幕間
男が一人、箒を握って立っているのを私は見ていた。
長い前髪、口布で覆われているその顔から表情を窺い知ることはできないが、庭掃除が一段落着いたのか腰に手を当て屈伸をしている。
気づかれないように息を吐きながら私は目を細めた。
同じ小姓である雪村もそうだが、毎日毎日よくもまあ雑用を真面目にこなしていると思う。
どういった経緯で、彼らはいきなり新選組に現れ小姓として働き始めたのか。
どちらともその点を聞くとはぐらかされてしまうので、真相が掴めないのが腹立たしい。
上から何も言わないように釘を刺されているのだろう。
それにしても、雑用をしているだけで自室を与えられているとは良い御身分だ。
幹部達からも明らかに優遇されている。
“真面目な新選組隊士”の自分が馬鹿みたいに思えてくる。
…どうせ、双方それぞれ幹部の袖を引いているに違いない。
呑気にそうにしている男の背を見て、思わず苛々と親指の爪を噛む。
背丈はあるが、なんとまあ随分と線の細い身体をしている。
たしか、彼はいい所の家の出だが幼少の頃から親に酷い扱いを受けていたため家を飛び出し浪人になった、…という様な噂がされていた。
物心付く頃まで、牛の乳を飲まされて育てられたとかなんとか。
考えるだけでおぞましい。
没落した公家辺りの人間だろうか。
武士とは程遠い、いかにも弱くて色の白い身体だ。
…幹部も喜ぶわけだ。
苛ついた心情は変わらないが、口元から指を離した。
これ以上やると、周りの人間に手先を見られた時に怪しまれてしまう。
適当に服の裾で指を拭っていれば、大きな風切り音が響いた。
少々驚いたが、男が箒を振り回している音らしい。
どんな力で振るえばこんな音が出るのか、非常に不可解だ。
いつ見てもあんな細腕でとは信じられない。
まあ、肝心の動きはいかにも初心者と言ったところだ。
少し前から剣の稽古をしているらしいが、動きはまだまだ鼻で笑えてしまう。
「おいおい、清虎!箒で素振りなんてするなよ、壊れちまうだろうが!!」
箒を振る音が止まった。
声の主に見つかる前に物陰に息を潜め、耳を澄ました。
『…すみません、永倉さん。手に持ってたら、つい。』
「剣の稽古に熱心なのはいいけどよ。自分の腕力を考えてやってくれ。」
『なかなか刀を上手く振るえないのをどうにかしたくて…。そうですね、気をつけます。 』
たまたま通りがかったのだろうか、幹部の永倉新八が声をかけたらしい。
北上清虎は注意を受けて申し訳なさそうにしていた。
「でも、前よりだいぶ動きが良くなったんじゃねぇか?一昨日あたりに見た木刀の時よりも良かったぜ。」
『…えっ、見てたんですか!?』
「気づいてなかったのかよ…。うちの幹部連中みんなお前が頑張ってるところ見てるんだから、自信持てって。」
照れてるのかと茶化す永倉が、北上の肩に腕を回しているらしい。
姿は見えないが影法師の動きで理解できた。
『あはは、くすぐったい…。でも、今回のは偶然じゃないですか?振ってたのは箒だし、軽いからとか…?』
「…俺が見る分には、正直、木刀でも箒でも重さはお前にとって関係無いと思うが。」
『言われて見ればたしかに…。でも、こっちの方が振りやすい感じはしました。』
自分には、彼らのどうでもいい談笑に興味は無いが、一応は注意を向ける。
「前から思ってたんだが。…お前、長い得物の方が得意なんじゃないのか?」
『…長いと言うと、私の胡蝶蓮などでしょうか。 』
…胡蝶蓮。
彼は確かそんな名の野太刀を帯刀していた。
ここの人間でなく同郷の者であったなら自顕流の道場を是非とも勧めるところだったが、惜しい事だ。
もしかしたら、幕府の犬の脳天を叩き割る同士になっていたかもしれない。
