えていた。
マサラのレッド。進んで俺をこのルートで売ってくれと乗り込んできた男だ。その時はすでにこの航路は決定し、俺に任が下っていた。だから、話は俺に通され、何か裏があるのは了解したまま俺は彼を売ることにしたのだ。
なんにでもよし、マサラはまっすぐな人間が多いらしく、売値もよかった。挫き甲斐があるようだ。そして、野望とともに乗り込むのなら、スカウトすれば俺のもとにつく可能性もあったのだ。明日の朝にでも聞き出そうとしていた先の座礁だった。
「レッ、ド…」
男の名をグリーンが口にした。男は、優しく肯き微笑んだ。
取り込んできたときからずっと眉間にしわを刻み、剣呑なまなざしだったのからは想像できないような優しい表情だった。
「こんなところで一人だったのか?グリーン寂しがり屋なのに、待たせたな。」
グリーンが首を横に振る。うれしいのか、悲しいのかよくわからない表情だった。ただ、彼の瞳から涙がこぼれた。
「俺、俺…知らなくて…お前が乗ってたなんて…お前が…売られてたなんて…だから…船、船を…!!」
涙声でグリーンが必死に言葉を紡ぐ。さっきまでの悠然とした雰囲気は一切感じられず、今のグリーンは非常に人間らしかった。最後は取り乱したように、ごめんと連呼していた。
そうだろう、さっきの話からすればこいつは大切な存在であるらしいレッドを生死の境目に追いやってしまったのだ。悔やまれないわけがない。
「いいんだよ、俺グリーン探すために売られたんだから。」
優しく、セレネの頭をポンポンと叩く男の気がしれなかった。化け物になってても、自分を生死の境目に追い込んだ奴でも、優しく触れて、こいつを探すために売られた?一人を欲するために?訳が、分からない。
自信がやろうとしていることも大概無謀だと思っていたが、上には上がいたらしい。
レッドは、本当に先ほど目が覚めたようで、グリーンが事の顛末を話す。そして、聞き終えた後に、かなり悲壮な表情を浮かべているグリーンにこういった。
「なら、一緒に死のうぜ。」
「こいつら、殺すことはないだろ。でもグリーン死んじゃうんだろ?だったら一緒に死のう。」
「いい加減なことを言うな。」
ずっと彼らの様子を見守っていたが、そんな適当に放り出されても困る。大体、次代のセレネは生まれるし、適当に放り出されれば、流木にあたって即ミンチだ。口を出さずにはいられなかった。
「そんないい加減なことは言ってないさ。」
笑顔の男に俺と化け物は首を傾げた。
ものすごい水流に飲まれる。
しかし、すぐに収まった。そのまま急いで流れの緩やかな方へ向かった。
すぐに、また流れが強くなった。しかし、なんとか岸にたどり着いた。
美しくも悲しい歌声が聞こえた。月明かりを浴びて乗っていた船がラインにそびえたつローレライの影に呑まれていく。
レッドの言葉が思い出される。
「実際、君たちは博打だ。俺たちは割と達成できる可能性が高い。なら、君たちの生きる可能性を少しでもあげる。」
多分、半分生き残ればいい方だ。
その言葉に、起きた奴隷となるはずだった者たちも、俺も息をのんだ。
実際、俺たちは生き残ったのはざっと見て恐らく三分の一。いや、それより少ないかもしれない。
そして、生き残ったやつらは全員俺の体を押さえていた。自分ではどうしようもないのだ。コレが船をも魅了するローレライの魔力とわかっていても、あの美しくも悲壮な、悲しんでいるような歌声を聴いてしまっては、傍に行きたくなってしまう。なんとか慰めたくなるのだ。できないとわかっていても。
「今あるのもなんて、体と服くらいだ。なら、それでなんとかする。」
そういって言い渡された案は服を破いて耳栓をするというものだった。
詰めれるだけきつく詰めて、あとは水分で密封してもらう作戦。そして、セレネの歌で、一瞬流れを変えるというものだった。言ってしまえば川の流れを操る。意思的に操ることはできないが、今流れが出来てるのは沈没する船を中心に渦を描く要領。ならば、セレネの方へ向ければいい。その間、逆流しだす流れは弱くなり、逆方向に強くなる。その時を一気に泳ぎ切るというものだ。ねらい目はローレライ付近。ローレライの方が川の内側で、流れが弱いから、流れの無いうちの弱いところまでいくという算段だった。あまりにも生存率の低い、絶望的な、もっとも可能性のある妥当な手段だった。
そして、彼らがセイレーンの役目を終え、ともに終えるには、生きて、歌を聴くやつがいなければならない。それは俺が買って出た。そして、もしそいつが生きてなかったらという順で、候補は上げていたが必要はなかったようだ。
俺は、ローレライの最後を見た。
歌を謳い、岩山に、船頭が引き寄せられてゆく、ガレオンの矛先には、セレネがいた。
レッドに抱かれ、本当に、幸せそうに、悲しそうに、微笑みながら、
船の先頭が、貫いた。
ローレライは、センターが設けられ、整備されてからは船が座礁することもなく、奴隷貿易も行うこともできなくなったため、俺たちは利用することもなく、事故もなくなっていったため、「川の激流」と片づけられ、あれほど語られた噂はばったりと耐えた。
あの日と同じ夜に赴いても、岬にはあの歌声はもう聞こえない。
しかし、今赴いても聞こえるきがするのだ。
二人の、幸せそうな歌声が。
2012/11/01 18:30
前はありません | 次はありません
新しい順に表示されます。
↑の項目からドウゾ