「そうだなぁ…。なんで今まで普通の木刀で練習してたんだ?…まだ、アレを抜くのが怖かったりするのか。」
『…違います。ただ、私は今までちゃんとした剣術稽古をした事が無いし、新選組にいるのだから皆さん達が使っている物の方が良いかと思って…。』
自信が無いのか恥ずかしいのか、尻すぼみに答える北上の頭を永倉が笑いながら袈裟の上から勢いよく掻き回す。
「何に悩んでるのかと思ったら、そんな事か。清虎には清虎の得意な事があるんだ。これからはそこを伸ばせ!!」
『で、でも沖田さんとの試合は…。』
「総司は総司、お前はお前だろ?無理に打刀を使わなくてもいいんだよ、別に。左之だって刀より槍の方が得意なんだし。」
『ええ…!?でも今から変えるのは…。』
どうしてこんな茶番を聞いていなくてはならないのか、早々に立ち去りたいが出て行けない状況に再び爪を噛み始める。
「迷惑だとか思ってんのか?大丈夫だって!!もう抜くのは怖くないんだろ?だったら山崎君にちゃんと伝えてみろ。」
『だ、大丈夫かなぁ…。 』
「どうせ山崎君もお前が刀抜く事に対しての件を気にして口に出してなかっただけで、俺と同じ事考えてると思うけどな。」
筋肉質な腕の拘束から解放された北上は、多少ふらつきつつも声を上げる。
『…そうですか…?』
「おう。清虎の師匠として最適なのは恐らく新選組では山崎が一番だぞ?まあ、ちょっと毛色が違う所はあるけどな。」
悩ましげに北上は暫く唸っていたが、意を決したと言わんばかりに胸を張った。
『アドバイスありがとうございます。永倉さんのおかげでスッキリしました。』
「あど…、なんだ?」
『ああ、私の地元の言葉で助言とかの意味ですよ。』
掃除道具を小脇に抱えて、北上が早足で駆け出そうとしたところを永倉が制する。
「おいおい、今度は急いでどこ行くんだ!?」
永倉の言葉に、足を止めた北上は何気なく、そして当たり前の様に答えた。
『山南さんの部屋ですよ。稽古の方針が変わるって報告をしたいですから。』
…前々から知っていたが、信じられない事を当たり前の様に語る男だ。
永倉も反応に困ったのか、すぐには口を開かなかった。
「…お前、本当に山南さんの部屋によく通ってるよな。」
『ええ、稽古の事以外にも世間話とか色々とありますから。』
大坂出張の前には手合わせの約束もしていたんですよ、などと言ってのける北上の腕を永倉が掴む。
北上は一度肩をびくつかせはしたものの、そのまま永倉の方へと向き直った。
「…今の山南さんの事、わからねぇってわけじゃないよな?」
普段の明るい声音とは程遠い、短くも重い言葉が投げかけられる。
山南敬助は先日の大坂出張の際、左腕に重症を負って屯所に帰って来た。
これから先、剣を振るうのが絶望的なのは明らかだった。
本人もそれを自覚しているのだろう。
あれから彼は以前よりも陰湿な気性となっている。
新選組の人間は皆それを感じ取り、山南に対して散々気を使っているのに北上にはそれが目に入らないらしい。
目を疑うほどのお気楽さだ。
『…わかっています、もちろん。』
「お前にはお前の考えがあるって事か。」
『はい。』
これ以上話す事はないと言うように、北上は
小さく頭を下げると、足早にその場から去っていく。
するりと細い腕を抜き取られた手のひらを浮かせたままにしていた永倉は、やるせないという様にそのまま粗暴に頭を掻いて大きく息を吐いた。
…今までの情報を一部改めなければなるまい。
北上清虎にも、幹部連中にも良く思われていない節がある様だ。
これは、上手く利用できるかもしれない。
思わず口元が歪む。
彼には悪いが、計画の駒に利用できるかもしれない。
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